センス、遊び心、海賊。

世の中にはある分野をそんなに学んだことないのに、その分野のことをかなりの程度分かる人がいる。要はカンが利く人である。ビル・ゲイツがスティーブ・ジョブズを評した言葉がアイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』に引用されている。

技術そのものはよくわからないというのに、なにがうまくいくかについては驚くほど鼻が利きますね。

ジョブズは技術に関しては素人のようである。しかし技術をどう用いればいいかはカンで分かってしまうという。

ジェフ・ベゾスも同様である。Amazonのバイスプレジデントだった人が次のようにベゾスのことを述べている。

制御理論も専門じゃないし、オペレーティングシステムも専門じゃありません。物流センターのことも少ししか知らないし、何か月も現場で過ごしたことなどもありません。それなのに、彼の指摘はいちいち正しいんです。それは違うと言えれば胃が痛むこともないのでしょうけど、そんなことは言えません。ジェフとだと、いつもこんな感じになるのです。なにも知らないはずなのに信じられないくらいよくわかる。彼はそういう力を持っていて、思ったことを容赦なく伝えてくるんです。

ジェフ・ベゾスもカンが利く人のようである。この「カンが利く」ということが全体を統括する人にとって非常に重要である。ただこれは数値化できないためIQやテストなどで判別できない。

適切な比喩かは分からないが、例えばワインの素人でワインの蘊蓄を一切知らない人が、高級ワインをひとくち飲んで「うまい!!」と言ったなら、その人はおそらくそのワインのおいしさをよく分かっている人だろう。それに対し、ワインの蘊蓄をよく知ったうえでそのワインを「うまい!!」と言う人は、もちろん理解している可能性はあるが、ワイン評論家など他人の意見の影響でそう言っているだけかもしれない。

ジョブズはテクノロジーのことは分からないが、すぐれたワインの素人と同じで、技術の本質が分かるのかもしれない。もちろん技術の専門家は必要で、ジョブズの指摘が正しいかどうか、最終的に専門家が判断する必要はある。

『菜根譚』に次の言葉がある。対句になっているので書き下し文も読んでほしい。

書下し文
一字も識らずして、
而も詩意ある者は、
詩家の真趣を得る。

一偈も参せずして、
而も禅味ある者は、
禅教の玄機を悟る。

現代語訳
一字も文字を知らないのに、詩心を解する者は、詩の本質を知る者である。
一つも偈頌を受けていないのに、禅の妙味を解する者は、禅の奥義を知る者である。

ワインの話で同じような文章をつくると次のようになる。

少しもワインの蘊蓄を知らないのに、ワインの味を理解する者は、ワインの本当のおいしさを知る者である。

ちなみに私は酒は飲まないのでワインの味はわからない。

ジョブズやベゾスについて同じような文章をつくる。

技術のことが分からないのに技術を使いこなせる人は、技術の本質を知る人である。

恐らくジョブズもベゾスも本質を捉えカンが利くので、素人であっても技術のことがある程度わかってしまうのだと思う。

『言志晩録』に次の言葉がある。これも対句。

書下し文
天を以て感ず者は、慮らざるの知なり。
天を以て動く者は、学ばざるの能なり。

現代語訳
天によって感じる者は、考えなくとも自然に本質を知る知性を持つ。
天によって動く者は、学ばなくとも自然に本質に従い行動できる能力を持つ。

考えずとも正しいことが分かり、学ばずとも正しく行動できる。非常にカンが利く人のことを述べている。

カンは直観やセンスと言ってもいい。カンの反対が分析である。ジェフ・ベゾスの言葉を引用する。

私は「迷い」の力を信じている。私のこれまでのビジネスや人生における最善の決断は、心、本能、直観でなされてきたものであり、分析によるものではない。

ベゾスは分析より直観を重んじている。次の言葉もある。

優れた顧客体験は、気持ち、直観、興味、遊び心、本能、センスから始まります。そうしたものは調査の中では見つかりません。

調査は市場調査などであり分析である。ベゾスは分析より直観を信じている。

しかし本当はベゾスは分析も直観と同じくらい大切と思っているはずだ。2005年のベゾスレターに次の言葉がある。

アマゾン・ドット・コムではデータに基づいて重要な意思決定が行われることが多々あります。答えが正しいか間違っているか、よりよい答えか悪い答えかを、数字が教えてくれるのです。この手の意思決定は、アマゾンの得意とするところです。

