孫権の道義

孫権には理念がない。 曹操のように漢にとって代わるというほどの実力も勢力もなかったし、 劉備のように劉姓でも皇叔でもないため漢の復興を掲げることもできない。

曹丕は漢の命運は尽きて天命は魏にあるとして帝位につき、 漢が滅亡してはならないとしてそれに対抗するように劉備が帝位につく。 それぞれそれなりの大義にもとづいて帝位についている。 しかし孫権は「みんなが帝位につくから俺もなろうかな」というノリであり、 十分な大義を掲げなかった。

孫権が道義上、曹操や劉備に劣るのは単に大義を掲げられなかった点だけではない。 劉備と盟約を結んでおきながら、魏に臣従し、隙があるとみれば利害のために荊州に攻め込み、 劉備が攻めてくると知れば急に和を乞う。行ったり来たりである。

植村清二氏はその著『諸葛孔明』で次のように評している。 孫権が関羽を攻撃する前に曹操に降った場面である。

この時孫権が曹操に書を贈って、関羽を討伐して、 曹操のために手柄を立てたいと言っているのを見ると、 利害のためにほとんど名分を考慮するにおよばなかったことがわかる。

宮川尚志氏はその著『諸葛孔明』で次のように評し批判している。 孫権が劉備に和を乞うた時の記述である。

先には盟に違い関羽を殺し、今は恐れて和を乞い、戦争回避に出る。 呉人の外交策の変幻極まりなきことかくのごとくである。

力を得れば隙を見て天下を取ろうという方針にも出るが、 さもなければひたすら一方に割拠し領土保全を計るのみである。 その点、蜀のごとく漢室興復という一定した国是がないから、 勢危うしと見れば、中原に拠り現実に後漢帝室の継承者である曹丕の軍門に 降伏を申し入れることなどあえて恥としない。 南朝歴代の気概なき退嬰的な政治方針はすでに三国の呉人に現れている。

大義を持たないうえ、その行動を見ても利害だけのために行動し一貫した正義を持たなかったと言われても仕方がない。

人や人の集団は危機に陥った時にその真価が問われる。 劉備軍と孫権軍の比較で最も分かりやすいのが、 赤壁の前、曹操が圧倒的な勢力を率いて南下した時である。 劉備、孫権双方にとって危機であった。 人や人の集団の真価はこのような危機に現れる。

荊州にいた劉琮はどうなったか。戦わずして降参した。 おそらく劉琮軍はなんの中身もない集団だったと結論できる。

孫権軍はどうだったか。確かに張昭たちの有力な降伏論はあった。 しかし周瑜と魯粛そして孫権自身は曹操を恐れず戦い曹操を破った。

そして劉備軍はどうなったか。 長坂の戦いのとき劉備軍はほぼ一文無しである。 敵は荊州をも降した曹操。劉備は妻子をもすてて逃亡。 我々読者は「劉備はピンチだけどどうせこの後赤壁で曹操が負けて、 劉備は荊蜀を得るんだよな。」とその先を予測しながら読む。 しかし当然劉備達はその後の展開を知らない。全く知らない。 当時の劉備軍の一員になったつもりで考えてほしい。 普通であればもう勝負はあったとあきらめて降伏するだろう。 しかしそれをしない。

荊州という強力な地盤を持っていた劉琮は戦わずして降伏した。 劉琮よりはるかに強力な軍と豊富な人材がいた孫権でさえ有力な降伏論があった。 しかし一文無しの劉備は降伏しない。 いや降伏論を唱える者さえ記録にない。 それどころか張飛や趙雲が劉備のためにありえないほど命がけの戦いをする。

人の集団の真価は危機的状況において精神面にあらわれる。 長坂における劉備軍はその典型である。ものすごい結束力。 劉備が大切にした人とのつながりがいかに強力だったかが分かる。

劉備軍がしぶといのは劉備軍に何か偉大さがあるからである。 それは間違いなく劉備という偉大な人格である。 劉備はここで終わる人ではないと、 ほとんど絶望的な危機においても劉備軍の人々は信じていたのである。 以上の点からしても孫権軍より劉備軍のほうがより偉大な集団だったと結論すべきだろう。

では孫呉は董卓や袁術のようにどうしようもない不道徳な人々だったかというとそれはもちろん違う。 勇猛果敢な孫堅や孫策。机をたたき割って開戦の覚悟を示した孫権。 曹操の大軍を恐れず立ち向かい破って見せた周瑜と魯粛。 彼らにも人間的なかっこよさがある。

幕末の日本でアメリカのペリー提督が日本に開国を迫った時、 徳川幕府のトップはアメリカの言う通りに開国をした。 それに対して薩摩や長州は一地方領主にもかかわらず、 日本で好き勝手にふるまうイギリスに勇敢にも戦いを挑んだ。 結果は近代兵器を持つイギリスが優勢だったが、 それでも戦って見せた。薩摩などはそれなりに善戦した。 その後の日本はその薩摩と長州がつくっていくことになる。

戦わずして降参した幕府は劉琮のようであり、 勇敢に戦いを挑んだ孫権は薩摩や長州のようである。

花田清輝が次のように言っている。

私は呉の連中とて嫌いではない。 彼らには青春の輝きというべきものがある。 彼らが総じて短命なのも天に愛されたからだと言えなくもない。

この指摘に共感する人も多いだろう。

ただやはり曹操、劉備に比べると道義上見劣りがする。 後世の人々が三国時代を語るとき、 その中心は曹操と劉備軍であり、孫権ではない。 それは三国の道義上の優劣を大雑把に言って正しく反映していると言える。


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■上部の画像は熊谷守一「ノリウツギ」



■作成日:2020/10/30

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