「素材」「酵素」「発酵」については既に述べたので、どのような時に「発酵」の結果である、良い考えが自己組織化するかを論じたい。『思考の整理学』から引用する。
どういうところでいちばんいい考えが浮かぶか。科挙という国家試験が古くから行われた中国では、そのことが真剣に考えられたのであろう。科挙では文章を綴る能力が試験されたから、われわれがいま考えているよりもはるかに、文章が重視された。<<中略>>
すでに前にも述べたが、中国の欧陽修というひとは一般には三上ということばを残したとして、はなはだ有名である。三上とは、これまた前の繰り返しになるが、馬上、枕上、厠上である。
これを見ても、良い考えの生まれやすい状況を、常識的にみてやや意外と思われるところにあるとしているのがおもしろい。
馬の上、半分寝ているとき、トイレにいっている時の3つが挙げられている。さらに引用する。
ものを考えるには、ほかにすることもなく、ぼんやり、あるいは、是が非でもと、力んでいてはよくない、というのが三上の考えによっても暗示される。
ワールドロップ『複雑系』に次の記述がある。ブライアン・アーサーというエコノミストの言葉である。
だれもが独自の研究スタイルをもっている、とアーサーはいう。ある研究問題を城壁に囲われた中世の町のようなものと考えるなら、多くの者が、破城槌のように、それに真っ向から挑むだろう。城門を攻撃し、鋭い知性とすぐれた頭脳で警護隊を打ち破るだろう。
だがこれまで、アーサーは、破城槌的アプローチが彼の強さであると考えたことはない。「自分はのんびり考えるのが好きだから、城の外に陣取るよ。そして考える。そうすればいつか-たぶんまったく違う問題に目を向けているときだろうが-吊り上げ橋が降りてきて護衛兵がいう。『降参だ』。ただちに問題の答えが見えてくる。」
破城槌的アプローチは恐らく良くない。強引に導いた考えは、常にとは言わないが多くの場合、強引な解決策になっていることが多い。待つことでひとりでに自己組織化した考えは、自然な解決策になる。
アーサーも「たぶんまったく違う問題に目を向けているとき」に解決策を思いつくと言う。欧陽修と一致する。「良い考えの生まれやすい状況を、常識的にみてやや意外と思われるところにある」と外山氏が述べているのと一致する。ブライアン・アーサー、欧陽修、外山滋比古の三人の意見が一致している。ちなみに私の意見も一致する。
私と外山滋比古で唯一相違するのは「半分寝ている時」の解釈である。「半分寝ている時」にいい考えが浮かぶのは一致するが、それが朝なのか夜なのかが相違する。『思考の整理学』から引用する。
だいたい、夜、寝る前に、あまり深刻なことを考えるのはよくない。寝つきを妨げる。眠ろうとすると、かえって、あとからあとからいろいろなことが頭に浮かんでくる。こういうときに、妙案があらわれるのは難しい。
寝る前には、あまり、おもしろい本を読むのも考えものである。いつまでも刺激が尾を引く。心が高ぶって、寝つきが悪い。おそくなってから、コーヒーや紅茶を飲むのはいけないのは知っているのに、興奮するような本を平気で読んでいる人がいる。なるべく、頭を騒がせないことだ。そして朝を待つ。
枕上も、夜の時間ではなく、朝の枕上だと解したい。われわれの多くは、この朝のひとときをほとんど活用しないでいるのではあるまいか。いやしくも、ものを考えようとするのであれば、目をさましてから、床を離れるまでの時間は聖なる思いに心をこらすことを心がけるべきであろう。
外山氏は典型的な朝型のようである。私は典型的な夜型。布団に入り眠る前までに良い発想が浮かぶ。必ずメモ用紙と鉛筆を用意している。良い考えが浮かんだら必ずメモを取る。寝る前に考えると寝つきを妨げる と外山氏は言うが、私の場合、例えば翌日朝7時起床予定とすると、前の日の夜10時には布団に入る。それからぼんやりと日中に考えたことを思い出す。するとしばらくするといい考えが湧いてくるときがある。そして大体夜12時ころまでには眠りに落ちる。だから7時間の睡眠は確保できる。無理に寝ようとはしない。たしかに稀に寝つけないときもあるが、部屋を暗くして布団に入り目をつぶって9時間横になっているだけでも、けっこう疲れはとれるものだ。あまり寝てないつもりでも意外と気づかないうちに睡眠に入っていたりする。
朝か夜かは意見が違うが、いずれにしても「半分寝ている時」にいい考えが浮かぶというのは共通している。