やはりデータに基づく分析も重要としている。それはアマゾンの得意とするところとも言っている。しかし次のように続く。

とはいえ、みなさんも感じられているように、重要な意思決定のすべてがこのようなきちんとした数字をもとに行われるわけではありません。指針となるような過去のデータがほとんど存在しない場合もありますし、前もって検証することが不可能だったり現実的でなかったり、あまりに面倒すぎて決断の支障となる場合もあります。データと分析と数字は大切ですが、こうした意思決定で重要な役割を果たすのは判断力です。

分析やデータは重要だが、万能ではないと述べている。続いて次の言葉がある。

数字に基づく意思決定は幅広い賛同を得ることができますが、主観的な判断に基づく意思決定には、異論も多く、実践され効果が証明されるまでは賛否が分かれることも少なくありません。論争を避けたがる組織なら、前者の判断、つまり数字に基づく意思決定しかできなくなります。ですが、そうなると異論が抑えられるばかりか、イノベーションや長期的な価値創造までもが抑制されてしまいます。

やはり分析やデータと同じくらい、もしくはそれ以上に、主観的判断、直観による判断を重視している。カンによる判断がないと長期的な価値創造はあり得ないと言う。

要は分析とセンスの両方が必要なのである。以前「天才論」を書いた。天才は「合理性」×「インスピレーション」であると述べた。

上の図の左下が合理性のみ。単調になる。右下がインスピレーションのみ。支離滅裂になる。天才は上の合理性とインスピレーションが相乗効果を持った時に生じる。これは分析とセンスと同じである。下図をご覧ください。

分析とセンスの両方が必要なのだ。松下幸之助『日々のことば』から引用する。

カンと科学は車の両輪。カンにかたよってもいけないし、数字や科学にかたよってもいけない。

松下幸之助もセンスと分析の両方を重視している。しかしベゾスも松下も分析の重要性よりセンスやカンの重要性を強調する。なぜかと言うと日本でも欧米でも現代人は分析を重視する傾向にあるため、分析の重要性を改めて強調する必要はない。それに対してセンスやカンの重要性は軽視されがちである。非科学的と思われるから。だからあえて強調する必要がある。松下幸之助『道をひらく』に次の言葉がある。

剣を持って相向かう。緊張した一瞬、白刃がキラめいて、打ち込む、はねる、とびすさる。目にもとまらぬ早わざである。
そこには理屈はない。相手の刃が右手から来た。だからこれを右にはねかえそう、などと一つ一つ考えて打ち合っているのではない。目に見えぬ気配から、からだ全体にひらめく一瞬のカンで、とっさの動きがきまってゆく。しかもそれは、理屈で考えた以上の正確さ、的確さを持っているのである。
カンというと、一般的には何となく非科学的で、あいまいなもののように思われるけれども、修練に修練を積み重ねたところから生まれるカンというものは、科学でも及ばぬほどの正確性、適確性を持っているのである。そこに人間の修練の尊さがある。
世に言われる科学的な発明発見の多くのものは、科学者の長年の修練によるすぐれたカンに基づいて、そのカンに原理づけ、実用化するところから生み出されている。つまり、科学とカンとは、本来決して相反しないのである。
要は修練である。練磨である。カンを働かすことを、もっと大事にして、さらに修練を積み重ねたい。

修練を積んでいくと時間がたつにつれカンが養成されてくるという。「長年のカン」というやつだ。『ビジョナリーカンパニー ZERO』から引用する。

時間が経つにつれて、直観は何と言っているのか、理解するセンスが磨かれていく。この「センス」はあなただけのもので、理由は説明できないが、何かが正しいときにそうだとわかる。

