現象は複雑。本質はシンプル。

スティーブ・ジョブズの哲学をあらわしたレオナルドダヴィンチの次の言葉がある。

洗練をつきつめると簡潔になる。

これに関しては英語の訳のほうがすぐれている。

Simplicity is the ultimate sophistication.

物事を洗練していくと最終的にシンプルさに行きつくというのである。

これは最初から安易にシンプルなものに飛びつくというのではない。現実は複雑である。複雑さを最初から無視して、手っ取り早く目についたシンプルさに飛びつくというのは悪い意味での単純さである。

しかしすぐれた人は複雑な現実を捉えて洞察し思考し洗練する結果、最終的に正しい意味でのシンプルさに行きつくという。

スティーブ・ジョブズに次の言葉がある。

いざ問題に取りかかると、複雑さが見えてきて、ややこしい解決策ばかり思いつくものだ。たいていの人はそれ以上考えない。その解決策でも少しの間ならうまくいくことも多いしね。だけど超一流の人は考え続けるんだよ。根本的な問題を見つけ出し、どのレベルでも使えるエレガントな解決策にたどり着く。Macで目指していたのが、まさにこれなんだ。

同じ内容だが、次の言葉もある。

いろんなコンシューマ製品のデザインを見てみると、とても複雑な外観をしているのが分かる。我々は、すべてが一体化したもっとシンプルなものをつくりたかったんだ。
何か問題を解決しようとするとき、最初に思いつく解決方法というのは非常にややこしいものになる。たいていの人はそこでやめてしまう。
ところが、継続して問題に向き合い、たまねぎの皮を1枚1枚むいていくようにすると、非常にエレガントでシンプルな解決方法にたどり着くことが多いんだ。たいていの人は、そこまで時間をかけて努力していない。

やはりジョブズは現象は複雑だが、本質をたどっていくとシンプルになると述べている。

『ビジョナリーカンパニー 飛躍の法則』から長くなるが引用する。

読者は針鼠だろうか、それとも狐だろうか。
アイザリア・バーリンは有名な随筆「針鼠と狐」で、世間には針鼠型の人と狐型の人がいると指摘した。これは古代ギリシャの寓話、「狐はたくさんのことを知っているが、針鼠はたったひとつ、肝心要の点を知っている」に基づいたものだ。狐は賢い動物で、複雑な作戦をつぎつぎに編み出して、針鼠を不意打ちにしようとする。昼も夜も、針鼠の巣の周囲をうろつき、完璧の機会をとらえて襲いかかろうとしている。狐は動作が俊敏で、毛並みが美しく、足が速く、頭がよく、針鼠ごときに負けるはずがないと思える。対する針鼠は何とも冴えない動物で、ヤマアラシとアルマジロの間の子のような姿形だ。短い足でちょこちょこ歩き、餌を探し、巣を守るだけの単純な生活を送っている。
狐は針鼠の通り道のすぐ近くにひそんでいて、息を殺している。針鼠は餌探しに熱中していて、狐の狙い通りの場所にやってくる。「よし、今度こそ仕留めてやる」。狐は地面を蹴って、目にもとまらぬ速さで飛びかかる。ちっぽけな針鼠は殺気を感じ、目を上げる。「またお出ましだ。何度失敗しても懲りないやつだなあ」。身体を丸めて、小さな球のようになる。鋭い針がどの方向にも突き出している。獲物を目の前にした狐は、針鼠の防御態勢をみて飛びかかるのを諦める。だが森の中に引き返しながら、もう次の作戦をあれこれ考えている。針鼠と狐の戦いは毎日、少しずつ形を変えて繰り返される。狐のほうがはるかに知恵があるのに、勝つのはいつも針鼠だ。
バーリンはこの短い寓話に基づいて、人間を狐型と針鼠型というふたつの基本形に分類した。狐型の人たちはいくつもの目標を同時に追求し、複雑な世界を複雑なものとして理解する。「力を分散させ、いくつもの動きを起こしており」、全体的な概念や統一の取れたビジョンに考えをまとめていこうとはしない。これに対して針鼠型の人たちは、複雑な世界をひとつの系統だった考え、基本原理、基本概念によって単純化し、これですべてをまとめ、全ての行動を決定している。世界がどれほど複雑であっても、針鼠型の人たちはあらゆる課題や難題を単純な、そう、単純すぎるほど単純な針鼠の概念によってとらえる。針鼠型の人たちにとって、針鼠の概念に関係しない点は注目するに値しない。

