政治家の大きな誠実さと小さな誠実さ

マキャベリを生んだヨーロッパでは政治家は道徳的な正しさは、そこまで厳密にチェックされないという伝統があるようだ。たとえ道徳的に立派だったとしても、能力が足りなければ、社会を混乱に陥れる可能性がある。多少道徳的に問題があっても、能力があれば、社会を正しく安定させることができる。

もちろんあまりに道徳から大きく外れると、大きな問題が生じるので明らかにダメであるが、小さな道徳違反はあまり気にしないという伝統である。

トルコにケマルアタテュルクという人がいた。滅亡寸前のオスマントルコに生まれ、トルコ滅亡寸前に新生トルコ共和国を建国し、トルコを救った英雄である。彼は酒と女性にだらしがなかったという。もちろんそれは問題ではあるが、トルコを滅亡から救ったという功績の前には、その欠点はかすんで見える。

日本では政治家はその仕事と同じくらい、いやそれ以上に小さな道徳的側面がチェックされる。私個人は政治家の細かい失言などには興味がないが、小さな道徳的側面を適度にチェックするのは賛成である。政治家の腐敗をあらかじめ防止できる。

しかしそれ以上に、政治家の仕事内容をもっと正しく正当にチェックすべきだと思う。小さい誠実さより、大きい誠実さのチェックのほうがはるかに重要である。日本ではメディアを含め、政治家を批判することに重点が置かれているが、政治家に功績があったときに正しく評価するのも同じくらい重要だと思う。それが正しいバランスである。

日本では、大きな誠実さである政治家の仕事内容以上に、小さな誠実さを重視する傾向があると思う。それは良くない。小さな誠実さをチェックしながらも、それ以上に大きい誠実さを正当に評価していくというのが正しいバランスである。

続きは人間性をあきらめるワーグナーをご覧ください。

■作成日:2024年12月2日


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