Π字型人間

I字型、T字型、Π字型人間という言葉がある。

I字型というのはひとつの専門分野を極め、そしてほかの分野を知らない人間である。 良く言えばひとつの分野を極めた人、悪く言えば専門しかできない人である。

最近は悪い意味で用いられるケースが多いかもしれないが、 決して悪いとは言えない。 「~をするために生まれてきた人」という人がいる。 哲学では例えば「ヘーゲルを読むために生まれてきた人」というべき人がいる。 その人の個性がヘーゲルの個性とまったく一致しヘーゲルを深く理解できる。 そしてほかの思想家からは学ばない。 私はそういう人もすごいと思う。 ひとつのことしかできない人間の凄さというものがある。 そういう人に会って驚いた経験はみなさんもあるだろう。 「こういう人がこの分野をやっていくんだ・・」と思った経験である。 私もそのような経験がある。大学時代「こういう人たちが哲学をやるのか・・俺じゃないな。」と正直思った。

すこし余談になるが、ユングという心理学者が次のように言っている。 「ある分野に向いていないというのは必ずしも悪いことばかりではない。 その分野をそれまでとは別の角度からとらえることができるからだ。」

アリストテレスと似たような個性を持っている人はアリストテレスを深く理解できる。 そのひとはアリストテレスの正統な解釈者となる。 アリストテレスを読むために生まれてきた人である。 こういう人は若いうちからアリストテレスの解釈者として学会で認められる。

アリストテレスを読むのに向いていない人は、アリストテレスの正統な解釈者にはなれないかもしれない。 しかしアリストテレスとは別の個性を持っているため、 今までのアリストテレス解釈とは違う角度からの解釈を提示できる可能性があるとユングは言うわけだ。 もちろん全くアリストテレスを読めないのであれば話にならないが。 そしてこの人はアリストテレス解釈者としてなかなか認められないため非常に苦労することになる。

心理学がたとえばフロイトのように精密で論理的でなければならないとすると、ユングは明らかに心理学に向いていない。 しかし心理学に向いていないからこそ、それまでなかった独創的な心理学をユングは創れたのである。 「心理学に向いている」というのは「それまでにあった心理学に向いている」という意味だからだ。

余談でした。

I字型人間に対してT字型人間という人がいる。 ひとつの分野をマスターし他の分野も広く浅く大雑把に知っている人である。 T字型人間がこれからは大切だ、と一昔前はよく言われたものである。

最近はΠ字型人間が大切だと言われる。ギリシャ語の文字のΠである。 二つの分野を習得し、それ以外の他の分野は広く浅く知っている人である。

大前研一氏によるとT字型人間、Π字型人間と言い出したのは大前研一が最初なのだという。 現在ではよく知られている言葉だが最初に言い出した人は洞察力があると思う。

Π字型人間は世の中に沢山いるだろうが、私が知っている中では堺屋太一氏が典型である。 彼は経済が専門で歴史が趣味だと言っていた。 『知価革命』という本がある。1985年という工業時代の全盛期に工業時代の次の時代を予測して見せた名著である。 外国語にも翻訳され、世界でも読まれたという。 このような大局的な本は凡人には書けない。 経済と歴史の両方への深い洞察とそれらの洞察を「合成」する力がある人物にしか書けない本である。

一般にある分野を修めた人物が隣分野に移籍した場合によい仕事をすると言われている。 これもΠ字型人間の典型だろう。

私もΠ字型人間を目指している。 習得しているというか習得途中の分野は三国志と中国思想だ。

三国志は知識の絶対量ではやはり専門家には及ばないが、もちろん小さいころから読んでいるし、普通の三国志マニアよりははるかに知識がある。

中国思想は『論語』『大学』『中庸』『孟子』『荀子』『近思録』『老子』『韓非子』『孫子』「菜根譚』などを読んだ。 もちろん専門家に比べれば知識量は及ばないだろう。特に五経を読んでいないのが足りないところだ。 その中でも『易経』が重要だと思っている。中国思想の核心だ。占いの書であるが本来は思想書である。

それはともかく、三国志と中国思想が私が習得しつつある分野ということになる。 それぞれの分野では私は専門家におよばないし、本当の専門家たちには専門家にしかない凄さというものがある。 しかし素人には素人にしかない利点というのも同時にあると私は思っている。必ずしも素人である点を悲観していない。 素人なりに二つの分野を「合成」できれば良い論文を書けると思う。 そしてほかの分野も広く浅く学んでいるつもりだ。

私には三国志と中国思想の違いが分からない。 三国志を抽象化しその本質のみを述べたのが中国思想だし、 中国思想のひとつの具体的な現実における現れが三国志なのだと思う。

三国志と中国思想は同じものを別の角度から述べたに過ぎない。 そのように感じるということは三国志と中国思想の「合成」がある程度うまくいっている証拠ではないかと思う。 三国志の記事を当サイトにアップしているが、それなりに「合成」の成果ができているつもりだ。 まだアイデアの全部を書いたわけではないし、認める人も少ないが(笑)。

ヒトラーに関する本を最近読んでいる。あんな人間がなぜ生まれてしまったかという問題は研究すべき重要な問題だ思っている。 ヒトラー研究の大家にイアン・カーショーというイギリスの人がいる。 その彼が「ヒトラーはヒトラーによって説明ができない」と述べている。 どういう意味かというと、いくらヒトラーの行動や言葉、考えを分析してもヒトラーのことは分からないというのである。 ヒトラーの人生だけを研究するのではなく、ヒトラーを取りまくヨーロッパの社会的、政治的、経済的、思想的状況を詳しく知る必要がある。 そうしないとヒトラーを理解できないというのだ。

