他人の長所に注目するセンサー

私は他人を見るときはその人の長所に注目する。短所も自然と目に入るがあまり気づかない。だから他人のすぐれた点に目がいって基本的には他人を尊敬しやすい体質だと思う。

これには理由がある。要は私は成長オタクなのだ。他人から学ぶことはないかと常に虎視眈々としていると自然と相手の長所を見る。他人の短所より長所から学ぶことが多いからだ。

山下清がIQが低かったからと言ってそこに着目せず、山下清のすぐれた絵に注目する。世間的には俗っぽいとされるお笑いでも、その俗っぽさはあまり気にならない。そこから学べる事を読み取ろうとする。 相手に短所があるからと言ってその長所を無視してしまうのはもったいない。

「他人のもっているもので自分のもっていないもの」に注目する。逆に「自分が持っているもので他人が持っていないもの」も自然と目に入るがセンサーが弱い。他人の長所を見るセンサーと自分の長所を見るセンサーが2:1くらいの強さなのだ。

これはいいことばかりではない。常に他人の長所を見ると他人と自分を比べてしまい、自分の自信が削がれてしまう。「自信はあるか」とたずねられれば「ある」と答える。それは嘘ではない。しかし決して強烈な自信があるわけではない。他人と接する時、ネットでもリアルでも常に相手の長所を感じながら接している。要は成長と自信がトレードオフになる。現在はやや成長優先のスタンスをとっている。

twitterをしていた時もとても優れた人たちと交流していた。仲良くはなれなかったし、途中からなろうともしなかったが、彼らを尊敬していたし得るものが多かった。自分で言うことではないが、私の文章に興味を持ってくれる人はレベルが高い人が多い。数は少ないがレベルが高い。だからいつも何人かのレベルが高い人と交流することになる。

twitterで私の文章を読んでくれた人たちのうち5人くらいは「本当にすごい人たちだな」と思いながら交流していた。どの人も優れていた。そう思っていることは彼らには伝えなかった。しかし、そういう人たちと交流できるSNSの威力の凄まじさを体感した。

他人の長所をひしひしと感じるのは、相手から何かを学ぶ心の準備が整っているということだ。しかしマイナスの効果もある。他人から学ぶことは、下手すると自分の個性を失うことにつながる危険性がゼロではない。自分を捨てて他人に合わせてしまう危険性がある。その辺は微調整しながら「自分を大事にすること」と「他人から学ぶこと」のバランスをとって自分のスタンスを決めている。


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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。