趙雲の役割1~趙雲論5

12.趙雲の統率力

 次に趙雲が劉備軍全体の中でどのような役割を担っていたかを論じる。

 趙雲が与えられた仕事を着実にこなすプロフェッショナルであったという点は、趙雲肯定派、否定派、双方ともに同意するようだ。 根拠は正史にある。もう一度引用する。

 「諸葛亮は出兵し、斜谷街道を通ると宣伝した。曹真は大軍を派遣してこれにあたらせた。諸葛亮は趙雲と鄧芝に命じて曹真の相手をさせておき、自身は祁山を攻撃した。 趙雲と鄧芝の軍が弱小なのに対して敵は強力だったので箕谷で敗北したが、しかし軍兵をとりまとめて守りを固め、大敗には至らなかった。」   (『蜀書』趙雲伝)

 趙雲の今回の陽動任務はかなり危険な任務と言える。敵の大軍をおびき寄せ小軍で対峙する。 一見地味だが戦略上非常に重要でかつ困難な任務である。さらにこの趙雲の任務が失敗した場合、その報が孔明の本軍に届くまでタイムラグもあるため、 恐らく曹真の大軍は漢中に侵入し、孔明の本軍は退路を断たれる。曹真軍と張コウ軍にはさまれ最悪の場合、蜀滅亡の可能性もあるかもしれない。

 今回の作戦を立てる場合「陽動部隊は多分うまくいくだろう」ではだめなのである。絶対にうまくいく必要がある。 そのため起用されたのが慎重で勇敢な趙雲というわけである。趙雲はその実務能力に関しても孔明に非常に信頼されていたと考える。

 実際、孔明は他の武将は検討しなかっただろうか。 例えば魏延はどうだろうか。小軍で大軍に当たるには勇敢さが必要となる。大将が怖気づくとその心情はすぐ兵士に伝染する。 その点、魏延の勇敢さは高く評価していいと思う。魏延なら敵が大軍でも恐れないだろう。 しかし大軍相手の場合、慎重さを欠くちょっとしたケアレスミスで自軍が崩壊する可能性もある。魏延の慎重さに欠ける性格を鑑みると、不安が残る。

 王平・張翼のような小粒な良将はどうだろうか。彼らは通常であればきっちりといい仕事をするはずである。 しかし大軍を相手に戦う場合、勇敢さという面で小粒感が否めない。

 もちろん魏延や王平に実際に今回の陽動作戦を任せてみればちゃんとこなした可能性はある。 しかし非常に慎重であった孔明は、武将が十分な仕事をできない可能性があると踏んだ場合は、作戦を取りやめにしただろう。 大軍を小軍でつなぎとめるのは実際かなり危険な任務であるため、趙雲だからこそ任せられた任務なのである。

 そして趙雲は期待に応えた。街亭の敗戦で通常であれば浮足立ち指揮が混乱するところ、大軍相手に小軍をもってしかも退却しながら戦うという難しいな仕事をやり遂げている。 下手な将軍であれば全滅しかねない状況である。非常な統率力を持っていたと言えよう。

13.孔明と武官の役割分担

 蜀においては作戦は孔明がたてる。しかしそれを実行するのは武官たちである。すなわち作戦を実行する段階において、作戦は孔明の手を離れる。 もし武官たちが下手を打つと最悪の場合、作戦は崩壊する。

 そういう意味で関羽や張飛のような大型武将は孔明の作戦にとって必ずしも良い武将ではなかった。 関羽のように高いプライドがあったり、張飛のように慎重さに欠ける武将は命令通りに動かない可能性があり、彼らに重要な役割を任せた場合、 孔明は作戦の実行中、不安でいてもたってもいられなかった可能性がある。確かに関羽・張飛は稀に見る豪傑たちではあるが、孔明は彼らを信用しなかったと考える。 命令通りにきちんと武将が動かないと孔明の作戦は成立しないからである。

 では趙雲はどうだろうか。関羽・張飛並みの大型武将であり非常に勇敢でありながら、慎重で節度があり命令通りに動く。 しかも統率力と実務能力は抜群である。恐らく孔明は趙雲を重宝したはずである。

14.命令通りに動く趙雲

 孔明がいない劉備軍と孔明がいる劉備軍では必要とされる武将が違う。孔明がいない劉備軍では作戦は恐らく劉備がたてたのであろう。 正直、行き当たりばったりの作戦で、大した作戦ではないため、関羽・張飛のようにスタンドプレーがあっても問題はない。 逆にそのスタンドプレーが上手くいって敵の大将でも討ち取れば、一時的に敵は退却し劉備軍のためになる。

 しかし孔明がいると事情が違う。孔明が正確で優れた作戦をたてるため、その計画が絶対となる。各武将のスタンドプレーは基本的に必要ない。 本質的ではないのである。スタンドプレーが上手くいっても得るものは少ないのに、失敗した場合は作戦が崩壊する可能性も生じる。 趙雲のように余計な行動をしない武将は作戦を失敗させる可能性は非常に少ない。 記録に残るような派手な行動をとるよりも孔明の命令通りに動いた方がはるかに劉備軍のためになるのである。 「命令通りに動く」というと地味で取り柄のない武将の仕事と思われがちだが、孔明がいる場合は事情がまったく違う。 孔明が優れた作戦を立てるため命令通りにその作戦を実現できる武将が決定的に重要になるのである。

 厳顔を生け捕る、夏侯淵を斬る・・華々しいし確かに重要な手柄であるが、それより遥かに重要で本質的なのは孔明の作戦の実現である。 要は厳顔・夏侯淵を仮にとり逃がしたとしてもそれは大した問題ではなく、それより孔明の作戦による蜀の攻略、南荊の制圧がはるかに重要というわけである。 逆にいえば敵の有力な武将を3,4人捕まえたとしても、蜀・南荊を制圧できなければ何の意味もないのである。 華々しい手柄を立てるより、趙雲のように孔明の作戦を高い実務能力で着実に実現する方がはるかに大切で本質的というわけだ。

続きは趙雲の役割2~趙雲論6をご覧ください。

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■作成日:2016/01/28■更新日:2016/8/5

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