禍福は糾える縄の如し

時々仕事で英語対応を頼まれることがある。 例えば最近「石川さん、午前中にこのインド人のお客さんに電話して英語でこの内容を案内しといてください。」と仕事を頼まれた。

案内内容自体はたいして難しいわけではない。仕事の内容しか話さないので、出てくる単語も話題も限られている。200くらいの例文を頭に叩き込んでおいて、それを使いまわせば9割がた大丈夫。

ただ私はリスニングが若干弱いのでインド人に案内する内容だと仕事を受けると、若干ブルーになる。 インド人はなまっていてしかも英語をしゃべり慣れているので早口。時々聞き取れない。 午前中に架電しなくてはいけない場合、9時始業として文字通りに捉えると9時~12時の時間の間いつでもいいわけだ。

ここで選択肢が2つある。9時すぐに架電するか12時まで後回しにするか。 12時まで後回しにするとそのメリットはすぐには架けなくていい点。 そのデメリットは12時までブルーな気持ちが続くこと。

9時すぐにかけるメリットデメリットは当然その反対。 デメリットはすぐにいやな仕事に取り組まなければいけない点。 メリットはいやな仕事をさっさと終わらせすぐにさっぱりした気持ちになれる点。

多くの人は9時に架けるほうを選択するだろう。 私もそうした。早めに終わらせてすっきりしたいからだ。 そっちの方が優れた方法だろう。

しかし12時に架けるメリットがもう一つある。 それはブルーな気持ちが3時間も続くため英語を勉強しなくてはならないというモチベーションが確実に蓄積される点。 恐らく英語の学習効率も若干上がる。

9時に架けるとすぐにすっきりさわやかな気持ちになるため英語を勉強しようというモチベーションはほとんど蓄積されない。 奇策なので私はしないが、わざとブルーな気持ちを持続させモチベーションを高めるのも可能である。

これはまだ続く。12時に後回しにして英語のモチベーションが蓄積されて英語の勉強がはかどったとして、本当はその人は英語の勉強より大事なやるべきことがあったかもしれない。それなのに英語の勉強に時間を取られマイナスになる可能性もある。それ以上は追跡ができない。

12時に架ける場合。 メリット:すぐにいやな仕事に取り組まなくていい。→デメリット:すぐに取り組まないのでその間ずっとブルーになる。→メリット:ブルーになった時間に比例し英語を勉強しようというモチベーションが蓄積される。→デメリット:英語に無駄に時間を取られる。

9時に架ける場合はその反対。 デメリット:すぐにいやな仕事に取り組まなくてはいけない。→メリット:すぐにすっきりさわやかな気分になる。→デメリット:英語を勉強しようというモチベーションが蓄積されない。→メリット:英語より大事なことに時間を使える。

メリットがメリットであるゆえにデメリットになり、デメリットがデメリットであるゆえにメリットになりとどこまでも反転していく。

『史記』南越伝の最後に次の言葉がある。

書下し文
禍に因りて福と為す。成敗の転ずること譬えれば糾える縄の如し。

現代語訳
禍によって福を生じる。成功と失敗が変転することはあざなえる縄のようである。

「糾う」とは「あざなう」、縄をらせん状により合わせることを言う。 メリットとデメリットがらせん状に反転していく。

『老子』の言葉を再度引用する。これも同じ内容だ。

書下し文
禍は福の依る所、福は禍の伏す所。誰かその極を知らんや。

現代語訳
禍を土台として福が生じ、福の内にはすでに禍が芽生えている。誰がその究極を知ろうか。

『近思録』の言葉を再度引用する。

書下し文
動静には端無く陰陽には始め無し。道を知る者に非ずんば、誰か能くこれを知らん。

現代語訳
動と静には端がなく、陰と陽には始めと終わりがない。道を知る者でなければ誰がこれを知るだろうか。

マイナスとプラスは反転しながらどこまでも続いていく。陰陽には終わりがないという。

だからと言って「人間万事塞翁が馬」のように努力や反省を否定するような考えは賛成できない。 努力してもマイナスになるかもしれないし、と言って努力を否定する。 悪いこともプラスになるかもしれないし、と言って反省をしない。 それではだめだ。

大雑把に言って正しい努力をすると8割プラスになり2割マイナスになるかもしれんが努力は当然大切。 悪いこともきちんと反省するからこそプラスに転じることができる。 努力と反省を否定してはいけない。

『老子』の冒頭に次の有名な言葉がある。

書下し文
道の道とす可きは常なる道に非ず。

現代語訳
これが道だと言葉や行動ではっきりと示すことができる道は常なる道ではない。

「嫌な仕事は早めに片付けておいたほうがいいよ。」というのは言葉で示すことのできる道である。 道か道でないかと言われれば正しいことを言っているので道には違いない。 しかしそれは常に当てはまる道ではない。その言葉に従うことでデメリットが生じ最終的にマイナスになる可能性は否定できない。プラスの側面とマイナスの側面があるのを認識しないアドバイスである。

『老子』第二章に次の言葉がある。

書下し文
皆善の善たるを知る。これ悪のみ。

現代語訳
みな善を善だと知っている。しかしそれは悪にすぎない。

「嫌な仕事は早めに片付けておいたほうがいいよ。」という言葉は善である。 しかし老子に言わせるとメリットがメリットであるゆえにそこからデメリットが生じると言うのだ。 「悪にすぎない」というのは明らかに言い過ぎだが、善が悪になりうるというのは理解できる。

老子の言葉は次のように続く。

書下し文
有無相生じ、難易相成し、長短相形し、高下相傾き、音声相和し、前後相従う。

現代語訳
有と無はたがいに生じあい、難と易はたがいに生成し、長と短は互いに形作り、高と下は互いに傾きあい、前と後は互いに従いあう。

対立しあうものは互いに互いの原因となると述べている。 同様にメリットとデメリットもメリットであるがゆえにデメリットになりデメリットであるゆえにメリットとなる。 メリットとデメリットが互いに生じ合うのが分かる。

老子の言葉は次のように続く。

是を以って聖人は無為の事に拠り不言の教えを行う。

言葉や行動で示す道はっきりと示すことのできる道でありは一定の形を持った道である。 それでは物事の一面しか指摘できない。

常なる道は無形であるという。『老子』四十一章に「大象は形無し」とある。 よって聖人は無為と不言の教えにより道の全体を示すのだという。

『論語』の「君子器ならず」「君子は一定の形を持たない」というのも同じ内容を指す。

続きは能ある君子 不能の君子をご覧ください。


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■上部の画像は熊谷守一「泉」

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