明治維新と李氏朝鮮

日本の明治維新は主に下級武士が起こした。 彼らの思想は基本は儒教である。 明治維新は儒教精神による近代化であった。 儒教という東洋的合理性が土台となった。 同じ時期、朝鮮も儒教が主流思想だった。 しかし朝鮮は逆に儒教に凝り固まって近代化に失敗した。 儒教は近代化に役立つのか、それとも足枷か。

福沢諭吉を読む。 当時の儒教精神が西洋思想をいかに取り入れたかがよく分かる。 彼の著作は儒教と西洋思想の出会いそのものである。 日本では確かに儒教的合理性は近代化に役に立ったのだ。 日本に土台となる合理的思想がなかったら例えばエスキモーが近代化するのと同じくらい困難だったはずだ。

では近代日本と近代朝鮮で儒教の果たした役割が違うのはなぜか。 科挙だ。両班は経典の細部まで徹底して読んだ。 日本の武士は儒教の大略を理解した。 両班は三国志の徐庶に武士は孔明の読書に似ているだろう。 武士たちは儒教の本質のみを捉えて近代化に役立てた。 両班は儒教の細部に拘泥し西洋思想を拒否した。

以前朝鮮の知識人の日本旅行記を読書会で読んだ。 両班は即興で非常にレベルの高い漢詩を詠んだ。 日本の普通の知識人にはできない芸当だろう。 科挙があった朝鮮の両班の高い教養が分かる。 李氏朝鮮の歴史にあまり詳しくないが、 ある意味完成された儒教国家だったのかもしれない。

しかし「ある環境に過剰に適応した者は環境の変化に適応できなくなる」と堺屋太一氏は言う。 『老子』に次の言葉がある。

書下し文
此の道を保つ者は盈つるを欲せず。それ唯だ盈たず、故に能く敝れば新たに成る。

現代語訳
道を保つ者は完成させようとしない。完成させないから、ひとたび破れてもまた新しく生まれ変わる。

朝鮮は儒教国家を完成させたため、それに拘泥し近代化ができなかった。 日本は儒教でがちがちにならずその本質のみを学んだので、儒教を近代化の土台にできた。 伝統的社会や思想が部分的に壊れてもまた新たな社会をつくれたのだ。

物事を完成させることには大きな意義がある。その点を否定するつもりは全くない。しかし完成しないからこそ変化に対応できるという側面もある。両方の側面を認識しどちらを選ぶかを選択する必要がある。

日本は近代化し、1980年代には完成した製造業国家になった。 製品の質はよく生活は豊かで生活保障はしっかりし貧富の差はなく寿命は長い。もちろん平和で治安はよい。 理想的な製造業国家の完成だ。

しかし堺屋太一氏の言う通り一つの環境に過剰適応すると環境の変化に適応できない。 工業時代に過剰適応したため情報革命には現在も完全には適応できていない。

わたしはプログラマーを短期間していたが、上司が「システム開発は基本はモノづくり」と言っていた。 システム開発をシステムという高品質のモノづくりととらえているのだ。 IT革命を製造業の延長としてとらえている。

他の国ではシステムは第一義的には戦略であって決してモノづくりではない。 システム開発をモノづくりととらえる日本人にはAmazonやGoogleのような高度な戦略は期待できないであろう。

『老子』に次の言葉がある。

書下し文
禍は福の依る所。福は禍の伏す所。誰かその極を知らんや

現代語訳
禍を土台として福は生じ、福のうちにすでに禍は芽生えている。誰がその究極を知り得ようか。

儒教国家として完成しなかったのは日本にとって「禍」かもしれない。 しかしそれにより近代化の成功という「福」が実現した。

しかし近代化という「福」により製造業に固執したため、 IT革命に適応できないという「禍」が生じている。 禍と福が互いに互いの原因となってどこまでも生起し続けるのが分かる。 誰かその極を知らんやというわけだ。

『近視録』に次の言葉がある。

書下し文
動静には端無く、陰陽には始め無し。道を知る者に非ずんば誰か能くこれを知らん。

現代語訳
動と静には端がなく陰陽には始めも終わりもない。道を知る者でなければ誰がこれを知るだろうか。

これは『老子』の言葉の別表現である。

続きは禍福は糾える縄の如しをご覧ください。


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■上部の画像は熊谷守一「泉」

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