その点「Π字型人間」は圧倒的に有利である。「Π字型人間」とは二つの分野を修得し、そして他の分野を広く浅く学んだ人である。Aという分野とBという分野を修めているとすると、Aという分野の素材にBという分野の酵素が働いて、論文ができる。もしくは逆にBという分野の素材にAという分野の酵素が働いて論文ができる。以前記事を書いた。2019年に書いたのでもう古くなっているが、一応リンクを載せておく。Π字型人間 1.0
この以前の文章では私は中国思想と三国志のふたつの分野を修めるΠ字型人間を目指すと書いているが、現在は三国志は断念している。中国思想というひとつの分野を修め、ほかの分野は広く浅く学んだT字型ということになる。
堺屋太一は典型的なΠ字型人間である。彼は専門は経済学で趣味が歴史だと言っている。その著書『知価革命』は歴史の知識という「素材」に経済にかんする学識が「酵素」として働き大局的で独創的な論文に仕上がっている。
イーロン・マスクはビジネスと物理学を修めたという。物理学の知識という「素材」に、ビジネスという「酵素」が働いているのか、ビジネスという「素材」に物理学が「酵素」として働いているのか、両方なのかは私にはわからないが、いずれにしても、特に意識しなくても「素材」と「酵素」が自然と手に入り、新しいビジネスを思いつくのだと思われる。
イアン・カーショーが「ヒトラーはヒトラーによって説明できない」と述べた通り、いくらヒトラーの人生を勉強してもヒトラーのことを理解できない。同様にいくらビジネスの勉強をしてもそれだけでは優れたビジネスのアイデアは生れない。ビジネスの知識という「素材」をいくら集めても、それだけでは新しいビジネスという「ビール」は生まれない。外山氏が「アルコールに変化させるきっかけになるものを加えてやる必要がある。これは素材の麦と同類のものではいけない。異質なところからもってくるのである。」と述べている通り、新しいビジネスを生むためには、ビジネス以外の分野から「酵素」をもってくる必要がある。
この「素材」と「酵素」の話は本質的にはイノベーションと同じ原理である。異質なものが正しく組み合わさったときに生じる現象である。以前イノベーションに関して記事を書いた。リンクを載せておく。本質をとらえると知識がつながる。イノベーションが起きる。
例えばピクサーの作品も同じだ。『スティーブ・ジョブズI』にピクサーに関しジョブズの次の言葉がある。
シリコンバレーの連中はクリエイティブなハリウッドの人間を尊敬しないし、ハリウッドの連中は連中で技術系の人間は雇うもので会う必要もないと考える。ピクサーは両方の文化が尊重される珍しい場所だった。
コンピューター技術という「素材」に、クリエイティブな文化という「酵素」が働いて、優れた作品という「ビール」が出来ているのが分かる。
ビジネスリーダーとビジネスフォロワーの違いはイノベーションがあるかどうかである。ビジネスリーダーを目指すのであれば、ビジネス以外の分野から「酵素」をもってくる必要がある。フォロワー戦略もビジネスでは有効である。フォロワーでよいなら、ビジネスを学ぶだけで充分であるし、そのほうが効率が良い。ベゾスの言う「さまよう力」はビジネスリーダーに必要な力であって、フォロワーはスピード重視のほうが効率がいいのだ。さまようぶんだけ時間のロスになる。
「Π字型人間」とまったく同じことだが、ある分野を修めた人が隣分野に移動したときにおもしろい研究が生まれるという。外山滋比古『思考の整理学』から引用する。
さまざまな知識や経験や感情がすでに存在する。そこへひとりの人間の個性が入っていく。すると、知識と知識、あるいは感情と感情とが結合して、新しい知識、新しい感情を生み出す。
Xという人がAという分野からBという分野に移動したとする。Bという分野にはすでにさまざまな知識や経験の蓄積がある。そこにAという分野を修めたXという個性が入っていく。するとBという分野に蓄積されていたさまざまな知識や経験が、Xによって再構成され新しい知識を生み出すのである。
これは「視点」の問題でもある。A分野を修めたXという人がB分野に新しい「視点」をもたらすのである。視点については以前記事がある。リンクを載せておく。「視点」とは一体何なのか
インブリーディングという言葉がある。「Π字型人間」の逆である。『思考の整理学』から引用する。
同系繁殖、近親交配、近親結婚のこと。ニワトリでも同じ親から生まれたもの同士を交配しつづけていると、たちまち、劣性になってきて、卵もうまなければ、体も小さくて、弱々しいものになってしまう。
人間も同じことで、近親結婚はおもしろくない遺伝上の問題をおこす。それでどこの国でもごく近い関係にある親族や同族の結婚を禁止している。インブリーディングはそれほど危険なのである。
続けて引用する。
生物学的にインブリーディングがよろしくないとすれば、知的な分野でも良かろうはずがない。
新しい思考を生み出すにも、インブリーディングは好ましくない。それなのに、近代の専門分化、知的分業は、似たもの同士を同じところに集めた。大学の組織は、同一分野の専門家をまとめて単位とし、それに学生を所属させる、学部、学科からなっている。活発な知的創造にとってきわめて不便な環境と言わなくてはならない。
さらに引用する。
専門が確立すると、ちょうど軍艦のようなもので、外部との交渉が絶えて、洗練化が進む。
例えば『三国志』の研究者たちがいる。似たような価値観の人たちが集まって研究している。外山氏が言うように、彼らは外部と交渉せず、その研究方法は洗練されていく。
テーマはマニアックになり、関心は狭まる。洗練された方法でイワシ一匹を追いかけるような現象が生じる。インブリーディングである。私のような人間は大雑把な方法でクジラを狙う。私のような人間が間違えて、閉鎖的な研究者たちに混ざろうものなら、研究方法が洗練されていないと批判を受けることになる。
インブリーディングと対照的な方法が自分とは違うタイプの人と組む方法である。以前記事を書いた。リンクを載せておく。あなたとは正反対の人こそ貴重な相棒になる。
ひとりで「Π字型人間」になれない場合に、自分とは違う人と組むことで、二人合わせて「Π字型人間」になるような方法であり、ひとりでイノベーションを起こせないときに二人でイノベーションを起こす方法であり、ひとりで「素材」と「酵素」を用意できないときに、ふたりでそれらを用意する方法である。
ジョブズはアップル社を立ち上げた時に、スティーブ・ウォズニアックという凄腕のプログラマーと組んだ。ふたりとも名前がスティーブで「ふたりのスティーブ」という。ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズI』から引用する。
感動的な回路基板とそれを動かすソフトウェアは、個人の手によるものとして20世紀有数の発明だが、この歴史的偉業はウォズニアックの業績である。しかし、ウォズニアックのボードを電源やクールなケースと組み合わせ、フレンドリーなパッケージにまとめたのはジョブズである。ウォズニアックのマシンを中心に会社を興したのもジョブズである。
ジョブズとウォズニアックと言う対照的なふたりが組み合わさることでアップルIIという商品が生まれた。ウォズニアックの技術という「素材」に、ジョブズのビジネスセンスという「酵素」が働いて新しいビジネスが生まれたのである。続けて引用する。
「ウォズはたしかにすばらしいマシンを作ったが、スティーブ・ジョブズがいなければ、そのマシンはマニア向けの店でほそぼそと売られるだけだったろう。」と後にレジス・マッケンナが語った通りなのだ。
ジョブズがいなければ、ウォズニアックの技術はインブリーディングを起こすのみであり、「そのマシンはマニア向けの店でほそぼそと売られるだけ」で終わったはずだったのである。
■作成日:2026年3月6日
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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。