やがて哀しき外国語?

「やがて哀しき外国語」という村上春樹の言葉がある。多くの人は大学に入ってはじめて英語以外の外国語を学ぶ。新しい外国語を学ぶのはとても新鮮な体験だ。自分が知らなかった世界観が手に入ったような達成感がある。そのため色んな言語をかじるのが楽しいと言う人が一定数あらわれる。私もその一人だ。

第二外国語が中国語。第三外国語がドイツ語。第四外国語が古代ギリシャ語。第五外国語がフランス語。全部基本文法だけやった。大学中退後はあまり手を付けていないが、アラビア語とサンスクリット語を一応基本文法をやった。そして今回古英語を大雑把に勉強してみた。本当は、あとロシア語とヘブライ語、韓国語をやりたい。

ではそれらの言葉を話せるかと言うと話せない。話せるのは英語くらい。これが「やがて哀しき外国語」の意味だ。最初は面白がって色々勉強したがどれもものにならず、最終的に何の意味もなかったというわけだ。確か立花隆も同じことを言っていた。

私もどれもものになっていない。しかし無意味だったかと言うと決してそうは思わない。例えばヨガを習っているが、ヨガに関する本を読むと必ずサンスクリット語が出てくる。サンスクリット語を全く知らないとこの時点でチンプンカンプンになる。しかしサンスクリット語を少しでもかじっていると、逆にサンスクリット語が出てくると非常に興味を持つ。理解度が大幅に上がる。

アラビア語も同じだ。コーランはイスラム教徒にとって神の言葉だ。しかしイスラム教徒はコーランを日本語や英語に翻訳したものをコーランとは呼ばない。コーランはあくまでアラビア語でなければならない。なぜならコーランの言葉の概念的意味も重要だが、それ以上にコーランの音の響きが重要だからだ。イスラム教徒にとってはコーランの言葉は神の声に聞こえる。響きが重要なので日本語や英語ではだめなのである。

そしてアラビア語でコーランを読むのはそんなに大変ではない。アラビア語でドラマを見るのは大変だ。水泳で言えば大海の荒波を長距離で泳ぐようなものでオリンピック選手並みの能力がいる。ドラマの思想レベルなそんなに大したことないかもしれないが必要とされるアラビア語能力は非常に高い。しかしコーランの一部をアラビア語で読むのはそんなに大変ではない。単語もゆっくりひとつづつ調べればいい。日本語訳を参照してアラビア語での意味を確認して良い。水泳で言えば100メートルを足をつきながらゆっくり泳ぐようなものだ。しかし思想のレベルは非常に高い。要は基本文法書を一通り勉強するだけでコーランを部分的にであれば読めてしまう。決して無駄ではない。

今回古英語を勉強してみた。古英語と言うのは10世紀以前の昔の英語。たった1か月しか勉強していないが、それだけでもゲルマン時代のイギリスの雰囲気を感じ取れる。決して無駄ではない。下の画像は私の古英語の勉強ノート。

分からない単語はwiktionaryというネット上の辞書で調べる。英語版がいい。日本語版は単語数が少ない。英語版はとても便利。語源が載っているからだ。どんどん語源をさかのぼっていける。ラテン語やギリシャ語、古英語などにさかのぼれる。単語を覚えるのは語源で覚えるのが一番効率がいい。場合によってはproto-indo-european、印欧祖語というもっとも古い層までさかのぼる。印欧祖語というのはサンスクリット語やヒンディー語などのインドで話される言葉、英語、フランス語、ロシア語、ギリシャ語などヨーロッパで話される言葉の共通の祖先。そこまでさかのぼってそこから「この英単語の語源はサンスクリット語のこの言葉と同語源なのか。」とか分かると記憶が定着しやすい。

余談だが日本語の「旦那」という言葉は英語の「donation」と同語源だ。旦那は仏教用語でサンスクリット語の「dana」「布施」から来ている。それを印欧祖語まで遡ると英語の「donation」の祖先まで行きつく。「donation」は寄付という意味。


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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。