二面性の具体例1

物事には二面性がある。長所は短所であり短所は長所。 プラスはマイナスになりマイナスはプラスになる。 その具体例をひたすら列挙していく。

誰しも経験あるのが次の例。 きらいな人と付き合ったために自分が成長する。 面倒くさい客の対応すると対応能力が上がる。 面倒くさいというマイナスが対応能力があがるというプラスになる。

車の運転で事故にあいそうになってヒヤッとすると、 「こういう時はこのへんを気をつけんといかんのか」と経験になり今後の事故の予防になる。 失敗したり失敗しそうになるというマイナスがあると自分の欠点が分かる。プラスとなる。

牛は人間にコントロールされるときは角を持たれる。 プラスである角という最大の武器が、 コントロールされるというマイナスの手段に使われてしまう。

一病息災。 私は以前、脂肪肝だった。それ以来健康に気を使うようになり暴飲暴食をやめた。 病気が一つあるとかえって健康になる。

この手の物事の二面性はどこにでも転がっている。 自分の長所はそのまま短所になるし、短所は長所になる。 神経質な人は繊細な作品を作れるかもしれないし、 がさつな人は細かいところを気にせずに全体の調整ができるかもしれない。

空気を読まない人は他人に嫌な思いをさせるかもしれないが、 他人を気にせず自分の意見を躊躇なく言えるかもしれない。 空気を読む人は他人から嫌われにくいかもしれないが、 自分の意見を言わないかもしれない。

ビジネスで製品が良いと勝手に売れるので営業力がそれほど育たないかもしれない。 営業がうまいとそこそこの製品でも売れるので製品をよりよくしようとする動機が薄れるかもしれない。

有名になると富と名誉が手に入り、それで満足してしまい自分を磨かなくなる人も結構な数いるだろう。 売れない人はいつまでも自分を高め続けるかもしれない。

アインシュタインと言えば我々は天才と思うが、彼は元々は天才とは思われていなかった。 それどころか「のろまのアインシュタイン」と呼ばれていた。理解が遅かったのだ。 それは反面ひとつひとつの知識を完全に自分のものになるまで徹底的に理解したからかもしれない。 理解が遅いというマイナスは徹敵的に理解するというプラスにつながる。これも二面性。

物理学のことは知らないが、思想もたぶん同じ。難しい内容、レベルの高い内容を理解するのも必要だが、基礎をしっかり理解するのも同じくらい大切だ。基礎を完全に自分のものにすると自然と独創的な思考ができるようになる。

堺屋太一を読んでいる。歴史や経済に関する評論家だ。彼は大局は基本外さないのだが、 細かい点はバイアスがかかっている場合がある。 自分の理論に合わせて個々の事実を若干ゆがめたりする。 だから読む側は鵜呑みにできない。自分で判断する気持ちを忘れてはいけない。

「著者のバイアスがかかっている」というマイナスが 「読者の自分で判断する心がけ」というプラスにつながる。 ネットが普及したことで胡散臭い情報が氾濫している。 それにより我々の情報の真偽を見極める能力が高まっている気がする。

コロナが流行り始めたころマスクが不足した。それで中国製のマスクを使っていたが、日本製に比べると正直雑にできている。乱暴に扱うとマスクのゴムの部分がすぐはずれる。これはマイナスだ。しかしその機会に物を丁寧に扱う事を学んだ。これはプラスだ。

失敗の許容という考えがある。 化学のような実験系の科学では実験の時に手順を間違えてそれが原因で大きな発見が生じる場合があるという。 失敗の許容も物事の二面性にかかわる。

カローラ2という車のかなり昔のCMで次の歌詞がある。 「カローラ2に乗って買い物に出かけたら、財布無いのに気づいてそのままドライブ。」 そこそこ上手いCM。これも失敗の許容。

去年のある日。昼飯にカルボナーラ作ろうと思いスーパーでスパゲッティの乾麺を買おうとすると、 コロナの影響でお気に入りのイタリア産の乾麺が売り切れていた。ガクッとなる。

しかたなく日本産のスパゲッティを買った。上手くできるかなあと疑いながらつくってみた。 するといつもと違う現代日本的なパスタが味わえた。これはこれでうまい。 新しい発見がある。逆に良かったと思う。

