『もののけ姫』はタタリ神から主人公アシタカが呪いをもらうという印象的なシーンから 始まる。アシタカはこの呪いは死に至る呪いであると知り、西へと赴く。
呪いを得たということがこの物語において決定的に重要である。 呪いを持ったことで「俺はなぜ呪いを得たのか?」「この呪いは一体何なのか?」 「呪いを癒すにはどうすればよいのか?」という 社会に対し極めて痛切な問題意識をアシタカは持つことになり、 それを解決しようとすることで彼は時代の本質に迫っていくのだ。
旅の途中、彼は様々な体験をするが、それらの体験は「呪いを克服する」という 問題意識を核として総合され、活きた知識、活きた体験となる。
「ジコ坊なる怪僧と会う」「山犬と人の争いを仲裁する」「コダマを見る」 「タタラバを見学する」「エボシに案内され鉄砲を見る」「ナゴの守の最期を聞く」 「シシ神に会う」「乙事主に会う」・・・
これらの見聞や経験が全て、彼の呪いの克服という内発的な問題意識によって、
活きた経験となりかつ総合されていく。これが本当の活きた「総合学習」なのである。
文部省の進める「総合学習」も理想的にはこうでないといけない。
別記事で総合学習について記載した。
→総合学習とキャリア教育
よくゲームや小説、映画などの物語は主人公が痛切な動機を持っていないと いけない、と言われる。むろんそれは物語だけではない。 人生においてもそうである。 無責任な発言になるかもしれないが、痛切な悩みを持っている人は、 もしかしたらチャンスなのかもしれない。
もちろん物語においては主人公の痛切な問題意識は読む側にとっては面白い。 しかし実人生で自分がそれを持つことはとてもつらく苦しい。痛切な悩みを持つ人は 「皆は順調に人生を過ごしているのになぜ私だけこんな目に合うのか・・」と思う。
アシタカは絶望しただろうか。したかも知れない。 「他の若者たちは順調にそれぞれの村を支えているのに なぜ自分だけこんな呪いを受け無駄な旅をしなくてはならないのか」と。
しかし彼は闘うことを選ぶ。 もし彼が闘わなかったらどうなっていただろう。ただ自分の非運を嘆くだけで、 旅をしなかったら。 残酷なことを言うようだが、嘆くだけなら誰にでもできるのである。 確かに最初は嘆くだけて手がいっぱいという時期もあるが、人はそのうち自分の悩みと 正面から向き合わなくてはならない。
アシタカの悩みは時代と関係しており、彼は悩みと戦うことで「順調な人々」より遥かに 時代の本質に迫っていく。 最終的には神の首を返すことで世界を救うまでになり、自分の呪いを解くことにも成功する。 アシタカのように強くなれれば、と思う。
続きはもののけ姫 解釈2をご覧ください。
■上部の画像は葛飾北斎
「女三ノ宮」。
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