神とイエスは別主体

イエスの中で神は生きていた。 イエスは「神の器」であった。 しかし彼は神と全く同一というわけではない。

イエスは何度も父なる神に語りかける。 それはイエスと神が別の主体であるからだ。

自分が殺されることを悟ったイエスが神に語りかける場面がある ルカによる福音書22章42節に次の言葉がある。

父よ、御心ならこの杯を私から取りのけてください。 しかし私の願いではなく御心のままに行ってください。

イエスは神に自分を殺さないでくださいと祈っている。 これはイエスと神が別の主体だからである。 イエスが十字架にかけられて息を引き取るときの言葉がマタイによる福音書27章46節にある。

わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。

イエスのこの言葉もイエスと神が別主体だからこそ発せられた言葉である。

コリントの信徒への手紙1の15章28節に次の言葉がある。

御子自身もすべてをご自分に服従させてくださった方に服従されます。 神がすべてにおいてすべてとなられるためです。

「御子」はイエス。「すべてをご自分に服従させてくださった方」は神自身。 やはりイエスと神を別主体としている。 私の結論は下記の2点である。

①イエスの中で神は生きておりイエスは神の器であった。
②イエスは神そのものとは別主体である。

続きはイスラム教のイエス観をご覧ください。


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作成日:2020/12/07

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