賈クがもう一度歴史を動かしたのは曹丕の即位への貢献によってである。
曹操の後継者として曹丕と曹植が争っていたのは有名なので詳細は書かないが、 賈クは常々曹丕に後継問題で助言をしていた。曹操に対しても次のように発言している。
「太祖(曹操)はかつて左右の者を遠ざけ、賈クに、〔後継者問題について〕諮問
したところ、賈クはおし黙ったまま答えなかった。
太祖が、「君と話し合っているのに
答えないのはどうしてだ」というと、賈クは、「いまちょうど考えごとをしておりましたので、
すぐにお答えしなかっただけです」といった。
太祖はいった、「何を考えていたのか。」
賈クは答えた、「袁本初(袁紹)
父子と劉景升(劉表)父子のことを考えていたのです(どちらも後継者問題
で嫡子を廃し、死後内輪もめの原因となった)。」
太祖は大笑いし、その結果
太子の地位はついに確定した。」
(『魏書』賈ク伝)
まだ記憶に新しい袁紹と劉表の例を挙げて曹操を確実に説得するやり方は見事である。
曹植が後継者になっていたらどうなっていただろうか。 曹丕はそれを黙認するような人物ではない。 魏は分裂しもう一度天下は大乱になっていたかもしれない。 未然に魏の分裂を防ぎ、 中華の民を戦乱から救った賈クの功績は李郭の乱を起こした責任を補って余りあるといえよう。
続きは賈ク論3をご覧ください。
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■上部の画像は中国宋代の花鳥画「瓦雀栖枝図」。作者不明。
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