国によって違う評価される人材

堺屋太一によると中国やフランスでは知的な人が評価される。実際フランスでは哲学者は非常に尊敬される。中国でも現代はよく知らないが少なくとも過去の歴史では儒教が高く評価された時期は長い。

それに対してアメリカでは知的な思想家は評価されない。逆に"Egg Head"と言われ軽蔑される。エリック・ホッファー『情熱的な精神状態』から引用する。

アメリカ人の知性を測るには、彼らと話しても無駄である。一緒に仕事をしてみなければわからない。あたかも十七世紀のフランス人が格言とアフォリズムを磨いたように、アメリカ人は、たとえそれが陳腐なものであっても、ものごとを行う方法を磨き洗練する。

アメリカ人は言葉巧みな知的な人を評価しない。彼らが評価するのは行動の人である。彼らは言葉を磨かず行動を磨く。

日本はどうか。堺屋太一によれば、日本では大した仕事をしなくても上品で人柄の良い人が尊敬されるという。源氏物語の光源氏のようなタイプの人だ。戦前の近衛文麿がその典型。この人がトップに立って実権を握ったため日本は滅亡したという。「上品で人柄の良い人が尊敬される」のは悪いことではない。しかしそういう人が実権を握ってはいけない。

天皇も同様かもしれない。私は天皇を尊敬している。しかし天皇は儀礼が仕事であって具体的な仕事はしない。重要なのは天皇が具体的な仕事をしないことだ。儀礼しかしないからよい。具体的な仕事は有能な政治家に任せて、天皇は象徴としてトップに立つのがいいと思う。天皇には品格があり人柄が優れている。天皇は日本文化の象徴として重要な存在だと私は思う。上品な人が尊敬される日本では天皇が具体的な仕事はせず象徴的にトップに存在するのはしっくりくるし、日本人の心をまとめるうえで良いことだと思う。

私は大学中退後、専門学校に通っていた。そこでも同じような例があった。その学校の校長は非常に人柄が良くとても上品だった。ただ実権は仕事のできる副校長が握っていた。校長には実権がなかった。恐らく結構な確率で日本の組織にはこのようなパターンが存在するのではないかと思う。


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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。