『大学』と『中庸』

 伝統的には『大学』は曾子により、『中庸』は子思によるとされる。

 私が最初に『大学』『中庸』を読んだとき深い感銘を覚えた。孔子が弟子たちに語らなかったはずの儒教の根幹と言うべき理論が、簡潔に的確に書かれているではないか。 孔子が弟子たちに滅多に語らなかった天命と仁について、子貢が理解できないと言った人の本性と天の道について、これ以上なく簡潔に直截に書かれているのである。

 朱子も『大学』をして儒教の理論であると述べている。引用する。

大学はこれ学を修る綱目なり。先ず大学に通じて綱領をたて定めれば、その他の経はみな雑説にしてこのうちにあり。大学に通じ得てのち他の経を看てゆけば、 はじめてこれは格物致知なり、これは誠意正心修身なり、これは斉家治国平天下なりと悟りえん

 『大学』が理論書であり、ほかの経典はその具体例として読めると述べている。

 ここにおいて個人的にどうしても疑問が残る。孔子は弟子たちに天命など高遠な理論をあまり語らなかった。弟子たちには不相応と考えたからであろう。 そして稀に語ったとしても、弟子たちは理解しなかった。それなのに弟子のひとりである曾子が独力でこれほどの理論を述べ得たと言うのが腑に落ちないのである。

 孔子の弟子は立派な人物が多く、その中でも曾子は偉大な人物であるが、『論語』における彼の言動からしても道に関する理論を独力で打ち立てる人物であったとは推測しがたい。 例えば以下顔回と比較する。

 雍也第六に次の言葉がある。

書下し文 
子曰く、之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。

現代語訳 
孔子がいわれた。道を知る者は道を好む者に及ばない。道を好む者は道を楽しむ者に及ばない。

 原文の「之」は道だけでなく物事一般をさすと考えた方が面白い解釈になる。しかし恐らく孔子は「之」は「道」という意味で言ったのではないかと思う。

 雍也第六からさらに引用する。

書下し文 
哀公問う。弟子誰か学を好むとなす。孔子答えて曰く、顔回と言う者あり、学を好み、怒りを遷さず、過ちを弐たびせず。不幸短命にして死せり。 今や則なし。未だ学を好む者を聞かざるなり。

現代語訳 
哀公がたずねた。「弟子の中でだれが学問好きですか」孔子が答えた。「顔回と言う者がおり、学問を好み、怒っても八つ当たりをせず、同じ過ちを繰り返しません。 不幸にも短命でなくなりました。この世におりません。学問を好む者はもういません。」

 「学」とは当時では「道を学ぶ」と言う意味なので「学を好む」とは「道を好む」という意味である。孔子は顔回は道を好むと認めているのである。

 『論語』述而篇に次の言葉がある。

書下し文 
子曰く、疏食を飯い水を飲み肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦その中にあり。

現代語訳 
孔子が仰った。粗末な食事を食べ、水を飲み、ひじを曲げて枕とする。道を求める本当の楽しみはそのような中にもある。

書下し文 
子曰く、賢なるかな回や。一簟の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人はその憂いに堪えず、回やその楽しみを改めず。賢なるかな回や

現代語訳 
孔子が仰った。えらいものだね、回は。竹のわりご一杯のめしとひさごのお椀一杯の飲み物で、せまい路地くらしだ。他人ならそのつらさにたえられないだろうが、 回は自分の楽しみを改めようとしない。えらいものだね、回は。

 孔子と顔回は「道」を楽しむのである。

 『近思録』論学に程子の言として次の言葉がある。

書下し文 
昔、学を周茂叔に受けしとき、常に顔子、仲尼の楽しむところを尋ねしむ。楽しむところは何事ぞ、と。

現代語訳 
昔、周茂叔から教えを受けたころ、顔子や仲尼が楽しんだ点を考えさせられたものだ。彼らが楽しんだのは何かと。

 なぜ周茂叔がその問いを発したかというと、それが大切だからである。

 同じく『近思録』論学にその答えがある。

書下し文 
或る人問う。聖人の門、その徒三千なるに独り顔子を称して学を好むとなす。かの詩書六芸は三千子習いて通ぜざるにはあらず。 然らば則ち顔子の独り好むところは何の学ぞや。伊川先生曰く、学びて以って聖人に至る道なり。

現代語訳 
聖人のところには、三千人の弟子がいたのに、顔回だけを学問好きと言われた。あの詩書などの経書について、 三千の門人は学習してよく理解していたはずである。そうすると顔回だけが好んだというのはどういう学問でしょう。 伊川先生が仰った。「学んで聖人に至る道である。」

 「聖人に至る」というのは、「平凡な人間が聖人になる」という意味である。平凡な人間が聖人になるためには普通の成長ではなく急速な成長が必要である。 日々徳が高まり、日々才が伸びる。急速な成長が必要なのは、平凡な人間と聖人の差は非常に大きいからである。

