セフィロスと隣人愛

ではセフィロスは正しいのか。 それはもちろん違う。 セフィロスは人々のことを考えていない。 メテオによって人々に大きな犠牲が出てもかまわないと思っている。

REMAKEでエアリスはセフィロスに 「あなたは間違っている!」と言った。 クラウドたちに 「本当の敵は神羅ではない。」 「セフィロスは星と自分のことしか考えていない。」 と言っている。

マタイによる福音書第22章に次の言葉がある。 イエスは言われた。 「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。 第二もこれと同じように重要である。 『隣人を自分のように愛しなさい』律法全体と預言者はこの二つの掟に基づいている。」

セフィロスは「隣人を愛する」という部分が完全に欠落している。 だからセフィロスの理念には最終的に賛同できない。

マタイによる福音書はここで日本人には分かりづらい内容が書かれている。

「神を愛す」と「隣人を愛す」の2つのうち「神を愛す」が第一に置かれている。 「隣人を愛す」は第二である。

イスラム教においても同様だという。 彼らも家族をとても大切にするが、 神と家族のどちらかをとらなくてはいけない場合、 神を優先する。

これが私を含む日本人には分かりづらい。

ユダヤ教も同様だ。 アブラハムというユダヤ人が創世記に出てくる。 彼にはイサクというかわいい息子がいた。 神はアブラハムに「息子イサクを私に捧げよ」と命じた。 アブラハムは言われた通りイサクを祭壇のうえで殺そうとした。 その瞬間ふたたび神の声がして 「あなたが神を畏れる者であることが分かった。 イサクを殺さなくてよい。」 と告げられる。

要は神を家族より優先するのである。 これがユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの一神教で一貫している。 この神の絶対性が我々日本人には分かりづらい。

セフィロスが人々のことを考えないのもこの神の絶対性の考え方にやや近い。

しかし3つの一神教ではセフィロスと違い「隣人を愛す」と言うのも非常に重視されている。 だからセフィロスの思想は一神教的に見てもやはり最終的に間違えており、共感できない。

ちなみにREMAKEでエアリスとセフィロスには「2周目疑惑」がある。 なぜかエアリスは今後起こることを知っている。 セフィロスもオリジナルではクラウドのことをあまり覚えていなかったのに、 REMAKEでは執拗にクラウドに接触してくる。 恐らくクラウドこそセフィロスの計画を挫折させると知っており、 クラウドに自分の計画に加担するようにしつこく迫ってくるのだろう。

クラウドやエアリスをすぐに殺せばセフィロスの計画が実行できるのだが、 おそらくフィーラーが邪魔するのを知っており手を出せないのかもしれない。 フィーラーが神羅ビルでバレットを救ったように。 フィーラーは「運命の番人」というが正体は分からない。 星の意思なのか。

続きはエアリスと約束の地をご覧ください。


■上部の画像はガウディ

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作成日:2020/7/17

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