曹操、劉備、孫権の理念と道義上の評価について私なりに考えたいと思う。
思想家を評価するには、その人物のもつ思想や理論の独創性や内容を考察すべきだが、 曹操たちのような政治家の場合、検討すべきはその言葉ではなく行動である。
『論語』公冶長第五に次の記載がある。
書下し文
宰予、昼寝る。子曰く朽木は彫るべからず。糞土の牆は塗るべからず。予に於いてか何ぞ誅めん。 子曰く、始め吾れ人に於けるや、その言を聴きてその行を信ず。 今吾れ人に於けるや、その言を聴きてその行を観る。予に於いてか是を改む。
現代語訳
宰予が昼寝をした。孔子が言われた。 腐った木には彫刻できない。ぼろぼろになった壁は上塗りできない。宰予は叱ってもしかたない。 孔子がさらに言われた。私は最初は人の言葉を聞いてその行動を信じた。 今ではその言葉を聞いてもすぐには信じずその行いを観察する。 宰予のことで改めたのだ。
私も仕事が休みの日には昼寝をするので、孔子の弟子になっていたら同じように批判されていたかもしれない。 私の場合は自称思想家だが、曹操たちのような政治家の場合見るべきは言葉や理論ではなく行動である。 あのヒトラーでさえ常に「平和、平和」と言って平和を訴えていた。 ヒトラーの場合は昼寝をして叱られた宰予とは比較にならないほど悪質である。
ある人物が言っていることが本心かどうかを確かめる一番古典的な方法はその言葉と行動が一致するかを確認する方法である。 言葉と行動が一致していればその言葉は本心の可能性が高く、一致しない場合は行動が本心で言葉は嘘か建前か背伸びと結論してよい。韓非子の形名参同も同内容の思想だ。
『論語』為政第二に次の言葉がある。
書下し文
子曰く、その為す所を視、その由る所を観、その安んじる所を察すれば、 人、焉んぞ隠さんや。人、焉んぞ隠さんや。
現代語訳
先生が言われた。人の行いを見て、そのよって立つところを観て、 その安んじるところを察すれば、どうして人は隠し通せようか。 どうして隠し通せようか。
曹操、劉備、孫権の理念と道義性を「その為す所を視て」以下確認していく。 「人焉んぞ隠さんや」となるだろうか。
続きは曹操の理念をご覧ください。
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■上部の画像は熊谷守一「ノリウツギ」
■作成日:2020/10/30