韓非子やマキャベリは非常に危険である。ワーグナーのような勘違いをする人を生む可能性があるからである。そしてワーグナーはヒトラーを生んだ。ワーグナーの言った通り、ヒトラーは人間性を排除したのである。エリック・ホッファーに次の言葉がある。
二十世紀におけるスターリンとヒトラーによる残虐行為は、十九世紀に蒔かれた言葉の種子の果実である。二十世紀の残虐行為で、十九世紀の貴族が暗示しなかったものはほとんどなく、提唱されたものさえ少なくない。
韓非子やマキャベリが危険なのは、彼らが正しいからである。正しくなければほんの少しの人たちが彼らに従うだけであるから、危険は少なかったはずである。彼らが危険であるもう一つの理由は、彼らの思想が真理の一部分しか表していない点である。
上のグラフが真理の大雑把な全体像とすると、彼らはB区間のみしか表現していない。全体像を提示していれば危険は少なかったはずである。しかし彼らは真理の一部しか表現できていないため、ワーグナーのような間違えた思想を生んでしまう可能性がある。
ヒトラーは19世紀ドイツという人類史上屈指の偉大な伝統を受け継いだ。そのドイツを世界のトップにするという「偉大な」事業のため人間性をすべて放棄したのだと思われる。ワーグナーの間違えた思想と、19世紀ドイツの偉大さが混ぜ合わさって、ヒトラーが出現したのである。
■2024年12月6日追記。
モンテーニュ『エセー』に次の言葉がある。
人々は自分から抜け出し、人間であることから逃げたがる。愚かなことだ。天使に変身しようとして、獣に変身する。背伸びをする代わりに倒れこむのが落ちだ。
偉大になろうとしたヒトラーは獣になってしまったのである。
■追記終。
■2025年9月18日追記。
スターリンはソ連国内において粛清を行った。エリック・ホッファーが述べた通り、残虐行為と言っていいのかもしれない。事情を良く知らない人は、スターリンが単に権力欲に取りつかれて残虐行為に及んだと思う。そうかもしれないが、それは物事の一面しか捉えていない解釈である。
私は少しだがロシア史を読む。ロシア革命は熱い。19世紀から革命を目指す志士たちは、自由と民主主義に情熱を燃やした。多くの志士たちは志半ばで倒れてしまうが、その遺体を多くの志士たちが次々と乗り越えて、革命を実現していく。
ロシア革命で自由は実現した。しかしここで論理の逆転が生じる。「自由の実現という偉大な使命を持った革命を遂行、継続するためなら、それに反対する人は抑圧してもよい」という論理が生じたのである。
山川出版社『世界歴史大系ロシア史3』の216頁から引用する。
市民の権利に関し、もうひとつ重要なのは、いわゆる目的条項である。「勤労者の利益に適合しかつ社会主義体制を堅固にする目的で、ソ連邦の市民に、法律によりつぎのことが保障される。言論の自由、出版の自由、集会および大衆集会の自由、街頭行進および示威運動の自由」というように、自由の保障を特定の目的に関連づけて規定したのである。これは、その「目的」にそぐわないとみなされる自由を抑圧する根拠として機能する。
スターリンは革命の目的にそぐわない自由を抑圧するようになったのである。
同じく216頁から引用する。
こうして、「選挙制度の民主化」は、その内的論理にしたがってその反対物と化した。「民主的な制度が無視された」のではなく、民主的制度をもたらした論理そのものが、その空洞化の可能性を包含していたのである。
多くの人々はスターリンが民主主義を無視したと思う。しかし実際はそうではなく「民主的制度をもたらした論理そのものが、その空洞化の可能性を包含していたのである」。
さらに219頁から引用する。
「民主主義を蹂躙している官僚主義者の摘発」というかたちでテロルが進行していったのである。
スターリンは民主主義を守るために粛清に及んだ。 ヒトラーもスターリンもモンテーニュが言うように「天使に変身しようとして、獣に変身」したのである。
このモンテーニュの言葉は単にヒトラーやスターリンの行動を分析するうえで重要なだけではない。この言葉は過去に関するだけでも他人事でもない。現在もしくは未来において何か偉大な事業を成し遂げようとする人が現れるかもしれない。そういう人はモンテーニュの言う通り、「天使に変身しようとして、獣に変身する」可能性がある。現在や未来においても重要な指摘であると言える。