 『大学』に次の言葉がある。

書下し文 
日に新たに日々に新たに、又日に新たなり

現代語訳 
日ごとに新たになり、日々新たになり、さらに日ごとに新たになる。

 聖人に至る道を歩む顔回は「日々に新た」であったと推測する。日々成長するため、顔回は日々新たになる。

 平凡な人間が聖人になる道、これが楽しくないはずがないのである。人は顔回をして偉いと言う。確かにそのとおりである。 しかしどんな凡夫であっても、そのような「道」を自分の中に得たら、貧困であっても楽しまずにいられないのである。「道を得た」という偉さに匹敵する偉大さは人間にはないのかもしれない。

 そして周茂叔の問いから分かるように、「道を楽しむ」という要素があるかないかが、聖人の素質があるかどうかに関して決定的に重要なのである。 そして顔回はその要素を持っていたのである。

 少し話題がそれるが、「日々新たなり」に関して『近思録』論学に程伊川の次の言葉がある。

書下し文 
君子の学は必ず日に新たなり。日に新たなる者は日に進む。聖人の道のみ進退する所なし。その至る所の者、極まれるを以ってなり。

現代語訳 
君子の学問は日に日に新しくなる。日々に新しくなるものは日々進歩する。聖人の道だけは進歩も退歩もない。完成しているからである。

 以上は解釈を必要とする。伊川は聖人を「完成された人物」という意味で述べている。

 未完成の人物は欠点を持つ。欠点があれば失敗する。失敗すれば反省する。反省すれば自分をさらに磨こうとする。その結果成長する。

 未完成の人物には常に向上し自己を完成させようとする力が自然と生じる。君子はそのエネルギーを使って自己を成長させるというのである。

 それに対して完成された人は逆に言えばそれ以上成長しないのである。成長しようという自然の力がそれ以上働かないのである。

 であるから、もし未完成の聖人というものを想定できるのであればその人物は当然成長の余地があるのである。

本論に戻る。顔回に対して曾子について考察する。

 泰伯第八から引用する。

書下し文 
曾子曰く、士は以って弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁を以って己が任と為す。亦重からずや。死して後止む。亦遠からずや。

現代語訳 
曾子が仰った。士人はおおらかで強くなければならない。任務は重くて道は遠い。仁をおのれの任務とする、なんと重いじゃないか。死ぬまでやめない、なんと遠いじゃないか。

 曾子は道を志すのを「任務は重くて道は遠い」と述べている。曾子は道を楽しんでおらず重荷と感じている。顔子が道を楽しんでいるのと比べ明らかに違いがあるのである。孔子が顔回の死後、曾子が生きていたにもかかわらず「未だ学を好む者を聞かざるなり。」と述べたのは当たっている。本当に「道」を自分の中に持っていたのは孔子と顔回であり、決して曾子ではなかったと推測できる。その曾子が儒教の根幹ともいうべき理論を独力で打ち立てたというのは個人的には想像しがたい。

少し話がそれるが孔子の弟子たちについて少し追記しておく。『論語』には個性豊かな孔子の弟子たちが登場する。『論語』を読む人はそれぞれ好きな弟子、共感する弟子がいるはずだ。

誠実な人は曾子を尊敬するかもしれない。曾子のその誠実な人柄は『論語』からひしひしと伝わってくる。勇敢で行動的な人は子路に共感するかもしれない。他の弟子たちは孔子に対して常にへりくだるのに子路だけは孔子に対してもずけずけ物を言う。あの孔子に面と向かって反論するのは正直すごい。そのたびたしなめられるが、信頼され愛された。頭脳明晰な人は子貢が好きかもしれない。

私は断然顔回である。彼は貧にして学を楽しんだ。私も勉強が楽しくて仕方がない。もちろん彼は聖人に至る学を修めようとしてしていた人で私が勉強が楽しいのとはレベルが違う。私は勉強するたび新しい発見があって楽しいというだけだ。レベルは違うが、弟子のひとりに共感してしまうというのは『論語』を読む人ならわかってもらえると思う。

いずれにしても孔子の弟子たちはみなレベルが高く尊敬に値する人たちばかりである。曾子を批判したようだが曾子が偉大な弟子であるのは間違いない。曾子が道を重荷に感じたのは、彼が孔子という偉大な人物に直接触れ孔子の道を受け継ごうとしたからである。孔子のような偉大な人物の道を受け継ぐと決意したらほとんどの人は重荷に感じる。彼のように非常に誠実な人はなおさらだ。私が道を重荷に感じないのは私が孔子に直接会ったことがないからであり、曾子ほど深く道に志していないからにすぎない。

続きは孔子の遺書をご覧ください。


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