西洋の科学者、思想家、芸術家、経営者は西洋の伝統の中で生きた仕事をしている。内発的に発展していく。しかし近代以降、現代の日本人の発展は多くの場合外発的である。外の文化を取り入れるので精一杯である。
夏目漱石の『現代日本の開化』という文明論がある。1910年の著作である。次の言葉がある。文中の「一般的開化」とは西洋の開化のことをさす。
現代日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかというのが問題です。もし一言にしてこの問題を決しようとするならば私はこう断じたい。西洋の開化、即ち一般の開化は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。ここに内発的というのは内から自然に出て発展するという意味で、ちょうど花が開くようにおのずからつぼみが破れて花弁が外に向かうのをいい、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水の如く自然に働いているが、御維新後外国と交渉を付けた以後の日本の開化はだいぶ勝手が違います。
漱石は西洋文明の発展は内発的であり、維新後の日本の発展は外発的であるという。私は西洋や伝統的日本は自然の中で生きている草花で、西洋文明を学ぶ現代の日本人を盆栽みたいなものだと言うが、同じことである。自然の中の草花は内発的に発展するからである。
漱石の言葉は次のように続く。
もちろんどこの国だって隣づきあいがある以上はその影響を受けるのがもちろんの事だから、わが日本といえども昔からそう超然としてただ自分だけの活力で発展した訳ではない。ある時は三韓またある時は支那という風にだいぶ外国の文化にかぶれた時代もあるでしょうが、長い月日を前後ぶっ通しに計算して大体の上から一瞥して見るとまあ比較的内発的の開化で進んで来たといえましょう。少なくとも鎖港排外の空気で二百年も麻酔した揚句、突然西洋文化の刺激に跳ね上がったくらい、強烈な影響は有史以来まだ受けていなかったというのが適当でしょう。
日本は有史以来、中国の影響を受けてきた。しかしそれは1000年以上かけてゆっくりとした海外文化の吸収であり、さらに朝鮮半島が陸で中国に接していたのと違い、日本は海を隔てていたため、距離があり、自分のペースで吸収することができた。漱石が「まあ比較的内発的の開化で進んで来たといえましょう」と述べている通りである。
日本は明治維新から外発的な発展になり、「曲折した」発展になったという。要は思想的に骨折しているのである。次のように続く。
日本の開化はあの時から急劇に曲折しはじめたのであります。また曲折しなければならないほどの衝撃を受けたのであります。これを前の言葉で表現しますと、いままで内発的に発展してきたのが、急に自己本位の能力を失って、外から無理押しに押されて否応なしにその言う通りにしなければ立ち行かないという有様になったのであります。それが一時ではない。4,50年前に一押し押されたなりじっと持ち応えているなんて楽な刺激ではない。時々に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、または恐らく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在できないのだから外発的というより外に仕方がない。
西洋の文化の衝撃が一度きりなら内発的にその後発展していけるかもしれないが、西洋の文化の衝撃は時々刻々と続く。だから日本はずっと外発的に発展するより仕方ないという。
漱石の言葉は次のように続く。
この圧迫によって吾人はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのではなくて、やっと気合をかけてはぴょいぴょいと飛んでいくのである。開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕をもたないから、できるだけ大きな針でぽつぽつ縫って過ぎるのである。足の地面に触れるところは十尺を通過するうちにわずか一尺くらいなもので、ほかの九尺は通らないのと一般である。
近代以降の日本の発展は不自然であり、現在学んでいる内容を十分に吟味する前に次学ぶ内容が外からやって来る。その様子をさすが漱石は直観的にわかるように適確に説明してくれる。
本来の自然の開化を次のように漱石は表現する。
自然の波動を描いて甲の波が乙の波を生み、乙の波が丙の波を押し出すように進んでいく。
日本の開化はそうなっていない。次のように続く。
ところが日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でその波をわたる日本人は西洋人でないのだから、新しい波が寄せるたびに自分がその中で居候して気兼ねしているような気持ちになる。新しい波はとにかく、いましがた漸くの思いで脱却した旧い波の特質やら真相やらもわきまえるひまのないうちにもう捨てなければならなくなってしまった。食膳に向かって皿の数を味わい尽くすどころか元来どんなご馳走が出たかはっきりと眼に映じない前にもう膳を引いて新しいのを並べられたと同じことであります。
ほかの分野のことはよく知らないが、思想でも同じことが生じる。西洋の哲学は中世哲学の上に近代哲学が生じ、その上に現代哲学が生じる。漱石の言う通り「自然の波動を描いて甲の波が乙の波を生み、乙の波が丙の波を押し出すように進んでいく」。図示する。
