悩みから得るもの2

悟りの種類

 さらに悩みが深くなると得る悟りの種類も違ってくる。

 別記事で『もののけ姫』の主人公アシタカについて書いた。
もののけ姫 解釈

 アシタカの悩みは恐らく総合学習における多くの学生の悩みより深い。 彼はたたり神から呪いを受け、さらにそれは死をもたらす呪いであると知る。 じわじわと迫ってくる死と彼は戦う必要がある。
悟りの大きさ=悩みの深さ×解決の度合・・・・①式
①式における「悩みの深さ」はアシタカにおいては十分に深い。 そして悩みの深さが十分にある場合、その悩みは時代の本質と関連している場合が多く、 アシタカ自身その悩みを解決する過程で、呪いの克服という自分の角度から時代の本質に向き合っていく。 アシタカは自分の悩みを解決した。彼が得たものは時代の本質、世界の本質への悟りである。 そして彼は一個の時代精神となったのである。

 さらに別記事で孔子とその悩みについて書いた。
道を知るきっかけ
 孔子が若い時に得た悩みはアシタカよりさらに深かったのではないかと考える。 そして孔子が晩年に偉大な徳を完成した点から分かるように、彼は自己の悩みを完全に解決した。 ①式の2要素を完全に得たのである。深い悩みを得てそれを根本的に正しく解決した者は「道」にぶちあたる。 儒教的真理、仏教的真理である「道」を獲得するのだ。 さらにそういう者が経典を読むと経典の真意を理解でき、その者は伝統に基づく「正統な道」をも獲得する。 論語季氏第十六の九の「人生にゆきづまって道を学ぶもの」がそれにあたる。

 総合学習の学生→自分の悩みを解決
 もののけ姫のアシタカ→時代の本質を体現する
 孔子→道を知る
となり段階的に悟りの種類が違ってきているのが分かる。 しかし悟りの種類に違いはあっても、悩みの解決に取り組み悟りを得るという点は共通している。

私自身若い頃苦悩があった。①式の「悩みの深さ」は十分なものがあると思っている。しかし「解決の度合い」は必ずしも十分ではない。たしかに苦悩だらけだった若い頃に比べると、現在の生活は自分の思想の成長が楽しみでしょうがないほどに非常に良好な状態だ。しかし自分の顔を鏡で見ると若い頃の苦悩の跡はいまだに確かに残っている。

悩みを得ることで古典の意味を深く知ることができるようになった。そして古典の力で悩みを部分的に解決した。

しかし苦悩が完全に解決していない以上、まだまだ成長する伸びしろはあるということになる。伸びる予感はまだまだある。しかし悩みが完全に解決した時に私の成長も止まるのだろう。

 総合学習は21世紀型の新しい教育のあり方だと言われるが、実は儒教に通じる古い理念であるともいえる。 良い意味での新しさと良い意味での古さを兼ね備えていると言えよう。


■上部の画像は能
「道成寺」。

■このページを良いと思った方、
↓のどちらかを押してください。




■作成日:2016/3/26


■関連記事