これはある意味当たり前のことを述べているが非常に示唆深い。 ヒトラー以外のことにも応用ができるからだ。

たとえば三国志も同様だ。言ってみれば「三国志は三国志によって説明できない」のである。 三国志だけを読んでいても三国志のことは分からない。 他の分野を勉強することで三国志のことがやっと分かってくるという意味だ。

しかし人間の能力は無限ではない。 すべての分野を完全に極めるということはできない。 だから三国志を読みながら、他の分野も習得するとなると時間が足りずなかなか難しい。 私のような凡人だとあと一つ二つ学ぶくらいが限界である。それで三国志と中国思想を学びΠ字型人間を目指すわけである。

三国志と経済、三国志と法律、三国志と現代政治、三国志と文学、三国志と技術史などいろんなタイプのΠ字型人間が可能である。 それぞれ恐らく他の人には見えない世界が見えてくるのだろう。

新聞である起業家が言っていた。 ひとつひとつの分野の習熟度はそれほど高くなくても、三つの得意分野を持つ人は他人にできないことができる。

三つの分野を得意にするのはなかなか難しい。私の場合だとあと西洋思想を追加できればと思っている。 しかし私には向いていないのか、壁にぶち当たっている状況だ。 いずれにしてもこれからも自分が本当に何をやりたいのかを見失わず研究を続けていきたい。

Π字型人間が成功するかどうかは「合成」ができるかどうかがカギだと思う。 要は相乗効果だ。「合成」ができていないΠ字型人間は、単にひとつの分野を修めた人が二人いるのと同じ状況になる。 例えば三国志を修めた人と中国思想を修めた人がひとりづつバラバラに存在するのと同じだ。 「合成」ができないと相乗効果が働かないのだ。1+1=2の世界だ。 「合成」できて初めて相乗効果が生まれる。1+1が3にも4にもなる。

わざわざ指摘しなくてもいいと思うが言っておくと、強引に合成しようとしたら失敗する。 自然に合成されるまで「待つ」くらいの気持ちのほうがいいかもしれない。 自然に合成されたら正しい合成の場合が多いと思う。

ヒトラーの思想ようにドイツの偉大さへの強烈な信念と反ユダヤ主義とダーウィニズムが奇怪に合成された例もあるので、 必ず正しい合成になるとは言えないが。 ヒトラーもその読書歴において自分の読んだ本を自然に合成したかもしれないからだ。

隣の分野だと合成しやすい。全く違う分野だと合成は難しい。 しかし普通は結びつかない分野が正しく結びつくと、 隣分野を合成するより大きな力を発揮すると思う。

私の場合の三国志と中国思想は明らかな隣分野だ。 そんなに能力がなくても合成しやすい。失敗するリスクは少ないかもしれない。 それでも私にとっては大変だが。

堺屋太一氏の経済と歴史も明らかな隣分野。 もっとも彼は非常に能力があるし、彼ほどうまく合成ができた人は現代日本ではそんなに多くないと思うが。 いずれにしても隣分野は合成がしやすい。だからこれがお勧めである。

異質な分野を合成した人物としてナポレオンを例に挙げる。 河出文庫の『フランス革命』という本がある。碩学による概説書である。 ナポレオンの少年時代や若い頃の学業に関する記載がある。 人間の価値観は通常は若い頃につくられる。40代になって急にキリスト教に回心したとかいう場合は別だが。 だから歴史上の人物の価値観を知る上で、若い頃に何に興味を持ち何を学んだがを分析するのは必須である。

父の庇護者の口利きで、フランス本国に留学し、国王給費生としてブリエンヌ兵学校への入学を許される。ときに10歳。 肌は浅黒く、背は低い。口数は少なく、人を射るような眼が鋭い。敵国語だというのでフランス語を覚えようともしない。孤独。 15歳でパリの士官学校に進学。翌年卒業の時は58人中の42番。 この悪い成績の中で、数学のずば抜けた才だけは、教師も学友も認めるところであった。 いっぽう歴史に対しては情熱を燃やす。 自意識が強い孤独な魂の中で、数学と歴史という、ふつう結び付かぬものが化合する。 大局を見る眼、そして緻密な計算、これが彼の行動を一貫し、彼を権力に押し上げる
『フランス革命』

この碩学の文章を分析する。 ナポレオンは数学と歴史が得意であった。数学と歴史は隣分野では決してない。 「自意識が強い孤独な魂の中で、数学と歴史という、ふつう結び付かぬものが化合する」とあるように、 ナポレオンという人格の中で、数学と歴史という全く違う異質の分野が「合成」される。 普通は結びつかない分野が正しく合成されると、 隣分野を合成するより大きな力を発揮すると思うと私は述べたが、 ナポレオンはその典型のひとつだと思う。

「大局を見る眼」、これはナポレオンは歴史から得たのであり、「緻密な計算」、これは数学から得たのである。 そしてそれらがナポレオンの中で合成される。 「これが彼の行動を一貫し」とあるように、数学と歴史が合成されてできた思想がナポレオンの人生における行動を一貫しているというのだ。 「彼を権力に押し上げる」とあるように、この合成力がナポレオンに権力を与えたのである。 おそらくナポレオンはΠ字型人間の典型である。

I字型人間はこれまでに存在する分野を習熟するには有利であるが、Π字型人間のほうが新しいものを生み出すには有利なのかもしれない。


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■上部の画像は山下清

■作成日:2019/08/26