孔明の読書方法4

6.孔明の読書方法

 孔明の読書方法に戻って検討する。

裴注に『魏略』が引用されている。

潁川の石広元、徐元直、汝南の孟公威らとともに遊学し、石、徐、孟の三人は学問の精密さに努力したが、諸葛亮だけは大要をつかもうとした。 『魏略』

項羽が兵法を学んだ時も大略をつかみそれ以上は学ばなかったという。

学者や、研究者になり損ねた私のような人間は、一字一句丁寧に書物を読むが、孔明や項羽のような行動を起こす人物は、書物の大要を捉えて、それ以上は読まないのである。

一字一句丁寧に読む方法に意味がないかというと、意味はある。

例えば『論語』を一字一句原文で丁寧に読めば、孔子と自分が1対1で向かい合っているかのような感覚にとらわれる場合がある。 『論語』一字一句読まないと孔子の本当のすがたには近づけない。場合によっては『論語』の自分の好きな箇所を繰り返し声に出して音読すれば、さらに孔子の実像に近づける。

 多くの人は気づいていないが実はこれは非常に魅力的な読書方法である。むろん『論語』である必要はない。自分の好きな本の感動した箇所が最も良い。その箇所を声に出して何回か読む。 するとその本の内容が自分の血や肉となっていくのを感じるはずである。非常にお薦めの読書方法である。

しかし、孔明や項羽はそのような読書を行わなかった。彼らのように行動を起こす人物がそのように丁寧に本を読んでいるひまなどないはずである。

 一字一句丁寧に読む読書は「他人」の思想を研究する人の読書方法であり、大要をつかむ読書は「自分」の価値観形成のために行う読書方法である。

 個人的にはどちらの読書方法にも共感するが、孔明はあくまで自分の価値観形成のための読書を行ったのである。

恐らく孔明は一つの本を丁寧に読むのではなく、幅広い書物を読み、それらの大要をつかもうとしたに相違ない。 孔明は儒家、道家、法家、兵家、などの諸思想を幅広く読み、それぞれの長所を融合して自分の思想をつくりあげたと推測できる。

いかに孔明が偉大とはいえ、大河のような中国思想のすべてを自分のものとするのは不可能である。 全ての中国思想を本当に自分のものにする、というのは伏羲、文王、孔子、老子などの偉人たちを足し合わせた人物になるのと同じである。

いかに孔明が偉大であってもそれはできない。 孔明自身が孔明自身の角度から先人たちの思想を、吸収できる分だけ吸収し、それを土台に自分自身の思想をつくりあげるのが限界である。

孔明は、流派にとらわれず、書物を幅広く読み、その大要をつかんだ。そしてそれら先人の思想を土台として自分の思想を創った。既に述べたように儒、道、法の思想が孔明の個性という観点から捉えなおされ融合されているのが読み取れる。

 例えば韓非子を読むと、我々は彼の頭の良さに感銘を覚える。しかしその冷たさや人間不信に寒々とした印象を受ける。しかし孔明の法家思想からはそのような冷たい印象は受けない。 韓非子の法家思想が、孔明により儒家思想のような血の通った思想に修正されているからである。

 逆に儒家思想はその人間への信頼と柔軟な合理性により中国思想の本流というべき思想であるが、ともすると理想ばかりを述べて、現実的ではない印象を与える場合がある。 しかし、孔明の行動や思想からは現実無視の印象はない。孔明が受け継いだ儒家思想は、現実に即した思想に修正されているのが分かる。

 道家思想は世俗にとらわれない清らかさを持つ思想であるが、能力がある人が完全な世捨て人になるのは社会に対する無責任ではないかと我々は思う。 しかし孔明は道家思想の清らかさを受け継ぎつつも世の中を良くしようという強い責任感を持ち続けた。

孔明は様々な流派の思想のそれぞれの長所を受け継ぎ、それらを融合して「自己流」の価値観を創った。 その価値観は決して「我流」でもなく、さらに「他人」の価値観でもなく、あくまで「自己流」であったと思う。 そしてその「自己流」の思想に基づいて行動を起こし大業を為した。

孔明の読書方法は現代のわれわれにとっても非常に理想的な読書方法と言えるのではないだろうか。

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