変わらない真理 変わりゆく世代

年配の人のなかには若い人たちの価値観、世界観を変えようとする人もいる。もっというと自分たちの価値観や世界観と同じにしようとする人がいる。たしかに若者の世界観、価値観があまりに逸脱すると、変える必要は出てくる。しかし基本的には若者の世界観を変えようとしても意味はない。事態が複雑化するだけである。彼らの世界観が分かりにくくなり、物事の本質が見えにくくなる。

一見話は変わる。たとえ話をする。例えばクラシック音楽愛好家のAさんがいるとする。その人がヒップホップ音楽を聴いた。ヒップホップ音楽にも深い音楽、深いミュージシャンと、浅い音楽、浅いミュージシャンがいる。

Aさんが浅いヒップホップ音楽を聴いたとする。Aさんは言う。「これはいやだね。何がいやかって、あのリズムがいやなんだ」。しかしAさんが深いヒップホップ音楽を聴いたとする。Aさんは言う。「これはとてもいいね。何がいいかって、あのリズムがいいんだ」。

ヒップホップの音楽が浅ければ、その特徴であるリズムの悪い面が目につき、深ければ同じそのリズムの良さが目にとまる。

国も同じである。豊かな資源がありそれを正しく活用しているノルウェーのような国であれば、資源を持つことの良さが良く理解できる。しかし資源をめぐり民族間の争いが起き、資源で得た資金で武器を買い、内戦が激化する国では、資源を持つことの悪さが目にとまる。同じように資源が豊かであっても、深い国ではその良さがあらわれ、浅い国ではその悪さがあらわれる。

世代も同じである。若い世代の価値観はよくないとして 変えようとする人がいるが、それはあまり良くない。若い世代の価値観があまり深くないと確かにその悪いところに目が行く。しかし彼らが深ければ、その同じ価値観が深みを帯びて見えるようになる。

そのためには我々大人の側が彼らに深い真理を伝えることが重要である。彼らに真理があれば、彼らの世界観や価値観は大枠では変わらないのに、深みを帯びたものとして認識されるようになるだろう。

彼らの世界観を変えようとするのは、例えばクラシック愛好家のAさんが、浅いヒップホップ音楽を聴いて、ヒップホップのリズムを強引に変えようとするようなものである。

若い世代の価値観を変えるより、彼らの価値観に深みを与えるほうが良いと思われる。

たとえば「コスパ」という言葉がある。「コストパフォーマンス」の略で若者の間で使われる言葉だ。「コスパ教」という言葉もある。若者中には人生を「コスパ」で選ぶ人がいるという。明らかに行きすぎである。「コスパ」という言葉の浅い使い方である。しかし彼らに真理が宿り深みを帯びれば、同じその言葉が「深い真理をいかに効率よく実現するか」という深い使い方に変わっていく可能性がある。

『論語』顔淵篇に次の言葉がある。

書下し文
君子は人の美をなす。人の悪をなさず。

現代語訳
君子は他人の良さが成立するようにし、他人の悪い面が成立しないようにする。

我々は若い人たちの世界観、価値観の良さが成立するようにすべきであり、その悪い点が成立しないようにすべきである。そのためには若い人たちに真理を伝え、彼らに深みを与えるべきである。

■2025年4月29日追記。

ラ・ロシュフーコー『箴言集』に次の言葉がある。

模倣は常に惨めである。偽造されたものはすべて、自然なものであれば人を魅了するその同じものによって、人を不愉快にする。

「模倣」されたもの、「偽造されたもの」は、真理を持たない浅いものを指す。「自然なもの」は、真理を持つ深いものである。

若者の間に広がる浅いコスパ主義は真理を持たない、「偽造されたもの」である。「深い真理をいかに効率よく実現するか」という深いコスパ主義は真理を持つ「自然なもの」である。深いコスパ主義はそのコスパ主義によって深い印象を与えるが、浅いコスパ主義はその同じコスパ主義によって浅い印象を与える。

すぐれたヒップホップがそのリズムにより深い印象を与え、浅いヒップホップがその同じリズムにより浅い印象を与えるのと同じである。

■追記終。

若者の世界観を知ろうとするのは良いことである。しかし私のような思想家は、若者について学びながらも、あまりそれにこだわり過ぎずに、単に真理にを伝えることに専念したほうがいい気がする。真理を伝えれば、ある程度自然と物事は良くなっていく。

ビジネスで若者向けの製品やサービスを開発するのであれば、私よりはるかに若者のことを知る必要があるだろう。若者が部下として入社したのであれば、若者についてもっと知る必要があるだろう。私は若者とあまり接点がない。机上の勉強を少ししたが、それで若者のことが分かるわけではない。しかし私の場合はあまり若者に詳しくなるより、思想に専念したほうがいいと思う。若者について学びながらもそれに捉われないというのが、あくまで私にとってのではあるが、バランス型中庸である。

若者を批判して変えようとするのは対症療法的な方法である。それに対して真理を伝えようとするのは根本的方法である。

『礼記』楽記に次の言葉がある。

書下し文
本を窮め、変を知る。

現代語訳
物事の根本に習熟し、物事の変化に対応する。

真理は普遍であり、変わらない。それに対し世代は時々刻々と変化していく。普遍的で物事の根本である真理を伝えることで、変化していく世代の問題を解決する。それが「本を窮め、変を知る」「物事の根本に習熟し、物事の変化に対応する」の意味である。シンプルで変わらない根本的な本質によって、複雑で変化していく末節的な現象に対応する。

若者に迎合しろというのではない。大人側の世代の言い分をいうことは必要である。しかし若者の価値観を強引に変えようとするのは基本的に良くない。

経済と同じかもしれない。経済は基本的に放っておいたほうがいい。しかし危機に陥ると介入したほうがいい。極端な例で言えばヒトラーのような間違えた価値観が現れれば制圧すべきである。若者の価値観も基本的に放っておき、あまりにひどくなると介入するというくらいがちょうどいいバランス型の中庸という気がする。

風邪で熱が出るのはウイルスを殺すためである。だから解熱剤を飲むのは対症療法に過ぎず、根本的な視点から見ると逆に良くない。しかしあまりにも高熱になると、気分が悪くなりすぎるなど問題が生じるので、適度に解熱剤も必要。これがちょうどいいバランス。

■作成日:2024年10月7日

続きは攻めと守りを兼ねた中庸をご覧ください。


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■上部の画像は熊谷守一「泉」

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