天才と戦うとつらいぞ

天才と戦うとつらい。そのつらさを私ほど知っている人は少ないと思う。

大学時代は人生でつらい時期のひとつだった。周りのすぐれた学生たちはどんどん古典を読破していく。わたしはそれと正反対のことをしていた。自分の哲学をつくることである。伝統を重んじ、正統な哲学を継承する東大本郷ではそれは異端だった。正統な哲学を学べ、と強要された。

私の哲学を旧約聖書学の教授が攻撃してきた。たまにだが、ドイツ哲学の教授も攻撃してきた。私は西洋の古典を十分に理解しなかった。しかしその偉大さはひしひしと感じていた。

古典のすごさが全く分からなければ教授の批判もどこ吹く風だっただろう。カントもヘーゲルも素通りできたはずだ。逆に古典を十分に理解できれば教授に弾圧されることもなかっただろう。カントやヘーゲルは味方になっていたはずだ。しかし古典のすごさはわかっても十分に理解できない中途半端な私は教授の弾圧に苦しむことになる。

哲学で恐ろしいのは昔の偉人たちが現在も生きていることだ。サッカーであれば現在のプロ選手はペレやマラドーナと戦うことはないだろう。現在の相撲の力士は千代の富士と戦うことはないだろう。しかし哲学では何百年前、何千年前の哲学者の作品が完全な形で残っている。ドイツ哲学の教授が私の哲学を批判する場合、ドイツ哲学に関する圧倒的な教養をもとにカントとヘーゲルの偉大な言葉を巧みに引用しながら攻撃してくる。私からすると、少なくとも主観的にはカントやヘーゲル本人からボコボコに殴られているような感覚だった。自分の哲学をつくる人は過去の偉人と戦わなくてはいけないのだ。

科学であれば科学は進歩するので、過去の偉人ニュートンは確かに現在でも深く尊敬はされるが、その偉大さはそれなりに色あせるだろう。しかし哲学と言う分野は基本的に進歩しない分野である。現在においても哲学と言う分野のトップに過去の偉人は君臨している。

佐賀の田舎から上京してきたばかり20才の若者が、人類史上最高峰の哲学者たちにボコボコにされるのだ。苦しくないはずがない。

他の分野でも似たようなことはあるかもしれない。歴史などは同じかもしれない。最近西嶋定生の『秦漢帝国』という本を読んだ。西嶋定生は非常に有名な碩学である。三国志に先行する時代なので大雑把なところだけでも読んでおこうと思って読んだ。非常に面白かった。「おわりに」に次の言葉がある。

それにしても、書き終えたいまでさえ、『史記』以下の史書がわたくしに向ける、さげすみの目から逃れることはできない。「蟷螂の斧」と言う言葉が、あらためて胸にせまってくる。

西嶋氏は自分自身の才能を「蟷螂の斧」、「カマキリの斧」にたとえている。西嶋氏の著作ももちろん『史記』などの偉大な史書と比較される。双方とも同じ時代を描いた歴史書だから。『史記』を書いた司馬遷たちと戦うことになるのだ。西嶋氏の言葉は謙遜もあるだろうが部分的には正直な気持ちなのかもしれない。

哲学の話に戻る。現在は中国思想を勉強しているので正統な哲学を学ぶことの大切さは本当によくわかっている。しかし当時はあまり他人の哲学に興味がなかった。ショーペンハウエルの言葉を引用する。

真に価値があるのは、ひとりの思想家が第一に自分自身のために思索した思想だけである。つまり一般に思想家を、第一に自分のために思索する者と、いきなり他人のために思索する者との二つに分類することができるが、第一のタイプに入る人々が真の思想家であり、「自ら思索する者」である。

私を弾圧した教授はまず正統な哲学を学べと言った。自分の哲学をつくるより先に過去の哲学を学べと言うのだ。ショーペンハウエルの言葉でいうと「自分自身のために思索」するまえに「いきなり他人のために思索」せよと言うわけだ。次の言葉もある。

自ら思索する者は自説をまず立て、後にはじめてそれを保証する他人の権威ある説を学び、自説の強化に役立てるに過ぎない。ところが書籍哲学者は他人の権威ある説から出発し、他人の諸説を本の中から読み拾ってひとつの体系をつくる。その結果この思想体系は他人から得た寄せ集めの材料からできた自動人形のようなものになるが、それに比べると自分の思索でつくった体系は、いわば産み落とされた生きた人間に似ている。その成立の仕方が生きた人間に近いからである。すなわちそれは外界の刺激を受けてみごもった思索する精神から月満ちて生まれたのである。

私が他人の哲学を学ぶのは自分の哲学をつくるためである。「自ら思索する者は自説をまず立て、後にはじめてそれを保証する他人の権威ある説を学び、自説の強化に役立てる」とあるとおりだ。私を弾圧した教授は私からすると「他人の権威ある説から出発し、他人の諸説を本の中から読み拾ってひとつの体系をつくる」人に見える。本当にそうかはよく知らないのでわからないが。

大学時代は、私を弾圧した教授もいたが、良く接してくれた教授もいた。同じ学科にもいたし隣の哲学科にもいた。いずれにしても私が哲学を学べたのは大学時代の教授たちや同期のすぐれた学生たちのおかげだ。人間としては私は佐賀で育ったが、私の学問は東京で育った。

私を弾圧した教授は好きにはなれないが、今でも尊敬しているし多くを学び感謝もしている。しかし現在でも当時の自分が間違っていたとは思わない。

現在はそろそろ本格的に思想を勉強する準備をしている。まだ営業をかける気はしない。まだかけ声だけ威勢が良くて、威勢の良さに見合う中身の文章は書けていないからだ。

■作成日:2023年11月21日




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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。