■追記終。
ヒトラーが権力の座にのし上がった原因はその演説にある。下の動画をご覧ください。
ヒトラーが権力をとった原因はその演説にあり、その演説が効果的だった原因はその情熱にあり、その情熱の原因は19世紀ドイツ文化の偉大さにある。
■2024年12月10日追記。
ラ・ロシュフーコー『箴言集』に次の言葉がある。
情熱はどんな相手でも説得してしまうただひとつの雄弁家である。それは常に正しく動く自然の働きのようである。どんな単純な人間でもひとたび情熱を持つと、きわめて雄弁であっても情熱を持たない人間よりも、うまく相手を説得してしまう。
選挙でも聴衆は、立候補している人が何を話しているかを聞くというよりも、立候補者が情熱をもって話しているか信念をもっているかを見る。だからヒトラーが再び現れる可能性はゼロではない。
ラ・ロシュフーコー『箴言集』からさらに引用する。
情熱は時に、不正と私欲を含む場合がある。であるから、情熱に盲目的に従うのは危険である。どんなに信じられるように思われる場合であっても、用心しなくてはならない。
選挙の立候補者が持つ情熱は、たしかに正義や使命感から来ているかもしれない。しかし、不正や私欲も情熱を生むことがある。ヒトラーの愛国心のように、きわめて偏狭である場合もある。情熱を持っているかも重要だが、何を話しているかも重要なのである。
■追記終。
ラ・ロシュフーコーの『箴言集』に次の言葉がある。
生まれつきの残忍性は、自己愛がつくるほど多くの残忍な人間はつくらない。
ヒトラーの幼年時代を調べると、特に他の子どもと比べ残忍であったとの記述はない。彼の後年の残忍さは自己愛に由来し、自分が属するドイツ文化への偏狭な愛国心に由来する。自己愛によりいたましい虐殺が生じてしまった。
ヒトラーがなぜ出現したのかという理由はヒトラーの外面的行動を分析しても分からない。ヒトラーの専門家であるイアン・カーショーは「ヒトラーはヒトラーによって説明できない」という。ヒトラーの外面的行動をいくら分析してもヒトラーの本質に迫れないというのだ。
外面的行動の分析も重要である。しかしヒトラーのその外面的行動の原因を知るためには、ヒトラーの思想を分析する必要がある。なぜなら人は自分の思想に従って行動するからである。
それはヒトラーに限らない。誰だってそうである。例えば三国志の諸葛孔明も同じだ。彼の人物像を正しく捉えるには、彼の行動の原因を知るには、彼の思想を知る必要がある。孔明は古代中国人であるため、彼の思想を知るには中国思想を理解する必要がある。
現代日本人で孔明を研究する人たちは、中国思想の細部の知識は持っているようだが、中国思想の本質を捉えていない。だから孔明の人物像を捉えていない。ひと昔前の研究者である植村清二氏や宮川尚志氏は、すぐれた直観力で孔明の本質を捉えている。しかし彼らは確かに、中国史に詳しく、さらにすぐれた直観力を持っているのだが、中国思想の本質は捉えていないようであり、彼らの孔明理解は完全ではないと思われる。それに比べ、宋儒をはじめとする中国の本格的思想家たちは孔明の本質を見事にとらえている。現代日本の「人文科学者」より、宋儒のほうが桁外れに偉大である。
ヒトラーの出現防止で重要なのは真理を正しく理解することである。上のグラフを正しく理解することだ。ヒトラーがすでに出現してしまったら、政治や軍事で制圧する必要はある。しかし出現する前に防止するには、真理を理解し、正しい思想を持つことである。それが根本的対策である。
ヒトラーやワーグナーについて分かったかのように論じたが、私はもとよりヒトラーの専門家でもなく、ワーグナーに詳しいわけでもない。読む人は鵜呑みにしないようにしていただきたい。学問の歴史でも素人が何かしらの学問的貢献をすることもあるが、それは専門家のチェックが必要である。専門家に最終的判断はゆだねたいと思う。
続きは終わりにをご覧ください。
■作成日:2024年12月3日
■上部の画像はガウディ
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