精神の拡大

精神の大きさという概念は理解いただけるだろうか。 尊敬している人はだれしもいるだろう。 例えば私は空海を尊敬しているわけだが、 あれだけ偉大な漢詩を書き、サンスクリット語も3ヶ月で完全に習得し、仏教で悟りを開き、 一体私の何倍の精神を持っているのだろうかと思う。 つまり空海は私より精神が大きいのだ。

ベートーヴェンの第九の第四楽章を聴くとなんと壮大ななんと偉大な音楽かと思う。 ベートーヴェンは私より精神が大きいのだ。

精神が大きい人ほど優れた仕事をする。 みなさんも「あの人いくつ脳があるんだろう」と思うような仕事をするひとにあったことがあるだろう。

逆に5歳くらいの子供を見るとまだ精神が小さいと我々は感じる。 これが精神の大きさの意味である。

図示する。図1が精神の小さな平凡人である。 図2が精神の大きな偉人だ。


精神の拡大という現象がある。 精神が大きくなる。要は凡人が偉大な人物になる方法である。 図3がそれである。

精神の拡大は仏教修業が有名だが当然一神教にもある。 精神は同心円状に拡大していきもし神が存在するなら最終的に神に到達する。

ムハンマドは神と接触する前にずっと洞窟にこもって瞑想していたという。 洞窟は山気が充溢し修行に最適な場所である。 空海や達磨も洞窟で修業したと言われ空海が山深い高野山に修行所を建てたのも 山気が修行に役立つからである。

恐らくムハンマドは洞窟の中で精神の拡大を行っていたはずであり、 その結果神と接触したと思われる。 イエスも断食している点からして修業時代はあったと思われる。 この精神の拡大が人間の側から神に近づく方法である。

逆に神から人間に近づく場合もあるだろう。 ムハンマドも神の言葉=啓示が降りてきて神の言葉を話すときがあれば、 話さないときもある。 恐らく神の側から人間に近づいたり離れたりすることもあるはずだ。 これは人間の努力の及ばない作用である。

続きは神の器としてのイエスをご覧ください。


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作成日:2020/12/07

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