西洋ではAの上にその更なる発展としてBが発展し、さらにC、Dと発展していく。
日本の大学の思想界は「はい、いま西洋でニーチェが流行ってますよ。ニーチェを学びましょう。」となる。しばらくすると「今度はマルクス主義ですよ。」となりその後は「マルクス主義の流行は終わりました。今度は西洋ではデリダが流行ってますよ。デリダを学びましょう。」となる。Aの次はBであり、Bの次はCである。
漱石の言う通り「食膳に向かって皿の数を味わい尽くすどころか元来どんなご馳走が出たかはっきりと眼に映じない前にもう膳を引いて新しいのを並べられ」てしまうのである。
イスラム原理主義が西洋化をかたくなに拒否するのは、要は日本のようになりたくないからである。暴力を用いるのは私は断固反対だが、西洋文化を取り入れて消化不良になることで生じている日本の停滞と、イスラム原理主義のテロは、現象としては全く別であるが、本質においては共通点があるのである。
歴史を勉強していて思うことは、ヨーロッパの歴史は偉大な文化の上にさらに偉大な文化が積み重なっていく点である。中国、インド、イスラムも非常に偉大な文化を持っている。しかしアジアの偉大な文化は偉大な文化が生れるとそれを大事にするだけで、次の偉大な文化が積み重なっていかない。偉大な文化を守るのは重要である。しかし過去を引き継いでさらに新しい文化をつくる人も、同時に別に必要であると思う。
アジアの文化が必ずしも発展しないというのではない。中国思想を読んでいて優れた思想を生み出した時代というのはいくつかあり、そのたびに発展している。例えば周の文王の時代の思想は書経、詩経、易経などで知ることができる。「中国思想でもともとこういう思想だったのか」と思う。非常にすぐれている。そしてそれから何百年かたった春秋戦国期に思想の大きな発展がある。孔子や老子の時代だ。この時期の思想が一番有名である。そしてさらに宋の時代にさらに大きく発展する。宋儒は批判されがちで、私も宋儒を読む前に最初に彼らを批判する文章を読んだ。「宋儒って大したことないんだ」と勝手に思っていたが、その後実際読んでみると、「宋儒を批判する人たちより宋儒のほうが圧倒的に偉大じゃないか」と愕然としたものだ。このように中国思想には発展がある。
インドの思想も最初のヴェーダの思想ももちろん偉大だが、そこから仏陀が現れ偉大な思想を生み出す。さらに大乗仏典が発展し、それに対抗するようにヒンドゥー教がさらに発展する。
このようにアジアの思想にも発展はある。しかし15,6世紀あたりに西洋でルネサンス宗教改革や大航海時代が始まったあたりから、アジアの発展は少なくなっていく。西洋近代の哲学者は「中国の歴史には発展がない」と言うが、それは中国4000年の歴史のうち15世紀以降に関してはある程度当たっている。それに対し西洋思想はそのころから急激に発展していく。
ギリシャ・ローマ文化やキリスト教はただでさえ偉大だが、中世を通じてそれらは合流し定着していく。その上にルネサンスと宗教改革が起こり、そのうえに近代科学や民主主義、産業革命が起こる。19世紀の偉大な時代につながり、さらに20世紀に情報革命が生じる。現代ではAIの驚異的発展がある。ひとつの偉大な文化の上に、さらに偉大な文化が積みあがっていく。これが内発的な発展である。
漱石が上記の文章を書いた1910年は、日本が国として調子がよく、日本は文明国になったと浮かれている人たちもいた。しかし表面的な政治的経済的成功の背後に、根本的な思想的文化的荒廃が進行しており、表面しか見えない人たちは浮かれていたが、本質と根本が見える漱石は日本の将来に非常に悲観的であった。
浮かれていた皮相な人たちに対して、漱石は次のように述べている。
日本は一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすればできるものだと思います。
しかしかといって問題を解決する名案はないと述べて、漱石は悲観的な調子で文章を終える。
ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行くのがよかろうというような、体裁のよいことを言うよりほかに仕方がない。苦い真実を臆面なく諸君の前にさらけ出して、幸福な諸君にたとい1時間たりとも不快の念を与えたのは重々お詫び申し上げますが、また私の述べ来たったところも、また相当の論拠と応分の思索の結果から出た生真面目の意見であるという点にもご同情になって悪いところは大目に見ていただきたいのであります。
漱石の言う通り漱石の論は「相当の論拠と応分の思索の結果から出た生真面目の意見」である。
現代においては漱石の時代以上に思想状況の荒廃は進んでいる。新しい文化も現れているが、全体としては漱石の時代より悪化している。漱石に言われなくても、私は20代のなかばころから日本の思想状況の悪化には気づいていた。しかし20代後半にこの漱石の論文を読んで、「同じことを考えている人が明治時代にすでにいたんだな」と感慨を深くした覚えがある。漱石のこの論文は将来の日本にとって無駄にはならないだろう。
もちろんだからと言って西洋の技術を取り入れていくのをやめるわけにはいかない。仮に消化不良になろうとも、これからもどんどん取り入れていくべきである。
続きは日本の思想的行き詰りをご覧ください。
■作成日:2024年11月30日
■上部の画像は葛飾北斎
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