項羽と劉邦

劉邦は項羽に勝利したがその原因を劉邦自身が分析している。 『史記』高祖本紀に次の内容がある。

はかりごとを帷幄の内に巡らせ勝利を千里の外に決することでは私は張良に及ばない。 国家を鎮め人民を撫し、糧食を士卒に給して糧道を絶たないことでは私は簫何に及ばない。 百万の軍をつらね、戦えば必ず勝ち攻めれば必ず取ることでは私は韓信に及ばない。 この三人はみな人傑であるのに私は彼らを使うことができる。これが私が天下を取った所以だ。 項羽はたった一人范増すら用いることができなかった。これが私に虜にされた所以である。

劉邦ははかりごとという点では張良に及ばない。内政に関しては簫何に及ばない。いくさに関しては韓信に及ばない。 しかし彼らを使いこなした。項羽にも范増という知者がいたが項羽は彼の意見を用いることができず敗れてしまった。

司馬遼太郎はその『項羽と劉邦』という小説の中で劉邦を「大いなる虚」と表現している。劉邦は戦が強いわけでも頭がいいわけでもなく能力のない人であった。しかしその人物は巨大で不思議な能力を持つ人物だった。巨大な空の器のようなものであり、虚であるからこそ、そこに張良、簫何、韓信、陳平たちの知恵が大量に入り込むことができてそれで大いなる事業を成し遂げたと言っている。

司馬遼太郎それに対して項羽を「実」であったと述べている。項羽は非常にいくさが強かった。劉邦のように無能ではなかった。劉邦の「虚」に対し「実」であったためそこに他人の知恵が入り込むことができず、范増ひとりの意見すら用いることができなかったと司馬は述べる。

その指摘はあたっている。しかし当たっているのは半分だけである。司馬遼太郎自身にその意図はなかったかもしれないが、その解釈だけ読めば、「虚」が良くて「実」はダメだと読めなくもない。しかし当然そうとは限らない。

三国志の曹操は非常に有能な人物であった。彼は「実」だったと言って良い。しかし彼は多くの知者の意見をよく用いたし、自分自身の能力を用いて中原に泰平をもたらした。

それに対して「虚」だったのが劉備である。彼は特に頭が良かったわけでも戦に強かったわけでもない。しかし不思議な魅力をたたえた巨大な人物であった。劉邦に近かったと言って良い。彼は「虚」であり巨大な空の器であった。しかし彼は知者を軽視し用いなかったため前半生はうだつが上がらなかった。彼が飛躍したのは孔明と言う知者を用い始めてからである。

「実」でうまくいく場合とそうでない場合があり、「虚」でうまくいく場合とそうでない場合がある。

すでに引用した『荀子』不苟篇の言葉を再度引用する。

書下し文
君子は能あるもまた良く、不能なるもまた良し。
君子は能あれば則ち寛容易直にして人を開き導き、不能であれば則ち恭敬遜屈にして人に謹み仕う。

現代語訳
君子は能力があっても立派で、能力がなくても立派である。
君子は能力があれば寛容にして穏やかに人を啓発し指導する。能力がなければ恭敬でへりくだり謹んで人の意見を聞く。

曹操は能力がある君子に該当しその能力を用いて世の中を良くした。劉邦な能力のない君子であり張良、簫何、韓信の意見を重視して大業を成した。君子は能力があってもなくてもそれをプラスにする。

先に引用した荀子の言葉を再度引用する。

書下し文
君子は両進す。

現代語訳
君子はどちらの場合でも進歩する。

君子両進。君子は自分の自分の性格や能力の長所も短所もプラスに生かしていく。 これは曹操と劉邦に当てはまる。

もちろん項羽や劉備が小人だと言っているのではない。彼らも稀に見る偉大な英雄であるのは間違いない。しかし曹操や劉邦に比べれば少し足りないところがあったと言われても仕方がないだろう。

私が以前勤めていた会社の部長の話。部長は人物が大きいがあまり有能ではなかった。いざという時には頼りになるが日頃は決して有能ではなかった。部内では、そのような部長を優秀な部下たちが一致団結して助けなくてはいけないという無言の空気があった。今思えば部長はわざとそのような空気を作っていたのだろう。彼も自分の能力がないという短所をプラスに生かし部内をしっかりとまとめていたと言える。

荀子の言葉は次のように続く。

書下し文
君子は能あれば則ち人もこれに学ぶを喜び、不能なれば則ち人もこれに告くるを楽しむ。

現代語訳
君子は能力があれば周りの人たちも彼から学ぶのを喜び、能力がなければ彼に教えるのを楽しむ。

例えばどのような人でも孔明のような能力のある君子からは習うのを楽しむ。 そして劉邦のような能力がない大人物には皆彼に教えるのを楽しむ。

司馬遼太郎の『項羽と劉邦』だったか宮城谷氏の『劉邦』だったかどちらか忘れたが、劉邦が旗揚げする前に弟分として劉邦を慕っていた人物が「なぜ劉邦についてまわるのか」という質問に対し次のように答えている。「季さん」とは劉邦の名前。 「だって季さんは俺がいないと何にもできないんだぜ。」劉邦という大人物が自分のおかげでいろいろなことができるというのが楽しくて仕方がないというのだ。「能力がなければ彼に教えるのを楽しむ。」とはこれを指す。

『荀子』不苟篇の言葉を再度引用する。

書下し文
小人は能あるもまた悪く不能なるもまた悪し。
小人は能あれば則ち倨傲僻違にして人に驕り高ぶり不能なれば妬嫉怨誹にして人を傾覆す。

現代語訳
小人は能力があっても悪く、能力がなくてもやはり悪い。
小人は能力があれば傲慢になり驕り高ぶり、能力がなければ妬み怨んで人を陥れる。

能ある小人の典型が三国志の諸葛恪である。 諸葛亮すなわち孔明の兄が諸葛瑾であり諸葛恪は諸葛瑾の子、諸葛亮の甥にあたる。 諸葛瑾と諸葛恪は孫権に仕え諸葛亮は劉備に仕えた。

彼は非常に頭脳明晰であった。 『呉書』諸葛恪伝に次の記載がある。

孫権「あなたの父上と叔父上ではどちらが賢いだろうか。」
諸葛恪「私の父がまさっています。」
孫権「なぜか?」
諸葛恪「私の父は仕えるべき所を知っているのに私の叔父はそれを知りません。だから父のほうがまさっています。」
孫権大笑。

なかなか気の利いた答え方である。 『諸葛恪別伝』に次の記載がある。

孫権の太子がある時諸葛恪をからかって言った。
太子「諸葛恪は馬の糞を食べるべし」
諸葛恪「太子さまには鶏卵を食べていただきたい。」
孫権「人から馬の糞を食えと侮辱されたのに、なぜ鶏卵を食べよなどと言うのか。」
諸葛恪「出所は同じです。」
孫権大笑。

これも非常に機転が利いている。 非常に優秀な人物で孫権の死後、呉の重責を担った。 しかし彼はその優秀さを鼻にかけ他人の意見を聞かず、国を傾け身を滅ぼした。 「小人は能力があれば傲慢になり驕り高ぶる」というのは諸葛恪を指しているかのようである。

続きは人の美をなす 人の悪をなさずをご覧ください。


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■上部の画像は熊谷守一「泉」

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