中国の聖賢とアメリカ建国の父

『易経』「山風蠱」に次の孔子の注がある。

書下し文
甲に先んずること三日。甲に遅るること三日。終われば則ち始め有り。天行なり。

現代語訳
改革を行うに臨み、三日過去にさかのぼってその原因を究明し、三日将来を見据えてその効果を測る。終わりがあれば始めがある。それは天の道である。

「蠱」とは改革すべき状態を指す。「甲」とは改革の時を指すようである。 公田連太郎は『易経講話』でこの個所を次のように解説している。

天下の弊風を改革刷新するには「甲に先だつこと三日」今日いよいよ事を始めるに至るまでの以前の世の中の情態の変遷を、数年あるいは数十年に遡って、検討して考慮をめぐらし、また「甲に遅るること三日」今日改革刷新した後、世の中の状態は如何に成り行くべきかという事を、今後の数年あるいは数十年の後までも考慮して、然る後に適当なる改革の法を確立して、断行すべきである。というのは、すべて物が終わるときは復た始まりがある。それと同じく、世の中の情態も、治まることがあれば、必ず乱れることがあり、乱れることがあれば必ず復た治まるのである。それが世の中の情態であり、天の運行の情態である。それ故に、蠱を治めるにも、前の終、すなわち今の蠱の乱れに至ったところの原因来歴を究め、今の後、則ちこの後いかなる情態に成り行くべきかという事を考慮し、すなわち物事の終と始とを熟慮して、適当なる方針を定めるべきである。

現状を良くしようとするときに、敢えて過去にさかのぼって、なぜ現状がそうなっているかの原因を究明し、現状を良くする改革を行うとその改革がどのような効果を及ぼすか、未来を見据えて考えるべきだと述べている。行き当たりばったりの改革ではいけないという。

この『易経』の箇所を読んで真っ先に思い出すのはアメリカ建国の父たちである。サムエル・モリソン『アメリカの歴史』第二十章に次の記述がある。

ギリシャおよびローマ時代の、政治に関する著述は、憲法協議会の討議内容に大きな影響を与え、同時に討議を活発化させる刺激剤として働いたのであった。

ジョージ・ワシントンやトマス・ジェファソンをはじめとするアメリカの建国の父たちは、国を建て憲法を制定するにあたって、古代ギリシャ・ローマの古典から学んだという。西洋文明の始まりであるギリシャ・ローマの著作が「憲法協議会の討議内容に大きな影響を与え、同時に討議を活発化させる刺激剤として働いた」というのだ。

私はアメリカの歴史に詳しくないが、サムエル・モリソンの概説書を途中まで読んで感じたのは、アメリカの建国の父たちは、何百年もの後のアメリカの将来を見据えたうえで、国の仕組みをつくり、憲法をつくったということである。アメリカの憲法および国制は人類の歴史の傑作のひとつであろう。

公田連太郎の言葉で言うと、建国の父たちが古代ギリシャ・ローマの古典から学んだのは「今日いよいよ事を始めるに至るまでの以前の世の中の情態の変遷を、数年あるいは数十年に遡って、検討して考慮をめぐらし」たということである。さらにアメリカの何百年もあとの未来を見据えていたのは「今日改革刷新した後、世の中の状態は如何に成り行くべきかという事を、今後の数年あるいは数十年の後までも考慮し」たということである。実際には数十年ではなく数百年だが。

ケインズに次の言葉がある。

経済学の研究のためには、非常に高度な天賦の才といったものは必要ない。経済学は哲学や自然科学に比べればはるかに易しい学問といえるだろう。にもかかわらず優れた経済学者は非常に稀にしか生まれない。このパラドックスを解く鍵は、経済学者がいくつかの全く異なる才能を合わせ持たなければならない、という所にある。彼は一人にして数学者であり、歴史家であり、政治家であり、哲学者でもなければならない。個々の問題を一般的な観点から考えなければならないし、また抽象と具体を同時に兼ね備えた考察を行わなければならない。未来のために、過去に照らし、現在を研究しなければならない。

最後のところに「未来のために、過去に照らし、現在を研究しなければならない」とある。ケインズも過去にさかのぼり原因を究明し、未来を見据えてその効果を測ったと思われる。

引用したケインズの言葉は私の好きな言葉のひとつである。ある意味目標としている言葉ですらある。この言葉は、ある意味総合家、ジェネラリストがどうあるべきかを的確に表現している。すぐれた経済学者であるためには、すぐれた総合家である必要があるのだろう。アメリカの建国の父たちも総合家であったはずだ。ケインズと共通するものがあるのかもしれない。ショーペンハウエルに次の言葉がある。

