星の生命とセフィロス

天才にも2種類あって「常識を大切にしつつ常識にとらわれない」孔子やアリストテレスのような天才と 「常識を嫌い常識にとらわれない」老子やニーチェのような天才とある。

一概には言えないが個人的には恐らく孔子やアリストテレスら常識も大切にする天才のほうが 老子やニーチェより偉大だと思う。

偉い順に並べると 常識を大切にしつつ常識にとらわれない天才> 常識を嫌い常識にとらわれない天才> 健康な平凡人> 精神病者 となる。

セフィロスは常識を無視する天才であり、 エアリスは常識を大切にする天才だろう。

セフィロスは星のエネルギーを集めてそれを自分のエネルギーにして、 神となると言った。

無意識の力を用いて高い次元に達するというのは恐らくほぼ全ての宗教に共通する。 仏教の修業もその典型である。

原則自分自身の無意識を用いて修行するのである。 セフィロスのように星全体のエネルギーを用いて修行はしない。 ただ森や洞窟にこもって自然の気を取り入れて修行をすると言うのはよくある話。 空海が高野山という山深い場所に修行場を設けたのも自然の気をすぐに補充できるからだし、 空海や達磨、イスラム教の開祖ムハンマドが洞窟で修業したのも、 洞窟では山の気が充溢し気の補充が容易だからだろう。

しかし森や山の気を取り入れるのは食事で言えばサプリメントと同じで、 中心となる三度の食事はあくまで自分自身の無意識を用いる修行法であるとずっと私は思っていたが、 数日前読んだ気功の本にも外からの気の補充は内面化しずらいと書いてあり、 気功の名人と以前からの私の意見が一致したので少しうれしかった。

ただFFVIIはゲームであるから、 現実ではないことも表現できる。 セフィロスは星のエネルギー全てを用いて高い次元に達するという。 そのエネルギーは想像を絶する。

人間一人の無意識でさえ我々は日頃気づかないがものすごいエネルギーを持っている。 我々平凡人であってもである。 ライフストリームの中でクラウドを救った後のティファの言葉は印象的。 「人間って自分の中になんてたくさんのものをしまっているんだろう。 なんてたくさんのことを忘れてしまえるんだろう。」 修行において自分の無意識を使いつくすのさえ不可能である。

ライフストリームはそれに触れる者を狂気にする。 それに対して例えばヒンズー教においてガンジス川は全ての罪を清めると信じられている。 同じ「ストリーム」でも対照的だ。 宗教的修行を達成した後の高次の精神性はそれに触れる者を浄化する。 イエスが多くの人の罪や病気を癒したのも同様である。 ガンジス川も同様と信じられている。

ライフストリームは修行が行われる前のなまの無意識だが、 ガンジス川やイエスは修行達成後の高次の精神性である。

私もガンジス川のバラナシに行ったことがある。 ガンジス川は汚れていて清められるという印象はなかった。 しかし感じるところは確かにあった。 生と死を超えた「死後あそこに帰るのかな」と思わせる場所が ちらっと見えた気がした。 FFVIIのすべての生命が帰る場所、ライフストリームと共通する何かである。 私にはコスモキャニオンがバラナシに見えて仕方がない。

話がそれたがいずれにしてもセフィロスには神になる意志と能力がある。 だからこそ強烈な信念のもとに多大な犠牲を払っても自分の計画を実行するのである。 セフィロスは確かに崇高な理念に基づいていると言える。

続きはセフィロス 隣人愛の欠如をご覧ください。


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作成日:2020/7/17

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