誰に向かって思想を書くのか

私は思想系の記事を書いている。読者層をどう想定しているかを書いてみる。

哲学の専門家向けには書いていない。恐らく専門家からすると私の記事は当り前の内容を書いているときが非常に多いと思う。

哲学をまったく理解できない人に向けても書いていない。本当はみなに届く文章を書きたいし、これから徐々にもっともっと分かりやすい文章にしていくつもりではある。しかし限度はあるので、全ての人に届く文章を目指してはいない。

想定している読者層は、思想を読む能力はあるけれど、ほとんど読んだことない人たちである。簡単に言うと他の分野で頑張っていて、思想を読んだことない人たち。ビジネス、科学、文学など思想以外の分野。特にビジネス系。

なぜ彼らに向けて書くのか?

思想が門外漢に分からない言葉で書かれるということは、思想が他の分野から孤立することを意味する。思想の古典は非常に大きな力を持っていると思うが、非常に分かりづらい。他の分野の人たちは思想を活用しづらい。

他の分野の優れた人たちに思想の本質が分かりやすく開放されれば、世の中は良くなる気がする。恐らく思想の分かりづらさが世の中のボトルネックのひとつになっている。ここを直撃すればいいはずだ。この軸は当面、ずらすつもりはない。

■2023年7月14日追記。

哲学を読む能力があるけれど読んだことない人に向けて書くのが最もコストパフォーマンスが良い。費用対効果が良い。

適切な比喩ではないかもしれないが、時計を見ても時間を読めない人に時計を送っても意味がない。哲学を理解できない人に向けて思想を書いても意味がない。

時計をすでに持っている人に時計を送ってもあまり意味がない。もうひとつ時計が増えるだけだ。哲学をすでに知っている人に向けて書いても意味はあるが効果は少ない。

時計を見て時間を読めるが時計を持っていない人に時計を送るのは大きな意味がある。哲学を理解できるが哲学を読んだことが無い人に向けて書くのは大きな意味がある。

しかも哲学を理解できるが哲学を読んだことない人は日本に何千万人もいる。哲学をすでに知っている人は何万人かしかいない。数に千倍の差がある。だから哲学を読んだことない人向けに書いたほうが読んでもらえる確率は非常に高くなる。費用対効果の違いは明らかだ。




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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。