針鼠型の人はスティーブ・ジョブズのような洗練の後に単純さに行きついた人であり、その単純さを守る人である。狐型の人は複雑さは認識できているが単純さに行きつかなかった人である。さらに引用する。

プリンストン大学のマービン・プレスラー教授とはよく話し込むことがあるが、そんな機会のひとつに教授が針鼠の強さを指摘した。「大きな影響を与える業績を残した人たちと、同じように優秀でもそれほどの影響を与えられなかった人たちとの間に、どのような違いがあるか、分かるだろうか。偉人は皆、針鼠なのだ」。フロイトは無意識の世界に、ダーウィンは自然選択に、マルクスは階級闘争に、アインシュタインは相対性原理に、アダム・スミスは分業に、それぞれ関心を集中させている。いずれも針鼠なのだ。複雑な世界について考え抜き、単純化してとらえている。「偉大な足跡を残した人たちはかならず、『素晴らしい見方だが、単純化しすぎだ』という批判を受けている」

フロイト、ダーウィン、マルクス、アインシュタイン、アダム・スミスと「同じように優秀」な人、同じくらいのIQの人は同時代に何百万人もいただろう。しかし偉人たちは彼らが針鼠型であったという点で他の人たちよりすぐれているのである。「同じように優秀でもそれほどの影響を与えられなかった人たち」は狐型だったのである。さらに引用する。

針鼠型の人たちはもちろん、愚かではない。全く逆である。理解を深めていけば、本質は単純であることを知っているのだ。相対性理論の e=mc2 ほど単純な公式がありうるだろうか。無意識とイド、自我、超自我で説明することほど単純な説明がありうるだろうか。アダム・スミスのピン製造所と「見えざる手」ほど簡潔な説明がありうるだろうか。針鼠型の人たちは愚かなのではない。本質を深く見抜く力をもっているために、複雑さの奥にある基本的なパターンを把握できるのだ。針鼠型のの人たちは本質を見抜き、本質以外の点を無視する。

「理解を深めていけば、本質は単純であることを知っている」とある。スティーブ・ジョブズの言う通り、思考し洞察し洗練していけば、要は「理解を深めていけば」、シンプルな本質にたどり着くというわけである。さらに引用する。

針鼠と狐の話が、偉大な企業への飛躍とどのような点で関係があるのだろう。答えはこうだ。すべての点で関係がある。
偉大な企業への飛躍を導いた経営者は、程度の違いはあっても、全員が針鼠型である。針鼠型の考え方によって、「針鼠の概念」とわれわれが呼ぶようになったものを、それぞれの会社に合わせて確立している。比較対象企業を率いた経営者は狐型が多く、針鼠の概念に見られる単純明快さの利点を獲得できず、力が分散し、焦点がぼけ、方針に一貫性がなくなっている。

「比較対象企業」とは大きく飛躍した偉大な企業との比較に用いられる企業である。そこそこ成長したが偉大ではない企業である。狐型を全否定する気はない。彼らは正統派の本流にはなれないが、ジョーカー的な存在として存在意義を持つ場合はある。

現象は複雑だが本質はシンプルである。しかしその本質にたどり着くのは並大抵の努力ではできないという。「針鼠の概念」つまり「シンプルな本質」とは、すぐに目につくシンプルな解決策に安易に飛びつくのとは違うのである。さらに引用する。

飛躍した企業は、針鼠の概念を確立するまでに平均約四年かかっている。科学の理論がそうであるように、針鼠の概念が確立できれば、複雑な世界を単純明快に理解できるようになり、その後の意思決定がはるかに容易になる。この概念は、確立できた後に見れば、一点の曇りもないほど明快で、ほれぼれするほど単純だが、この概念を確立するまでの道のりは恐ろしく困難で、時間がかかることもある。針鼠の概念の確立は、その性格上、反復の過程であって、一回で終わるようなものではないことを認識すべきだ。

シンプルな本質である「針鼠の概念」を確立するまで平均で四年かかっているという。これは明らかに洞察と思考と洗練を長期にわたり継続的に反復して、単純な本質を導出しているとわかる。一回の会議で決めてしまうようなものではない。図で示す。

