思想の鵜呑み

私が思想を読むうえで気を付けているのは思想を鵜呑みにしないことである。例え偉大な人物が述べている言葉でも人間の言葉である以上は鵜呑みにしない。

『史記』淮陰侯伝に李左車の次の言葉がある。

書下し文
智者も千慮に必ず一失有り。愚者も千慮に必ず一得有り。

現代語訳
智者も千回考えを語れば一度は間違え、愚者も千回考えを語れば一度は当たる。

尊敬する人の言葉でも納得せずに鵜呑みにすると危険。千回に一度は間違えるから。 逆にどんな人の意見でも何か得る所がないかと気にしながら普段聞いた方が良い。

続けて次の言葉がある。

聖人は狂人の言をも聴く。

聖人はどこからでも学ぶと言う。

尊敬する人の言葉は下手すると無条件に受け入れてしまう。

ゲーテに次の言葉がある。

努力する人間の困難な問題は、先輩の功を認め、しかも彼らの欠点によって妨げられないことである。

我々は先輩にあたる歴史上の偉大な人物たちを尊敬する。先輩たちの功を理解すると深い尊敬のあまりその長所といっしょに短所まで正しいものとして受け入れてしまう。尊敬しながらその短所に影響されないのは非常に困難であるとゲーテは言う。偉大な先輩であっても間違いがあることもあり、偏りがあることは非常に多い。

『大学』に次の言葉がある。

書下し文
好みてもその悪を知り、憎みてもその美を知る者は天下に少なし。

現代語訳
好きな相手でもその短所を知り、嫌いな相手でもその長所を知る者は天下においても少ない。

我々は好きな相手でもその短所を認識しなければならない。嫌いな人物でもその長所を知っておく必要がある。

ニーチェの『人間的、あまりに人間的』の122に次の言葉がある。私訳。

盲目的な弟子たち。ある偉人が自分自身の思想や芸術もしくは宗教についてその強みと弱みを知っているうちはその力は大したことない。師の名声に眩惑され、弟子たち自身の師への尊敬で眼をくらませられた弟子や信者たちは、師の思想や宗教の弱みを見ようとはしない。そのためそのような弟子たちは通常師より大きな力と強い信念を持つ。盲目の弟子たちなしに偉人とその作品の影響力が大きくなったためしはない。ある洞察が勝利するということは次のことを意味するに過ぎない。その洞察と無知が姉妹となり、その無知の重みがその洞察の勝利をむりやり獲得するのである。

以下解説する。

「盲目的な弟子たち。」これは全体に対する題名。

「ある偉人が自分自身の思想や芸術もしくは宗教についてその強みと弱みを知っているうちはその力は大したことない。」我々でもそうだが、自分が書いたもの創ったものは完全な自信はもちづらい。「8割のケースには当てはまるけど2割のケースでは当てはまらないな」とか、「あの発言は強がってしまったな」とか、「少し推測も混ざってるな」とかある。偉人ですら同じだと言う。

「師の名声に眩惑され、弟子たち自身の師への尊敬で眼をくらませられた弟子や信者たちは、師の思想や宗教の弱みを見ようとはしない。」我々も尊敬する人の言葉は無条件に受け入れてしまいがち。尊敬する人が名声を持っていて、私たち自身、師を深く尊敬するので師の欠点を無視する。「智者も千慮に必ず一失有り。」を忘れてしまう。

「そのためそのような弟子たちは通常師より大きな力と強い信念を持つ。盲目の弟子たちなしに偉人とその作品の影響力が大きくなったためしはない。」師の欠点を見ようとしない盲目の弟子たちは強力な信念を持つ。偉大な思想は困難をのりこえる。現在残っている世界宗教は困難を乗り越えてきた。それは盲目的な弟子たちが強力な信念を持ち続けたから。そして強烈な信念で異端者や他宗教を弾圧するということもたくさんある。

「ある洞察が勝利するということは次のことを意味するに過ぎない。その洞察と無知が姉妹となり、その無知の重みがその洞察の勝利をむりやり獲得するのである。」「ある洞察」=「偉人の思想」が偉大なものとして認められ勝利する事についての説明。「洞察」=「偉人の思想」と「無知」=「弟子たちの盲目」が同時に生じる。よって「姉妹」となる。弟子たちの盲目が強烈な信念という「重み」を生み出し偉人の思想の勝利を強引に獲得するという意味。

弟子たちが偉人の欠点を無視することで偉人の思想は大きな力を持つというのは事実である。しかしそれが必ずしも正しいとは思えない。私は思想を読むときは鵜呑みにしないように気を付けている。


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