賈ク論3 賈クの確信

 賈クの人生を振り返ってみると一見非常に危険な人生を送っているように見える。 逆賊李カクに仕えただけでも危険であるのに、その後弱小勢力の張繍に仕え、 曹操の息子曹昂と愛臣典韋を殺して曹操の仇敵となっておきながら曹操に仕える、 というあぶなっかしい経歴をたどっている。

 しかし当の本人は非常に落ち着いているだけではなく、強い確信をもって決断を下しているように見える。 例えば官渡の戦いの前、袁紹から張繍へ味方になるようにとの誘いの使者が来た。 当時袁紹の勢力は強大で、曹操は袁紹に比べれば弱小であった。しかも張繍は曹操の息子と典韋を殺している。 曹操に仕えればどんな扱いを受けるか分かったものではない。お互いに怨みもない強大な袁紹に仕えたほうが良い。 そう考えるのが普通である。しかし賈クはそう考えなかった。

 「太祖(曹操)と袁紹が官渡で対峙したさい、袁紹は使者をさしつかわして張繍を招き、 同時に賈クに手紙を与えて味方に引き入れようとした。張繍が承知しようとしたところ、 賈クは張繍の出ている会合の席上で、公然と、袁紹の使者に対して、 「帰って袁本初(袁紹)にことわってください。兄弟さえ受け入れることのできないものが (袁紹が袁術と不仲だったことを指す)、どうして天下の国士を受け入れられましょうぞ、とね」 といった。張繍は驚き恐れて、「なんでそこまではっきりいうのか」といい、こっそりと賈クに、 「こうなったからには、誰につけばいいのか」とたずねた。賈クは、「曹公に従うのがいちばんです」 といった。張繍が、「袁氏は強く曹氏は弱いうえに、曹氏とは仇敵の間柄だ。彼に従うのはどんなものだろう」 というと、賈クは答えた、「これこそ、曹氏に従うべき理由なのです。 そもそも曹公は天子を奉じて天下に号令しております。これが従うべき第一の理由です。 袁紹は強大でありますから、わが方が少数の軍勢をつれて従ったとしても、 われらを尊重しないにちがいありません。曹公の方は勢弱少ですから、 われらを味方につければ喜ぶに相違ありません。これが従うべき第二の理由です。 そもそも天下支配の志を持つ者は、当然個人的な怨みを忘れ徳義を四海の外まで輝かせようとするものです。 これが従うべき第三の理由です。どうか、将軍にはためらわれることありませんように。」」 (『魏書』賈ク伝)

 賈クは袁紹の誘いをきっぱりと断っている。なぜそのように確信を持てたのだろうか。 それは賈クが自己を取り巻く状況を正しく把握していたからである。

 私はサッカーはよくわからないが、それでも見ていると気づく内容もある。 フランスのジダンという選手がいたが、彼は敵ディフェンダーに囲まれた一見絶体絶命の状況にあっても非常に落ち着いている。 それは何故かというと、味方の動き、敵の動き、どこにスペースがあるかなどの情報が見えているため、 次に何をすべきか、どこにパスを出すべきかがよくわかっているからである。 そのため敵に囲まれても落ち着いていられるのである。

 賈クも例えば官渡の戦いの前において曹操と袁紹の状況や人物など必要な情報をしっかり把握していた。 「そもそも天下支配の志を持つ者は、当然個人的な怨みを忘れ徳義を四海の外まで輝かせようとするものです。」 という賈クの曹操の評価は面白い。曹操は一見冷酷で残虐な人間だと思われがちであるが、 曹操が天下に安定をもたらすという個人的な利得を超えた大きな志を持つ者だと、 官渡の戦い以前から賈クは見破っていたのである。そしてそのような曹操は個人的な怨みよりも天下泰平の実現を優先する、 だから自分や張繍にひどい扱いをしたりはしないと判断し事実そうなったのである。

 一見危険極まりない人生を送っているようであるが、賈ク自身にとってはさほど危なげない人生だったのかもしれない。 自分や周りの状況がしっかり見えていたため常に確信をもった決断が常に出来ていたからである。

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■作成日:2016/01/25

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