図の左下は良い意味でのシンプルさを持つが、同時に反面悪い意味での単純さを持つ人である。こういう人はシンプルで一貫しているようだが、複雑な現実に対応できない。現実に対応できないため最終的には一貫性を保てない。

右下は良い意味での複雑さを持つが、反面行うことがバラバラで一貫しない。変幻自在な狐型である。

針鼠型は上のハーモニー型中庸である。良い意味でのシンプルさと良い意味での複雑さの両方を持っている。しかしこれの実現は困難である。

『礼記』に次の言葉がある。

書下し文
君子は多くを聞き、質してこれを守り、
多くを記し、質してこれを親しみ、
精しく知り、略にしてこれを行う。

現代語訳
すぐれた人は、多くの見聞を積み、そこから洗練して得た本質を大切にし、
多くを記憶して、そこから洗練して得た本質に親しみ、
精しく物事を知って、シンプルに実践する。

「質して」は「ただして」と読む。「質」は漢和辞典によると「なかみをつきつめる」「問いただす」とある。現代の言葉で言うと「洗練して本質を得る」ということになると思い、上のように訳した。

「多くの見聞を積み、多くを記憶して、物事を詳しく知る」という過程は、最初に現実の複雑さを認識するということである。やはり、すぐに目につきやすいシンプルさに安易に飛びつくのではなく、まず複雑な現実を見る。そしてそこからシンプルな本質を導き出してそれを大切にする。明らかに『ビジョナリーカンパニー 飛躍の法則』と同じ内容を述べている。

針鼠型は良い意味でシンプルなため、本人が正直に話し正直に行動すれば、自然にしていても言動は終始一貫する。そして良い意味で複雑なため、複雑な現実も正しく御せる。

良い意味でシンプルである点から述べる。

天文学者ケプラーの言葉が、アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』に引用されている。

「自然はシンプルさと一貫性を愛する」 ― 天文学者、ヨハネス・ケプラーの言葉である。ジョブズもそうなのだ。

針鼠型のジョブズはシンプルさを愛し、シンプルだからこそ一貫していた。『論語』衛霊公篇に次の言葉がある。

書下し文
子曰く。賜や。汝、我を以って多く学びてこれを識る者と為すか。応えて曰く、然り。非なるか。曰く。非なり。我は一を以てこれを貫く。

現代語訳
孔子が仰った。「子貢よ。おまえは私をたくさん学んで多くを知っている者だと思うか?」子貢が答えて言った。「はい。違いますか?」孔子が仰った。「違うぞ。私はひとつのことを貫く人間だ。」

孔子の重要な弟子である子貢は孔子のことを多才な人だと思った。実際孔子は多才であった。しかし孔子が重要視したのはその点ではなかった。「一を以てこれを貫く」「ひとつのことを貫く」とある通り、「ひとつのこと」はシンプルさを表しており、「貫く」は一貫性を表している。孔子は一貫していることを重要と考えた。明らかにケプラーやジョブズと同じことを述べている。

続いて良い意味で複雑な点を述べる。良い意味で複雑なためシンプルでありながら複雑な現実に対応できる。『論語集注』に次の言葉がある。

書下し文
守る所の者至簡にして、能く煩を御し、処る所の者至静にして能く動を制し、務むる所の者至寡にして能く衆を服す。

現代語訳
大切にする理念がシンプルであっても、煩雑な事柄を御し、静かにしていても、多様な動きを御する。少ないことしかしなくても、多くのものを服させることができる。

良い意味でシンプルであり、良い意味で複雑であることが的確に表現されている。『孟子』から引用する。

書下し文
言近くして旨遠き者は、善言なり。
守り約にして施し博き者は、善道なり。

現代語訳
言葉は身近でも、その意味の射程が遠いのは、良い言葉である。
シンプルな行いでも、その効果が広大なのは、良い行いである。

これも良い意味でのシンプルさと良い意味での複雑さを的確に表現している。『荀子』から引用する。

書下し文
明主は要を好むも闇主は詳を好む。
主の要を好まば則ち百事詳なるも、
主の詳を好まば則ち百事荒む。

現代語訳
すぐれたリーダーはシンプルさを好むが、劣ったリーダーは複雑さを好む。
リーダーがシンプルさを好めば、多様な現実はうまくおさまるが、
リーダーが複雑さを好めば、現実はすさんでいく。

