イスラム教のイエス観

次にイスラム教の預言者観を述べる。

まず私のコーランとの出会いから述べる。

インドネシアのジョグジャカルタに旅行で行ったとき。 私は前の日、変なものを食べて腹を下してホテルで寝込んでいた。 寝ぼけまなこでうつらうつらしているときに、 突然異様な迫力を持った声が大音量で聞こえてきた。 その声は圧倒的で、あたかも神の声のようだった。 私はその時、自分が神の声が聞こえるようになった、とは思わなかった。 私が思ったのは「ああ・・これがコーランか・・!」という思いだった。

コーランは神の声のように聞こえる。少なくともイスラム教徒にとってはそうである。 ムハンマドという預言者の上に神が降り立ち、 がムハンマドを通してその言葉を発したのがコーランだと信じられている。

しかしイスラム教は預言者の神性を認めない。 預言者は神の言葉を預かったとはいえ人間に過ぎず、 預言者と神とは全く違うというのがイスラム教の教義である。

ムハンマド自身自分のことを「飯を食べ市場を歩く者」と述べ神ではないことを強調した。

結論をもう一度書くと、

①イエスの中で神は生きておりイエスは神の器であった。
②イエスは神そのものとは別主体である。

イスラム教は②のイエスは神とは別主体だという点は同意する。 そしてイエスを預言者と認めている以上、 恐らく①のイエスの中で神が生きているという点も同意すると考える。 もし同意しないのであれば私とは別意見ということになる。

キリスト教は①に関しては同意する。 ②に関しイエスと神がまったく同じと考えるのであれば私とは別意見となるが、 良識的な人は②についても同意するのではないか。

恐らくキリスト教イスラム教双方とも良識的な人は①②両方に同意するのではないか。 それを前提として次に進む。

■2023/1/10追記。
この記事を書いた時点ではキリスト教の教義をよく知らず上記の記載をしたが、キリスト教の教義を知るにつれて、キリスト教ではイエスを完全な神と同一視するということが分かってきた。そうなるとすると私の意見はキリスト教徒は相違するということになる。ユダヤ教ではイエスを似せ預言者とし、キリスト教ではイエスを神とする。イスラム教ではイエスを預言者とするが神とはしない。私の意見はイエス観という点ではイスラム教に近いのかなと思う。もっとも私はイスラム教徒ではない。豚を好んで食べる。

続きはヴィトゲンシュタインと言葉の使い方をご覧ください。


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作成日:2020/12/07

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