自然のプログラム

本当のプログラムはプログラム言語で書くものではない。

私は十数年前にプログラムを習ったことがある。 そのときに書いたプログラムがこちら→プログラムのソース。 短いプログラムだがちょっとだけ面白いと思う。 最初にC言語を習った。習い始めて2ヶ月くらいたってこのプログラムを書いた。 恐らくそれから6ヶ月ほど後にJAVAを習った。JAVAを習い終わってから同じプログラムをJAVAで書き直した。

現在のCやJAVAのバージョンで動くかどうかは知らない。確認していない。 当時は動いていたが書き直しが必要かもしれない。 コマンドプロンプトで数字の入力するときに4か5を入力するとちょうどいい大きさで表示される。 興味ある人はお試しください。

私は以前、仕事をしていなかった時期にお金をかけない面白い時間のつぶし方を覚えた。 本当は旅行に行きたいのだが、その頃はお金がなかったのでしょうがない。

その方法は大学の授業にもぐるのである。 さいわい私が住んでいる県は大学が多い。 交通費の出費のみで大丈夫だ。 そしてこれが非常に面白い。

いろんな分野の授業を受けるが、大学1年生向けの生物学の授業も少し受けた。 人体の免疫の授業である。 これが非常に面白い。 免疫のシステムは極めて複雑で精巧である。 なぜ好中球は誰にも命令されてないのに異物を食うのか。 なぜ自分を攻撃するT細胞を排除する仕組みがあるのか。 詳しい知識はかなり以前なので忘れてしまったが、非常に驚いたのはよく覚えている。

なんでこんなシステムが存在するのか。非常に不思議である。

DNAに関する授業も受けた。DNAは紫外線などいろんな原因でしょっちゅう壊れるらしいのだが、 人体の仕組みは誰にも命令されていないのに壊れたDNAを的確に見事に修復していく。

いったいこれは何なのか?なぜこのようなシステムが存在するのか? 誰がこのシステムのプログラムを書いたのか?

本当に神のコーディングではないか、と思うくらいミクロのレベルで見ると人体は精巧にできている。 実際は進化により形成されたと説明される。 本当に単純な進化の積み重ねでこんな複雑な仕組みができるんだろうか? こんなに偉大なプログラムがなぜ存在するのか。

確かに何億年もかければできるのかもしれない。 だいたい1億年という長さが想像できない。 1万年が1万回積み重なったら1億年である。 ぱっとイメージできない。

あれほど精巧な免疫のシステムができるだけの時間の長さだといわれれば、 なんとなくぎりぎり納得できる気がする。

要は偉大なプログラムと言うのは自然界の様々なところに存在する 精巧な仕組みの中にも見いだされると思う。

話はそれるが大学はいいところだ。 自分から望んで中退したが、もぐりにいってみるとやはりいいところだと思う。

二十歳前後の学生の中にひとり40のおっさんが混ざっているのだから明らかに違和感がある。 教壇に立つと広い教室でも全体が見渡せるという。 だから私が混ざっていると非常に高い確率で教授からは気づかれる。

こっちとしては学費も払っていないのに勝手に授業に入り込んでるわけだから、 当然肩身がせまい。 気づかれるのは仕方ないが追い出されないかと若干心配になる。

実際はどうかと言うと歓迎される。 半分くらいの先生は歓迎してくれる。 わざわざ私のほうを見ながら、 「昔は他の大学の先生の授業にもぐりに行くという伝統がありました。 私はその伝統は非常に良い伝統だと思います。」 などと言って歓迎してくれる。 おお、おれの授業をわざわざ聞きに来たか、と歓迎してくれるのである。 そういう先生ほど学問に対して情熱がある。

残りの半分の先生は気づいてるのか気づいてないかわからないが、 少なくとも追い出されたことは一度たりともない。

自分の習熟していない分野は本を読むだけではなかなか頭に入らない。 初めて接する分野は実際の授業で知識を吸収したほうがいい。

話がそれた。

様々なことを述べたが、同じような表現つくりに飽きたのでこの辺で次の話題に行く。 私が言いたかったのは、私は自分が言ったことを理解していないという点である。 哲学の訓練を受けた者は実は十分に理解していなくてもそのような表現ができてしまう。

偉大な哲学の古典を書いた人でさえ、全員ではもちろんないが、ある程度その傾向があるかもしれない。 これが哲学の不誠実なところである。

続きは自然のプログラムをご覧ください。


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作成日:2019/8/6

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