思想というシチュー

以前20代の終わりころだが、尊敬する年配の日本のビジネスマンに私の書いた論文を読んでもらった。感想を聞いた。

私「私の文章どうでした?」
彼「面白いね。」
私「どの辺が良かったですか?」
彼「引用がいいね。」
私「・・あ、そ、そうですか。」

要は私が書いた文章は大して面白くなく、引用した古典の言葉が面白いわけだ。もしかしたら的確な批評かもしれない。私の文章を料理のシチューに例えると、牛肉、ジャガイモ、ニンジンなどの具材は引用する古典の言葉。具材は厳選してあるからその味を楽しんでもらうのはとてもうれしい。それが目的ですらある。

しかしそれら具材をつなぐもの、シチューのスープは私の思想なのだ。そこを彼に強調すべきだった気がする。




■上部の画像は韓国の殊眼禅師の書。1940年。

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