ある日、目的の品を買おうとデパートに行った。ネットで調べると「○○デパート新館B1F」にその店があるらしい。 行ってみると無い。その店が無い。調べなおすと新館ではなく隣の本館のB1Fと判明。 「あ~間違えたか。」と思い本館に移動しようと思うが滅多に来ないデパートだったので新館地下にどんな店があるかついでに見て回る。意外な良質な店がいくつか見つかり発見がある。

大きい失敗であれ小さい失敗であれ失敗しても何かをつかんで起き上がる。 失敗はマイナスだが、失敗は失敗というマイナスの側面とともに予想外の展開がもたらされたという側面もある。 これも物事の二面性だ。 失敗はあまりに大きいと人生を台無しにすることもあるが、予想外の展開をプラスにできる場合もある。

しかし失敗の許容は良いことばかりでもない。 失敗してもそこから何かを得るので、失敗しても反省しないようになる場合があるのだ。 「失敗したけどまあ、いいか」となる。 大きい失敗であればそこから得るものが大きくても深く反省するだろうが、 小さい失敗だと反省をしなくなりがち。 失敗しても何かをつかんで起き上がるというプラスが反省しなくなるというマイナスを生じる。 さらにこれも二面性。

画家と小説家が以前対談していた。

画家「本って読む人にすごく負担かけるよね。」
小説家「私の主著は1200ページあります。」
画家「そうでしょ。読む側は絶対きついよね。」
小説家「でも逆に言うと本を一冊読むのに20時間かける人はたくさんいますが、ひとつの絵画を10時間鑑賞する人はいないですよね。」

これも物事の二面性。 私も1冊の本を10時間以上かけて読むことは日常だが、絵は最長記録は40分。 でもさらに逆に言うと絵のほうが見る時間が短い分、単位時間当たりの精神的栄養の吸収量は確かに多い。 結論いうと絵も本も私にとってはどちらもとても大切。

存在感がある人ほどアンチが多い。これも物事の二面姓を表す。 アンチ巨人がいたのも王長嶋時代の巨人が圧倒的に強かったから。 現在はあまり野球を見ないのでよく分からないが、恐らくアンチロッテはいないだろう。 アンチロッテを名乗ると「え?何で(笑)?」と笑われるはず。

思想でも同じだ。存在感のある思想ほど批判されやすい。 数学とか自然科学とかでは批判する側が正しく批判される側が劣っているかもしれない。 しかし思想ではそうとは限らない。 批判される人のほうが偉い場合がかなりの頻度である。 朱子やヘーゲルが後世の思想家に批判されるのは彼らが偉大だからである。

若い頃剣道をしていた。テレビで剣道の名人と剣道の初心者が試合をしていた。 名人がその雰囲気と構えで初心者を圧倒すると初心者はそれに耐えきれず、 あせってあがきはじめやたらと竹刀を振り回す。

解説をしているアナウンサーは剣道を知らないらしく「おお!攻めています!攻めています!」 と実況していた。私は「あせってるだけだよ」と思わず独り言を言った。 名人は初心者の中心線をとらえ隙が無い。 しかし剣道を知らない人はそこが分からない。 たんに竹刀を振り回しているほうが優勢と思ってしまう。

思想も同じだ。ある思想家が批判されると思想を知らない人は批判している側が偉いと思ってしまう。 批判している側が偉い場合も確かにある。しかし同じくらいの確率で批判されている側が偉い場合がある。 思想を理解する人は「これはあがいてるだけだな」とすぐわかるが、門外漢はそこが分からない。

金がないのはマイナスだ。しかし金がないほど同じ金額で最大の価値を生み出すように工夫するようになる。プラスだ。

海外旅行で時間がないのはマイナスだ。しかし時間がないと事前に徹底的に旅行の計画を立て短期間でものすごく充実するように計画を立てる。昔は時間があったので平気で2,3週間の旅行をしたが、現在はそんなに時間は取れない。 それでも以前の旅行に劣らないくらいの旅行をするのは旅行計画を徹底すれば必ずしも不可能ではない。

時間も足りないほど徹底的に有効利用をするようになる。 効率よいので道にも迷わない。プラスだ。するとしかし今度は現地の人との接触が減った。 以前は行き当たりばったりでしょっちゅう道に迷い現地の人に道を聞いたりして自然と交流が生まれたものだ。

時間が足りないマイナスが効率の良さというプラスになる。 効率の良さというプラスが人との接触がすくなくなるというマイナスになる。

続きは二面性の具体例2をご覧ください。


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■上部の画像は熊谷守一「泉」

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