天才論で天才とは合理性とインスピレーションを兼ね備えた人だと述べた。集中とリラックスでもいい。天才は合理性とインスピレーションを同時に持てる。しかしわれわれ凡人には難しい。しかし時間をずらせば、われわれでも合理性とインスピレーションの両方を持つことは可能である。
覚醒時は合理性優位である。集中優位である。そのときに情報を集めたりいろいろ考えたりする。そしてその状態で布団に入る。その後はインスピレーション優位である。リラックス優位。要は時間をずらすことで合理性とインスピレーションの両方を得ることができる。疑似天才である。それで半分寝ているときにいい考えが浮かぶ。『思考の整理学』から引用する。
そのためには、タネがいる。ぼんやりしていたのでは、何も生まれない。考えごとがあるから、着想が出てくる。
半分寝ているときにいい考えが浮かぶからといって、一日中半分寝た状態でいいかというとそうはいかない。半分寝ているときにいい考えが浮かぶためには、「タネ」がいると外山氏は言う。覚醒時にいろいろ考えたり素材の理解に努めたりする必要がある。「ぼんやりしていたのでは何も生まれない」のである。覚醒時の「考えごと」があるから、半分寝ているときに良い「着想が出てくる」のである。
「発酵」のためにはどれくらい寝かせておいたらいいのか。引用する。
こういうビール作りになぞらえた論文のテーマの話をすると、学生が質問する。
どれくらい寝させておけば、発酵するのか、というのである。
これが一律には行かないところが、ビール作りとは違うところで、ビールは一定の時間寝させておけばいいが、頭のアルコール作りは、ひとによって、また、同じ人間でも、場合によって、発酵までに要する時間が違っている。
しかし、もうよろしい、発酵が始まったとなれば、それを見過ごすことは、まずないから安心してよい。自然に、頭の中で動き出す。おりにふれて思い出される。それを考えていると胸がわくわくしてきて、心楽しくなる。そうなればすでにアルコールの発酵作用があらわれているのである。
さらに引用する。
大きな問題なら、むしろ、長い間、寝させておかないと、解決に至らない。考え出して、すぐ答の出るようなものは、たいした問題ではないのである。本当の大問題は、長い間、心の中であたためておかないと、形を成さない。
日本をどうやって良い国にするかという問題も、長い年月をかけて素材を集め、酵素を投入し、発酵を待ち、日々考えていないと解決策は思いつかない。
最後にあせらず自然に発酵を促すためのアイデアを引用して終わりたい。
アメリカの女流作家、ウィラ・キャザーが、
「ひとりでは多すぎる。ひとりでは、すべてを奪ってしまう」ということを書いている。ここの「ひとり」とは恋人のこと。相手がひとりしかいないと、ほかが見えなくなって、すべての秩序を崩してしまう、というのである。
着想、思考についても、ほぼ、同じことが言える。「ひとつだけでは、多すぎる。ひとつでは、すべてを奪ってしまう」。<<中略>>
論文を書こうとしている学生に言うことにしている。
「テーマはひとつでは多すぎる。すくなくとも、二つ、できれば、三つもって、スタートしてほしい」。
きいた方では、なぜ、ひとつでは「多すぎる」のかぴんと来ないらしいが、そんなことはわかるときになれば、わかる。わからぬときにいくら説明しても無駄である。
ひとつだけだと、見つめたナベのようになる。これがうまく行かないと、あとがない。こだわりができる。妙に力む。頭の働きものびのびしない。ところが、もし、これがいけなくとも、代わりがあるさ、と思っていると、気が楽だ。テーマ同士を競争させる。いちばん伸びそうなものにする。さて、どれがいいか、そんな風に考えると、テーマのほうから近づいてくる。「ひとつだけでは、多すぎる」のである。
わたしも常にテーマは2つ、3つ抱えている。ひとつが行き詰ってもほかがある。うまく行かないのはいったん休めて、ほかを優先したりもする。あせらず正しいペースで取り組める。これで正しい発酵が生じるはずだ。
以上で終わりです。
■作成日:2026年3月6日
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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。