世代論の勉強をしていて思うのは、自分より若い世代の世界観、価値観を理解するのは難しいという点である。
上の世代の理解ももちろん難しい。しかし上の世代はまだ理解できる可能性がある。我々は5歳~25歳の一番多感な時期を、上の世代がつくった環境の中で育つ。私の世代、ロスジェネで言えば、上の世代がつくった、「キャプテン翼」や「ドラゴンボール」「ゴレンジャー」を見て、ファミコンをして育った。学校の先生は何十歳も年上の人たちだ。だから上の世代の価値観、世界観は若いころから接しており、上の世代の世界観は恐らく自分自身の内に、無意識として存在している。
だから上の世代のことを勉強すると、小さいころに見聞きした体験とつながり、「ああ、あれってこういうことだったのか」とか「あれの背景にこういうことがあったのか」などと、なかば「思い出す」感覚や、知識や体験が「つながる」感覚が生じる。上の世代の世界観や価値観は我々にも直観的に把握できる可能性がある。
だからと言って上の世代は分かりやすいとか、私自身、上の世代を理解しているとかいうつもりはない。若者たちもそのほとんどは上の世代をあまり理解していないだろう。私もそんなに上の世代を理解していない。しかし上の世代の世界観は我々にも直観的に理解できる「可能性」がある。あくまで「可能性」である。
しかし自分より若い世代の世界観は理解がもっと難しい。我々は多感な5歳~25歳のころ、下の世代の世界観にあまり触れない。本格的に触れるようになるのは自分が40歳過ぎてからだと思われる。40を過ぎると多感ではないため十分に吸収できない。
例えば私より10歳下の「ゆとり世代」の価値観、世界観を知るのは私には難しい。ゆとり世代は1990年ころの生まれとしておく。もちろん同じ日本人だし、10歳しか違わないのだから、ある程度価値観は共有している。しかしけっこう違う面も多い。人は若いころは自分の世界観や価値観を表現できない。言語で小説として表現したり、音楽で表現したり、絵画で表現したり、いろいろな表現方法がある。一部20代前半から表現ができる人もいるが、多くの場合30近くになってからである。ひとつの世代の世界観の表現が出そろうのはその世代が30歳になったころである。だから私がゆとり世代の世界観、価値観を知るのは彼らが30歳になったころ、私が40歳になったころである。
上の世代の世界観は自分の無意識にあり、自分の内部にある。だから直観的に理解できる可能性がある。自分の体の中で合成できるアミノ酸のようなものである。
しかし若い世代の世界観はおそらく自分の無意識の中にはない。外から取り入れる必要がある。自分の体内で合成できない、必須アミノ酸のようなものである。
上の世代の世界観は直観的に、自分の体でその本質を理解できる可能性がある。しかし若い世代の世界観は直観的に理解できない。頭で合理的に彼らの世界観の近似値に強引に近づいていくしかないと思われる。
世代の変遷は連続ドラマのようなものである。私は1980年代と1990年代と2000年代の回を見た。体験した。しかし1970年代以前はよく知らないし、2010年代以降はもちろんその間も日本で生活してはいるのだが、時代の雰囲気を捉えることはできなくなっている。
上の世代の勉強をすると、「思い出す」感覚がある。「我々が見た回の前はこういう感じだったのか」と思う。しかし下の世代の勉強をするときは「結局、あの後どうなった?」という疑問から始まる。
■作成日:2024年10月7日
続きは変わらない真理 変わりゆく世代をご覧ください。
■このページを良いと思った方、
↓のどちらかを押してください。
■上部の画像は熊谷守一「泉」