この文章では「悪」の構造について論じる。 「悪」は決して偉大ではない。「悪」を行うものは常に平凡な人物である。 ハンナ・アーレントは「悪は凡庸であった」と述べた。 私もその点は同意する。 しかし「悪」は偉大さと関係があると私は考える。 以下論じる。
偉大さを持つ思想、文化を、平凡な思想、文化から判別する方法がある。 それは苦難の時期を乗り越えたかどうかという点である。
普通人間は最初は威勢が良くても、困難にぶち当たると自分の計画をあきらめ、 自分の思想を放棄してしまう。
しかし偉大なものをもつ組織はそこであきらめない。理由は単純である。 偉大なものを守る使命があるからである。 その使命感が彼らに強烈な信念を与える。
彼らは苦難に遭遇し、非常に深く悩み一度は絶望することはあっても、 そこであきらめず最終的に大業をなす。 偉大なものは必ず困難にめげない尋常ではないしぶとさを持っている。
キリスト教、イスラム教、仏教、儒教などは全てそれに当てはまり、 これらの思想はすべて苦難を乗り越え世界宗教、世界思想になった。
ユダヤ教も同様である。 ユダヤ人は歴史の中で常に少数民族であり、 エジプトで奴隷となり、バビロンで捕囚となり、苦難の連続であった。
さらに中東という地域はつねに多くの民族が出入りし、 多くの帝国や文明が興っては消滅していった地域である。 ユダヤ人のような少数民族の文化はいつ滅んでもおかしくなかった。
さらにあの地域ではキリスト教の創始者イエス、 イスラム教の創始者ムハンマドという 人類の歴史上もっとも偉大な人物が現れており、 ほとんどの人々はそのどちらかに改宗している。
しかしユダヤ人だけは しぶとくその宗教と文化のアイデンティティを守り続けている。 何か不思議な感じがしないだろうか。 計り知れないしぶとさを感じないだろうか。
西洋の哲学者などによると ユダヤ人の歴史は神が直接手を下した歴史だと言われる場合がある。 出エジプト記のような海が真っ二つに割れユダヤ人を通らせた、 という記述を信じたりは私はしないが、 なにか計り知れない偉大な体験が ユダヤ人にはあったのではないかと推測されると思う。
偉大な文化思想は苦難の時期、試練を乗り越える。 しかし実は偉大でなくても苦難を乗り越える場合がある。 それは「悪」である。
悪を行う人物には通常信念はない、本当の信念がない。 自分が正しいことをしているという信念がないからである。
偉大なものだけが通常、真の信念を持つ。 しかし例外がある。偉大でないのに非常に強い信念を持つ者がいる。 それが「悪」である。
ヒトラーは投獄されたりして、苦難の時期があったが、 自分の計画をあきらめず、しぶとく着実に自分の計画を実行に移していく。
イスラムの自爆テロは、だれにも命令されていないのに、 自分の命を犠牲にするという強力な信念がある。
このような「悪」に共通する構造がある。結論から述べる。
「悪」は
①平凡な人間が
②偉大な思想や文化を
③間違えた形で受け継いだ場合に生まれる。
そしてその場合その人物は、
④強力な信念のもとに
⑤間違えた思想を実行する
これが「悪」の構造である。 以下解説する。
④の強力な信念を「悪」が持てるのは、 「悪」が②の偉大な思想や文化を受け継いでいるからである。 すくなくとも受け継いでいると信じているため、 自分が正しいことをしていると思いこみ、 強烈な信念を持つのである。
⑤の間違えた思想というのは ③にあるように偉大な思想を間違えた形で受け継いでいるため 「悪」は間違えた思想を実行に移すのである。
これが「悪」の構造であるが、これだけでは非常に分かりづらい。 続きではヒトラーを例に考察する。
続きは悪の構造2 ヒトラーの思想をご覧ください。
■Chopin Impromptu 4
■上部の画像はルオー
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