他に例を挙げよう。
本当の経済はお金で量るものではない。
GDPはある国の1年間の付加価値額である。 分かりやすく言えば、ある国が1年間の間にどれほどの価値を生み出したかをお金で計算したものである。 日本のGDPが500兆円ならば、日本は1年間に500兆円の価値を生み出すと言える。
しかし多くの人がご存じのように、お金で量れない価値というものがある。 本当に大切なものはお金で量れない場合が多い。
お金は勝ちを量るひとつの目安であり分かりやすい目安であるが、あまりあてにならない目安である。 たとえば旅行に行くときもいくらお金をかけたかはそんなに影響しない。 同じ場所に行くなら20万円の旅行と200万円の旅行ではおそらく、感動の量は2,3倍しか違わないと思う。 しかし感受性が違えば100倍1000倍になる。 その人が旅行で得た価値は、旅行で使った金額では量れない。
例えば以下は私の例だ。
韓国のソウルの市場で路地裏に入る。 ソウルの庶民の生活の濃厚な雰囲気がすぐに伝わってくる。
食堂に入る。 今まで数多くの韓国の庶民たちがここで生活し食事をしてきたという 蓄積と雰囲気が壁や床、テーブルに染み込んでいる。
私はここで食事をするが、単に出てきた料理を食べるのではない。 その場所の持つ雰囲気ごと食べるのである。
その場所の雰囲気。何を言っているかわからないがざわざわと聞こえてくる韓国語の会話。人々の表情。ぶっきらぼうな店員の対応。 それらも一緒に食べるのだ。
席は半分以上埋まっているほうがいい。地元の人たちの生活、表情、声、いろんなものが伝わってくる。
旅行で得られるインスピレーションの一例だ。 お金がなくても感受性さえあればインスピレーションは得られる。 5万円あればぎりぎり大丈夫だ。
同様にGDPはその国の生み出した価値の合計だが、その国の生み出した本当の価値はお金では量れないのである。 本当の経済はお金で量るものではない、というわけだ。
私が述べる言葉の共通点がお分かりいただけるだろう。 「本当の〇〇は××ではない。」という表現だ。 他にも挙げてみよう。
本当の権力者は地位を持たない。
イエスキリストやムハンマド(マホメット)、仏陀や孔子は人類の最高価値を体現し、 多くの人々に影響を与えた人物であり、人類の歴史を見渡した時、彼らこそ本当の権力者である。 一定の時期に一定の地域を表面的に支配した人々に比べ、彼らは歴史を通じていろんな時代いろんな地域の人々を心底から支配した。
しかしイエスも仏陀も孔子も地位を持たなかった。 確かにムハンマドは権力の地位についたが、その偉大さは権力の地位にあった点に由来するのではない。 神に選ばれたことに由来する。 本当の権力者は地位を持たないと言うのである。
本当の映画はフィルムに撮るものではない。
当然人々ひとりひとりの人生に中にあるストーリーが本当の映画であるという意味だ。
本当の歌詞は歌手に歌わせるものではない。
平凡な男女が真剣に恋愛をしたときにふともらした言葉こそが、本当の恋愛ソングの歌詞だとも言える。
恋は詩人をつくる。たとえ以前は詩心のなかった者でも。
というギリシャのエウリピデスの言葉がある。 真剣に恋愛をする人の発した言葉はたとえ表現が稚拙でプリミティブでも心からの言葉である以上、 真実の言葉であり、本当の詩となるのである。
このように私には語る資格も体験もないのにもっともらしい表現が出来てしまう。 哲学の訓練を受けたからだ。 哲学のよろしくない側面である。小手先の技術だけで表現ができる。私にこんな言葉を述べる資格がないのは自覚している。 しかしもう少し続けよう。
続きは自然のプログラムをご覧ください。
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作成日:2019/8/6