臨機応変か初志貫徹か

仕事の価値 人材の価値では時代に応じて変化する人材が優れていると述べた。「臨機応変」である。 一方私が哲学に向いていないことを全力で弁解する回では、時代や他人に流されず、自分から発する哲学が大事だと述べた。自分から発する哲学を持つ人は信念を持ちそれを貫く。「初志貫徹」である。一体どっちが大事なのかはっきりしないと思う人もいるかもしれない。結論は下図である。

信念が無く世の中に臨機応変にあわせて仕事をする人は「風見鶏」である。左上。世間に順応し器用に出世していく。一方、信念が無く、かといって世間に器用に順応できないのが左下の「俗人」である。

自分の信念を貫き、信念を貫くがため時に世間に順応できないのが「誠実」な人である。右下。

右上は「偉人」である。自分の信念を貫きながら社会に臨機応変に対応する。『三国志』劉表伝引注『傅子』に次の言葉がある。韓嵩と言う人の発言。

現代語訳
聖人は時代に合わせて柔軟に対応し、その次の人物は自分の信念を貫きます。私は自分の信念を貫く者です。

書下し文
聖は達節し、次の者は守節す。嵩は守節する者なり。

ここで言う「聖人」は上の図の「偉人」を指している。「その次の人物」は「誠実」な人を指している。

仕事の価値 人材の価値で臨機応変の人が不器用な人より優れていると述べた。これは「誠実」より「偉人」の方が優れているという意味だ。

私が哲学に向いていないことを全力で弁解する回では自分の信念にもとづくことが大事で、他人に合わせていたら本当の意味での正しい仕事ができないと述べた。これは「風見鶏」より「偉人」が優れていると述べている。

自分の成長のために学ぶ者は信念を持つ。しかし他人からの評判を得るために学ぶ者は自分の信念から出発しない。他人から偉いと「思われること」のために学ぶ。そのような思想は後世に残る価値がない。これは「偉人」のほうが「風見鶏」より優れていると述べている。

では「誠実」と「風見鶏」はどっちが優れているか。『韓非子』に次の言葉がある。

書下し文
巧詐は拙誠に如かず。

現代語訳
巧みな権謀術数よりも不器用な誠実さのほうが優れている。

『論語』にも以下の言葉がある。

書下し文
巧言令色鮮し仁。

現代語訳
言葉巧みで顔の表情を巧く取り繕う人には仁のある人は少ない。

「風見鶏」を批判した言葉。次の言葉がある。

書下し文
剛毅木訥仁に近し。

現代語訳
強い意志があり飾り気のない不器用な人は仁ある人に近い。

これは「誠実」を褒めた言葉。古典は「風見鶏」より「誠実」を評価している。

では「風見鶏」は悪いのかと言うとそうではない。良い「風見鶏」と悪い「風見鶏」がある。悪い「風見鶏」は巧みに出世して私利私欲を肥やす。しかし良い「風見鶏」は人間関係を渡っていく上手さを、いい意味でのリーダーシップにかえて会社を良い方に動かしていく。不器用な「誠実」は得てしてチームをまとめて調整するのに向いていないのだ。

さらに言うとヒトラーは信念があった人間である。失敗しても諦めずに自分の信念をゆっくりと着実に実現していった。上の四分は単純化しすぎている。実際はもっと複雑だ。

■2024年1月21日追記。

「物事の二面性2.0」という記事で考案した図で説明しなおす。そのほうが分かりやすそうだ。

自分を持つこと、自分の信念を貫くことは長所である。しかしその裏には頑固という短所が張り付いている。左中段のOR型である。

逆に他人に合わせて柔軟に対応することは長所である。しかしその反面自分の信念を持たないという短所がある。風見鶏である。右中段のOR型である。

どちらも一長一短である。

バランス型中庸という方法もある。中央に書いてある。頑固すぎず、柔軟過ぎず。ちょうどよい程度を保つ。これはすぐれている。しかし個性が若干なくなる。

上はハーモニー型中庸である。自分の信念を貫きながら他人に合わせて柔軟に対応する。一見矛盾する二つを高い次元で両立させる。非常にレベルが高い。『法華経』「信解品」に次の言葉がある。

仏は常に世間に順応され、現象に従って行動する者たちのために教えを語りたまう。仏は教えの王者、一切の世間における自在者であり、大自在者であって、世間の指導者の王である。仏は人間たちのさまざまな状況を知って、臨機応変に種々の行為を示され、かれらのいろいろな意向を知って、幾千の因縁によって教えを語りたまう。如来はこの世に存在するすべての者や人間たちの行為を知り、この最高の「さとり」を示しつつ、種々さまざまに教えを語りたまう。

仏は自分の「さとり」をもつ。自分の信念を持つ。しかし相手や相手の状況に合わせて柔軟に臨機応変にその教えを語るという。世間に逆らわず順応しながら教えるという。明らかにハーモニー型中庸である。それは我々には無理であるが、本当に悟った人がこの世に存在しうるとすればそのようなことは可能なのかもしれない。

図の下はNOR型である。自分の信念はないが、かといって他人にも合わせられない人。これは明らかに良くない。

私は左中段のOR型である。頑固信念型。現在はとりあえずOR型でいって、将来的には上のハーモニー型中庸を目指す。無難なバランス型中庸は今のところとらない。個性が若干消えるから。どうせ半分失敗した人生なのでいまさら失敗を恐れて無難にバランスをとるより、あえてOR型をキープして将来的にハーモニー型中庸を目指す。恐らく私の場合はこれが正解。

ハーモニー型中庸がもっともすぐれていて、バランス型中庸がそれに次ぎ、OR型がその次と言うのが原則ではあるが、あくまで原則。ハーモニー型中庸は困難なので必ずしも無理に目指すべきとは限らない。バランス型中庸はすぐれているが個性が消える場合もある。OR型は個性を保てる。しかし大きな短所も持つ。結局どれが正しいかはケースバイケースである。

■追記終り。


■上部の画像はガウディ

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作成日:2023/4/8