若者に広がる消極的「ほどほど」感

世代論の本を読んでいる。人は自分の世代以外の世界観、価値観はなかなか理解できないものである。

人が一番多感な時期は5歳~25歳だと思われる。その間に流行したアニメや映画、流行歌などを見聞きし、その間に生じた社会現象や事件に影響を受け、その時代の雰囲気を吸収して、価値観や世界観が形成される。そして30歳を過ぎると、自分の専門分野や興味のある分野以外においては、時代の流れはその人の中で止まってしまう。社会全体の雰囲気を感じる力はなくなってしまう。

たとえば私は1970年代生まれだが、1980年代と特に1990年代の時代を感じ、その時代の雰囲気を吸収して育った。そして2000年代前半も大きく影響している。しかし2010年代以降は、流行歌も聴かなくなり、流行している現象もどこ吹く風、自分の興味ある分野以外は2000年代で止まってしまっている。

現代日本の時代の流れ、世代の移り変わりを知るためには、1930年代生まれ、1940年代生まれ、1950年代生まれ、1960年代生まれ、1970年代生まれ、1980年代生まれ、1990年代生まれ、2000年代生まれ、2010年代生まれ、の人たちの体験をすべてつなぎ合わせる必要がある。すべてをたどれば現代日本が分かる。

長編ドラマのようなものである。 1930年代が第1話。1940年代が第2話。1950年代が第3話。1960年代が第4話。1970年代が第5話。1980年代が第6話。1990年代が第7話。2000年代が第8話。2010年代が第9話。2020年代が第10話。

多くの人は、この長編ドラマのうち自分が5歳~25歳のときの回しか見ない。2,3回分のみ。例えば私は1980年代の第6話を見て、そして1990年代の第7話に夢中になり、2000年代の第8話は途中まで見ている。第9話以降は見ていない。第8話で止まってしまっている。

私以外の世代で、例えば1960年生まれの人は、恐らく1985年くらいまでが最も多感な時期だと思われる。そして基本的には1985年で時間がとまっていて、高度成長期の世界観を現在も保っている。だから日本経済の復興のために努力するのは当然だと思う。

しかし若い人たちはそうは思わない。彼らは生れた時から社会が豊かだったため、基本的にハングリー精神はない。年配の世代にあった、欧米に追い付け、というスローガンも、高度成長期が達成されると消えてしまう。真理に根ざした普遍的な理念ではないからだ。しかし年配の人たちは時間が高度成長期で止まっているため、なぜ若者は死に物狂いで働かないのか、と言う。そして若者は理解されないと心を閉ざす。

私のようなロスジェネ世代は、年配の人たちに近い。日本経済の復興という理念に共感する。しかし若い人たちの気持ちもある程度分かる。

ロスジェネは経済的豊かさよりも精神的豊かさを、と言ってフリーターになった。私は若い人たちのことはあまり分からないが、恐らく彼らの「静かな退職」も仕事以外、経済以外にいきがいを見いだすという側面があり、その点はロスジェネと共通していると思われる。

ロスジェネの実験は失敗に終わった。経済的豊かさを捨てたため、経済的に困窮している。若い世代はそこから学んだのだろう。完全にフリーターにはならず、「静かな退職」というある意味中庸を選んでいるわけである。多様な働き方が可能になった現在の社会のありかたがそれを可能にしている。

我々ロスジェネの失敗を見たせいか、若い人たちの間では安定志向も強まっているという。彼らは昭和に逆戻りしたのではない。昭和とは違い経済的豊かさのみを追求しているのではないからだ。

経済的豊かさを追求するインセンティブは落ちている。日本は長いデフレで安くてもそこそこいいものが手に入る。給料は安い。金はない。しかし貧乏感もあまりない。金がなくてもそれなりに良い暮らしができる。

唯一幸福を妨げるものが仕事である。週5日働くのはつらい。特に東京だと通勤ラッシュもある。あれはブルーになる。「静かな退職」をすれば、それからも解放され、良い生活を送れる。

「なんでもほどほどがいい」と彼らは言う。消極的な中庸、消極的な安定である。

■作成日:2024年10月7日

続きは世代の理解と無意識をご覧ください。


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■上部の画像は熊谷守一「泉」

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