日本の伝統、アメリカの伝統

日本人の中で「日本の伝統が失われても全く問題がない」と言う人がいる。

そういう人はいくつかのタイプに分かれる。 そもそも精神的なものや知的なものに興味がまったくない人もいる。その場合は仕方ない。

しかし精神的なもの知的なものに興味があるのに伝統は不要だという人もいる。 そういう人のうちひとつのパターンが、アメリカに心酔しているパターンである。

確かにアメリカ人は言う。
「我々はヨーロッパを離れゼロからスタートしたのだ。」
「伝統なんかいらない。そんなもの邪魔なだけだ。」
「我々は過去はいらない。未来志向だからこれだけの繁栄を成し遂げたのだ。」

アメリカに心酔した日本人は「伝統を軽視するアメリカがこれだけ興隆している。だから日本も伝統などいらないのだ」と言う。

しかし、我々はアメリカ人の言うことを額面通り受け取ってはならない。 じつはアメリカは伝統を大切にしている。

そんなことはない。確かにアメリカは200年、300年の歴史があるし伝統がある。 しかしそうはいっても若い国だ。未来志向の国だ。過去を志向しているわけではない、 とアメリカに心酔した日本人は反論する。

しかしそれは違う。アメリカには実に強力で実に古く最高度に完成した伝統を持っている。

どこに?そんなものがどこにある?

あるではないか。大西洋の向こう側に。

アメリカの伝統は偉大なヨーロッパにおいて保存されている。 アメリカの中流以上の人は人生のうちで何度かヨーロッパ旅行をするであろう。 エリートはクラシック音楽を聴き、ヨーロッパの絵画を見る。 ヨーロッパの街や芸術からインスピレーションを得る。 モーツァルト、ベートーヴェン、ゴッホ、シェイクスピア・・ 過去のヨーロッパの芸術家を大変尊敬している。 新しい偉大な文明を創るためには、偉大な伝統、偉大な過去がインスピレーションとして必要なのである。

日本の伝統がヨーロッパほど偉大かは私が判断すべきではない。 しかし日本にも能や歌舞伎、琳派、北斎、仏教など偉大なものは確かにあるし、 それほどでなくても良質なものならば非常にたくさんある。

我々はアメリカ人の言うことを額面通り受け取ってはならない。 日本の伝統は必要だ。これをなくしたら日本には未来はない。 少なくとも新しい偉大な日本の文化が現れ、以前の文化が必要でなくなるまでは保存されるべきだ。 私は新しい偉大な日本文化が現れた場合でも古い文化は守られるべきだと思うが。

岡本太郎が「法隆寺なんか燃えてもいい。自分が法隆寺になればいいのだ。」と言っていた。 新しい偉大な文化ができれば過去の文化はいらなくなる、新しい文化からインスピレーションを得ればいいのだ、 という意味である。 後半の「自分が法隆寺になればいいのだ。」という指摘は正しい。前半の「法隆寺は燃えてもいい」は間違っている。

川崎にある岡本太郎美術館に行った。現代日本においてもこのような精神が存在しうるのかと深い感銘を受けた。 ほぼすべての作品に感動した。 「自分が法隆寺になればいいのだ。」というのは岡本太郎が言うのであれば大言壮語ではない。 その作品を見れば十分それだけの説得力がある。 しかし当然法隆寺は燃えてはいけない。日本のいろんな時代の偉大な文化を残しておく必要があるからだ。

アメリカは集合天才である。 ドイツのクレッチマーという学者に『天才の心理学』という本がある。引用する。

天才の家系内に伝わる天才以外の人々の才能は、その伝承的な精神的能力を賢明に発揮するという範囲を 出ないものであるが、それに比べると、この伝統的なものに対する多くの天才の関係はある程度ゆるくなり、 その本能と思考過程にはある種の奔放さが見られる。そして彼らはこの奔放性のゆえに初めて 驚異的な新しい思考結合の形成に達するのである。

若干分かりづらい記述だが、簡単に言うと個人的天才において、その個人には、
①伝統からインスピレーションを得るという側面と
②伝統から自由になるという側面
二つの側面の両方が必要だというのである。

アメリカは集合天才である。集合天才においても個人的天才と似たような構図が成り立つ。 アメリカはヨーロッパと同じ西洋の国である。だからヨーロッパの伝統からインスピレーションを得やすい。 アメリカ人は我々日本人よりモーツァルトを深く理解するのである。 であるから伝統からインスピレーションを得るという①の条件を達成しやすい。 しかしアメリカはヨーロッパと大西洋で隔てられている。伝統から自由なのである。 だから伝統から自由になるという②の条件も達成できる。 ゲーテが200年前にアメリカの繁栄を予想して「アメリカは我々と違い伝統から自由だ」と言った。 天才の本質を知るゲーテならではの慧眼である。

アメリカ人が言う、
「我々はヨーロッパを離れゼロからスタートしたのだ。」
「伝統なんかいらない。そんなもの邪魔なだけだ。」
「我々は過去はいらない。未来志向だからこれだけの繁栄を成し遂げたのだ。」
という言葉は伝統から自由になるのが必要という②の条件を的確に言い表している。 しかしそれだからと言って伝統からのインスピレーションが大切であるという①の条件を 見逃してはならない。

自然地理的条件がアメリカの集合天才を創っている。 アメリカは最も理想的な地理的文化的条件を持っているのかもしれない。

続きは新しい伝統をご覧ください。




■上部の画像は韓国の殊眼禅師の書。

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