総合学習とキャリア教育2

自分の将来=痛切な動機

 では学校で総合学習を行うのは不可能だろうか。 決してそうではない。答えはキャリア教育だ。 なぜなら学校の勉強に興味ない学生は多いが、 自分の将来に興味ない学生はほとんどいないからである。

 私は高校のころ私は不良グループと別に仲良しではなく、 あまり話す機会もなかった。 しかし受験が目前に迫ったころ、自分の将来を真剣に考え始めた不良の学生が、 珍しく私のところに来て、「将来どんな職に就くの?」など真剣な表情で尋ねてきたのを よく覚えている。当時私はそれなりに勉強ができた。それで不良君たちが私に相談や質問に来たのだ。

 要は勉強が嫌いな学生でも自分の将来、自分のキャリアについてはほとんどの学生が痛切な悩みを持つのである。 主体的学習、総合学習に必要だと述べた「痛切な動機」が確かにそこに存在する。 しかも一部の生徒にだけでなく、ほぼすべての学生が痛切な悩みを持つのが自分の将来についてなのだ。 ある程度統一的にカリキュラムを進められるため、学校での効果的な総合学習の実現が可能なのである。 しかも学生の内面にさほど踏み込まなくてよいため、あまり信頼関係のない教師と生徒であっても実現できる。

 活きた主体的な総合学習はキャリア教育によって実現が可能だと私は考える。 中学や高校でキャリア教育をおこない、 主体的総合的学習の方法を学生が身につければ、 大人になってからも強い武器になるはずである。 学校では扱えなかった学生の個人的な悩みを解決するためにも、必ず役に立つだろう。

 そのキャリア教育の実践は難しいのだろうか。確かに難しいかもしれない。 しかし不可能ではない。 『総合学科の挑戦 神戸甲北高校キャリア教育の10年』という本がある。 神戸甲北高校の総合学科のキャリア教育の取り組みを紹介した本である。 この本で注目したいのは、前半に掲載されている卒業生たちの手記である。 自分の進路、学部、職業選びを通して、 彼ら彼女らがいかに自分の人生に正面から向き合い、悩み、格闘しているかがひしひしと伝わってくる。 キャリア教育を実現している高校が既に確かにあるという事実が分かる。 私のような外野の人間がキャリア教育について意見を言うのも意味があるかもしれないが、 現場の先生方の努力のほうが遥かに重要だというのが、率直な感想だ。 そして先生方の努力より、個々人の学生たちが真剣に自分の人生に向き合う努力が さらにもっと重要だとも感じた。

 本書に掲載されているある学者の方の論述によると、 戦後の教育は「商品化」「市場化」されているという。 それに対して神戸甲北高校での取り組みは 「それ自体かけがえのない固有の価値を持った充実した」教育であると論じられている。 私ももちろん同感である。 良い意味での21世紀の教育、新しい教育だと感じた。


■上部の画像は尾形乾山
「糸瓜図」。

■このページを良いと思った方、
↓のどちらかを押してください。




■作成日:2016/3/19


■関連記事