これも同様である。

再度『ビジョナリーカンパニー 飛躍の法則』から引用する。

針鼠の概念が確立できれば、複雑な世界を単純明快に理解できるようになり、その後の意思決定がはるかに容易になる。

シンプルな本質である「針鼠の概念」を確立すれば、一貫性を保ちながら複雑な現実に対応できるというのは、『論語』『孟子』『荀子』の言葉とまったく同じことを述べている。

Amazonの創業者ジェフ・ベゾスも針鼠の概念を確立している。「カスタマーファースト」である。2016年のベゾスレターに次の記述がある。

事業経営で何を最優先するかは、会社によってさまざまです。競合他社に目を向ける会社もあれば、プロダクトに注目する会社もありますし、テクノロジー中心の会社も、ビジネスモデル中心の会社も、それ以外のことを核に置く会社もあります。私は、お客様にとことんこだわることが、はじまりの日の熱気を維持するうえで何より大切な要素だと思っています。

Amazonは「カスタマーファースト」を「針鼠の概念」として確立している。ベゾスの次の言葉もある。

我々は難しすぎる問題に直面するといつも、「では消費者にとって何が得か?」と問うことで問題をクリアにしようと試みる。

これは先ほど引用した『ビジョナリーカンパニー 飛躍の法則』にあった「針鼠の概念が確立できれば、複雑な世界を単純明快に理解できるようになり、その後の意思決定がはるかに容易になる。」という言葉のとおりである。Amazonは複雑な世界を「カスタマーファースト」という概念で問題を明確にしている。

先に引用した『論語』の「一を以てこれを貫く」「ひとつのことを貫く」の通り、Amazonは「カスタマーファースト」というひとつのことで一貫している。『論語集注』の「大切にする理念がシンプルであっても、煩雑な事柄を御す」という言葉の通りでもあり、『孟子』の「シンプルな行いでも、その効果が広大なのは、良い行いである。」という言葉のとおりである。

シンプルさと複雑さのハーモニー型中庸を述べた例を『孟子』からさらに引用する。

書下し文
孟子曰く、博く学びて詳らかにこれを説くは、まさに以て反って約を説かんとすればなり。

現代語訳
孟子が言われた。広く物事を学んで詳しく説明をするのは、みずからの博識を示すためではなく、逆にシンプルな本質を伝えたいからである。

「広く学ぶ」「詳しく説明する」⇔「シンプルな本質」となっており「広い」「詳しい」⇔「シンプル」が対比的になっているのが分かるだろうか。

例えばジェフ・ベゾスが広くたくさんの読書をして、多くの文章を書くのは、「カスタマーファースト」というシンプルな本質を社員に伝えたいからである。

『近思録』に次の言葉がある。

書下し文
その天下の理を包涵し尽くすは、また甚だ約なり。

現代語訳
すぐれた人の言葉は、世界の真理をそのうちに含んでいるが、その表現は簡潔である。

「針鼠の概念」がシンプルでありながら、複雑な現実に対応できるという内容を正しく表現している。

『サンユッタ・ニカーヤ』という仏典がある。岩波文庫から『神々との対話』という題で出版されている。引用する。

この道は、行きがたく、険しいのです。
聖者たちは、行きがたき、険しい道をも進んでいきます。
聖者ならざる人々は、険しい道において、頭を下にして倒れます。
聖者の道は平らかです。
聖者は険しい道においても平らかに歩むからです。

平らかな道を歩んで倒れてしまう人は、能力の無い人である。平らかな道を平らかに歩み、険しい道で倒れてしまう人は普通の人である。険しい道を複雑な仕方で踏破するのは能力のある人である。狐型の人。しかし針鼠型の人は険しい道をシンプルに平らかに歩む。

「ビジネスリーダーの哲学と現代日本」という以前に書いた論文があるが、これは「真理をとらえる」ということをバカのひとつ覚えのように繰り返している。複雑な現実に対応できる内容とは必ずしも思えないが、対応しようと努力はしている。「ビジネスリーダーの哲学と現代日本」の記事では「針鼠の概念」を自分なりに模索しようとしている。シンプルと複雑さのハーモニー型中庸を目指している。

■作成日:2024年4月28日


■上部の画像は葛飾北斎

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