もっとも重要でもっとも深い洞察を提供するのは、個々の事物についての細心な観察ではなく、全体の把握の充実度なのである。

ケインズやアメリカの建国の父たちの事績を読むとこのショーペンハウエルの言葉が思い浮かぶ。

『易経』の注釈は公田連太郎が非常にすぐれて分かりやすいが、程伊川の注も的確にして簡潔、簡潔にして詳細でありきわめてすぐれている。「山風蠱」の該当箇所の解説を引用する。

書下し文
それ始め有れば則ち必ず終り有り。既に終われば則ち必ず始め有り。天の道なり。聖人は終始の道を知る。故に能く初めを尋ねてその然る所以を究め、終わりを要してその将に然らんとするに備う。甲に先んじ甲に遅れ、これが慮を為す。能く蠱を治めて元亨を致す所以なり。

現代語訳
そもそも始まりがあれば必ず終わりがある。ひとたび終われば必ずまた再び始まりがある。これが天の道である。聖人は始めと終わりの道を知る。であるから、その始まりを尋ねて、現在がなぜこのような状況であるのかの原因を究め、終わりを見据えて、物事が将来どうなっていくのかを慮り未来に備える。改革の時に先んじて過去を学び、改革の時に遅れて未来を見据え、改革の内容を塾慮する。それが改革の時を治め、理念を正しく実現する所以である。

アメリカの建国の父たちは、程伊川の言葉でパラフレーズすると、古代ギリシャ・ローマの古典という西洋の始まりを尋ねて、現在がなぜこのような状況であるのかの原因を究め、何百年後をも見据えて、物事が将来どうなっていくのかを慮り未来に備えたのだと思われる。彼らはアメリカの建国、憲法の制定という改革の時に先んじて過去を学び、改革の時に遅れて未来を見据え、改革の内容を塾慮したのであって、それによって理念を正しく実現したのである。

『論語』に次の言葉がある。

書下し文
子曰く、
古きを温めて新しきを知る。
以て師と為るべし。

現代語訳
孔子が言われた。
古いものに習熟して、そこに新しさを見いだすことができれば、
他人の師となることができる。

アメリカの建国の父たちは、古代ギリシャ・ローマの古典に新しさを見いだした。ケインズは未来のために過去を学んだ。

ジョージ・エドワード・ウッドベリーというアメリカの詩人に次の詩がある。サムエル・モリソン著『アメリカの歴史』に引用されている。アメリカの歴史の根底にある普遍性を次のように述べている。この文章はアメリカの特質を的確に言い表しており、原文を含めて熟読に値する。

原文
She from old foutains doth new judgement draw,
Till, word by word, the ancient order swerves
To the true course more nigh; in every age
A little she creates, but more preserves.

日本語訳
彼女は古い泉から新しい判断力を汲み取り、
やがて一語づつ旧来の秩序は方向を変え、
より近い正しい道を歩み始める。いつの時代であれ
彼女の創造するところは、わずかなものであるが、
より多くのものを彼女は失わずに保ち続ける。

アメリカは「古い泉から新しい判断力を汲み取」る力があるのだという。これは温故知新と同じ思想である。われわれ日本人は「温故知新」というと古臭い言葉のように思うが、新しい国の代表とされるアメリカの思想の中心のひとつなのかもしれない。

中国の聖賢とアメリカのリーダーたちは互いに通じるところがあるのかもしれない。かれらは未来と過去のハーモニー型中庸が執れている。下の図で示す。



過去の伝統に依拠する人は内容のある正しい伝統を保持する。しかし古い人になる。右下。

未来を切り開く人は新しい。しかし流行で終わることが多い。左下。

未来と過去のハーモニー型中庸が執れる人は、新しいながら流行で終わらず、伝統に依拠しながら古くならない。アメリカ建国の父たち、ケインズ、中国の聖賢はそのような人たちである。これが良い意味での新しさと良い意味での古さを併せ持つことであり、温故知新である。それが可能なのは、『易経』の言う「甲に先んずること三日。甲に遅るること三日。」が実現できているからである。

現代日本をよくするためには、未来と過去のハーモニー型中庸が必要である。言うは易く行うは難しであるが、少しでもその実現を目指すため歴史を読んでいる。日本史、アジア史、西洋史を1:1:1の割合で読んでいく。

『易経』の言う「甲に先んずること三日。甲に遅るること三日」。日本の歴史を読んで、なぜ現代日本がこうなっているのかを調べる。「能く初めを尋ねてその然る所以を究める」「その始まりを尋ねて、現在がなぜこのような状況であるのかの原因を究める」のである。

そして日本が将来どうなっていくかを見据えながら思想をつくる。「終わりを要してその将に然らんとするに備う」「物事が将来どうなっていくのかを慮り未来に備える」というのが理想である。

現在歴史を読んでいる。歴史を読むだけで2年くらいかかりそうだ。まだまだ先は長い。

■作成日:2025年4月16日


■上部の画像は葛飾北斎

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