日本の思想的行き詰り

現代日本の思想的状況は良くない。植物で言うと土壌の質が悪い。しかしそれでもなんとかそれなりに戦えているのは、日本人の資質が良いからだ。植物で言うとタネが良い。

日本の思想的行き詰りを打破するのは、日本や東洋の思想と西洋思想の正しい合成である。しかしこの合成は非常に難しい。

「オペラクゴ」なるものがある。読んで字のごとくオペラと落語をつなぎ合わせたものだ。木に竹を継いだようなもの。これは正しい合成ではない。西洋と東洋の融合などというと、オペラクゴのような訳の分からないものが現れてくる可能性がある。そんなことになるなら西洋思想は西洋思想として、東洋思想は東洋思想として別々に研究したほうがいい。私はオペラも落語もどちらも尊敬している。だからこそ中途半端にいっしょにされるのがいやなのである。

図示する。

西洋思想と中国思想と日本文化がある。その合成となると下の図のようになる。

上図の黄緑の部分を補う必要がある。これをいきなり全部補おうとしても無理である。しかしありがたいことに日本には先人たちが残したすぐれた仕事が残っている。例えば儒教や中国仏教と日本文化をつなぐ仕事はすでにある。下図の青色の部分である。これは千年以上にわたる日本人の先人たちの努力でかなりの程度でき上っている。これを「思い出す」だけでも効果はある。

日本文化と西洋文化の合成は下図の水色の部分。

日本文化と西洋文化の合成は十分ではない。ただ明治維新から160年を経過しているためある程度の積み重ねがある。

文化に関しては私は何をどうしたらいいか全くわからないので何の提言もしない。しかし思想に関しては恐らくまず神道で日本人らしさを保持しつつ、そして儒教などの中国思想と、仏教などのインド思想を思い出しながら、さらに西洋思想を取り入れていくのが良いと思われる。

日本人らしさを保つうえで神道は大切である。これが基本となる。しかしそれだけでは足りない。「天才論」でも述べたが、必要なのは「合理性」×「インスピレーション」である。

儒教などの中国思想はかなり合理的にできている。合理的な西洋思想を取り入れるのに中国思想のワンクッションが必要と思われる。

さらに仏教というインド思想からインスピレーションを持ってくることができる。仏教という古代インドの奔放な想像力と豊かなインスピレーションを十分に活用できれば、西洋思想をより深く理解できる可能性がある。

神道、儒教、仏教の思想を思い出すことで我々は千数百年にもおよぶ先祖たちの血と汗と涙の力を借りることができる。実際、日本の過去の思想家たちは非常にすぐれている。

儒教と仏教を活用するということは、古代中国の聖賢、古代インドの聖賢たちの力を借りるということでもある。中国とインドの片方だけでもものすごい力をもっている。日本の伝統思想を現代的に復活できれば、中国とインドの両方の思想を活用できる。成功すれば大きな力が生じる。ただそれは非常に難しくできるめどは全く立っていない。

「みんなが花になるなら土になれ」という言葉がある。現代日本は背景的思想という意味での「土壌」があまり良くない。思想が深くない。人間という植物で言う「タネ」はよいので、それなりにビジネスという花が咲いていた。恐らく土になるより花になったほうがいいのだろう。ビジネスという花を咲かせると、必ず金持ちになる。土になっても金が得られることはない。しかしみんなが花になるなら土になったほうが大きな効果を生むかもしれない。みなが横糸になるなら縦糸になったほうが全体としての効率がいい。明らかにコスパがいいのだ。

私が目指しているのは儒教、仏教、神道という日本の伝統思想を思い出しつつ、さらに西洋思想を取り入れていく事である。一見当たり前の結論である。松下幸之助『道は無限にある』から引用する。

古い器に新しいものを盛るということがありますが、伝統は古いほどいいと思います。しかし、その古い伝統を古いままにしておいてはならないと思うのです。古い伝統に新しい時代性を生かしていくのです。伝統をたち切って、根なし草のような花を咲かすのではありません。それは一夜にして枯れてしまいます。そこには本当の意味の生命はないと思います。ですから、伝統はどこまでも尊び、守り抜かねばなりませんが、しかしその伝統の上に新しいものが生れてこない、生きてこないとするなら、伝統は伝統として誇るべきものを持たないということにもなると思うのです。

伝統を古いまま伝統として保存する人は必要である。例えば能楽師は能という文化を古いまま保つ必要がある。しかし我々一般人は能という日本の伝統からヒントを得て新しいものをつくっていく必要がある。松下幸之助はそのことを述べている。「古い器に新しいものを盛る」ということである。

松下幸之助『道をひらく』から引用する。

ただひとりだけの小さな幸せに満足することなく、おたがいに、この国日本を満たす大きな夢と確固とした志をもたねばならない。長い伝統に培われた日本人本来の高い精神と私たちが今日までたくわえてきた自立力とを、いまこそ新たな時代にふさわしい新たな姿で政治や経済、教育や文化に正しくよみがえらせたい。日本を生き生きとした民主主義の国にするために。この世界により大きな幸せをもたらすために。

日本が長い間停滞している原因は、ひとつにはすでに述べたように思想的状況が悪い点にある。日本人の能力というより、日本人の置かれたシステムに問題があると言ってもよい。思想的文脈である。人の問題というよりシステムの問題なのである。『最強組織の法則』から引用する。

同じシステムに身を置けば、人はいくらちがっても同様な結果を生みやすい。システムの点から見ると、重要問題を理解するには個人のミスや不運をこえた見方をしなければならない、ということがわかる。個性とか個々の出来事をこえた見方が必要なのだ。個々の行動を左右し、ある種の出来事が起こりやすい条件をつくる隠れた構造に注目しなければならない。天然資源問題の専門家・著述家であるドネラ・メドウズがその点をこう表現している。「真に深くかつ新鮮な洞察とは、システム自体がそのふるまいの原因であることに目を開かせてくれる、そんな洞察である。」

15年ほど前ITビジネスの研究をしていた時、ドン・タプスコットの『bweb革命』原題"Digital Capital"という本を読んだ。次の言葉がある。

Context reigns.
文脈が支配する。

ドン・タプスコットはこの言葉をITビジネスのみを念頭に置いて述べたのかもしれない。しかし私は当時この文章を読んだ時、たった英語2単語の言葉から、あたかも啓示のような印象を受けた。日本の長年の停滞の原因がこの"Context reigns."に簡潔に表されているような気がしたからだ。もっというと世界の多くの問題もこの言葉でその原因を表すこともできるかもしれない。

いずれにしても日本の停滞の原因は、日本の思想的文脈が悪化しているからである。思想が正しく合成されれば日本の状況は改善されると思われる。漱石が述べた西洋の思想技術を取り入れる際の消化不良も解決されるかもしれない。

続きは現代日本に生きた思想。をご覧ください。

■作成日:2024年11月30日


■上部の画像は葛飾北斎

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