カンを磨くには時間がかかる。あと「理由は説明できないが、何かが正しいときにそうだとわかる」と言うのが面白い。理由が説明できないのである。あるゲームで次の言葉があった。

Somehow it feels right.
これが正しい気がするんだ。

ブルース・リーの次の言葉は有名だ。

Do not think. Feel.
考えるな。感じるんだ。

『ニコマコス倫理学』にヘシオドスの次の言葉が引用されている。

最上なのは、みずからすべてをさとるひと。
また、よき言葉に従うひとも立派なもの。
だが、みずからもさとらず、
他に聞くもこころにとどめないのは
せんなきやから。

直観で自ら物事を悟る人は本質をとらえている。ヘシオドスはそれを最上としている。『論語』季子篇に次の言葉がある。

書下し文
孔子の曰わく、
生まれながらにしてこれを知る者は上なり。
学びてこれを知る者は次なり。
困しみてこれを学ぶは又その次なり。
困しみて学ばざる、民これを下と為す。

現代語訳
孔子が仰った。
生まれながらにして知る者は最もすぐれている。
学んで知る者はその次である。
物事に行き詰って学んで知る者はさらにその次である。
行き詰っても学ばない者はみんなから下の人間とされる。

「生まれながらにして知る者」は学ばなくても直観で「これが正しい」と分かる人である。ヘシオドスの言葉で言うと「みずからすべてをさとるひと」である。ベゾスもジョブズもこれにあたる。もちろん彼らは学ばないというのではない。逆に非常にたくさん学ぶ。しかし彼らは自分が学んでいないことも何となく直感で分かってしまうのである。その分野の素人なのにその分野のことが大雑把に分かるのである。要は本質が分かるのだ。

この能力、カンが働くという能力が新しい分野においては非常に重要である。なぜなら新しい分野は地図がないからだ。教科書がない。専門家もいない。だから学べないのである。論語の「学んで知る者」では対処ができない。ヘシオドスの言う「みずからさとるひと」、学ばなくても直観で本質が見える人でないと新しい分野には対応できない。

新しい分野に関しては全員素人である。ビジネスにおいては特にその傾向がある。もちろん部分的には学ぶことができる。しかし地図の無い部分のほうが多い。要は新しい分野では全員素人なのだ。だから素人であるにもかかわらず、その分野のことを大雑把に理解できるジョブズやベゾスのような人が新しい分野を正しく開拓していくのである。素人なのにその分野を理解する人はその分野の本質をとらえるからである。

■2024年5月3日追記。

イーロン・マスクに次の言葉がある。

私は問題の解決策を生み出すのが得意なほうだと思う。
ほとんどの人が気づかないことでも、私にははっきり見える。
別に特別なことは何もしていない。
私は物事の真理を見ているが、ほかの人たちにはそれが難しいのだろう。

イーロン・マスクには真理が見えるということ、それはジョブズやベゾスには本質が見えるということと同じである。だから知識や手段が体系化されていない新しい分野、部分的には学べても完全には学んで知ることができない分野でも彼らは正しく開拓していけるのである。

■追記終り。

■2024年5月4日追記。

スティーブ・ジョブズの言葉に次の言葉がある。

アーティストの才能というのは、身のまわりにある物事の真理を見抜く力のことだと思う。
そういう洞察力を持った人は、誰もやったことのない方法で物事を組み合わせ、それを洞察力の無い人にも分かる方法で表現できるんだ。

「洞察力を持った人」が「みずからすべてをさとるひと」であり、その人がほかの人も学べるように表現する。それを学んで知る人が、論語の「学んで知る者」なのである。

■追記終り。

スティーブ・ジョブズは新しいビジネスに乗り出すのを海賊になるようなものだと言う。それに対しすでにあるビジネスを大規模に効率よく行うのは海軍のようなものだと言う。海賊は好奇心に促され、みずからの直観やセンスに従う。海軍は命令と規律に従う。ジョブズの次の言葉がある。

海軍に入るより、海賊になったほうが面白い。

ベゾスは探検家と征服者と言う言葉で同じ内容を表している。次の言葉がある。

一言で言うなら、他企業は征服者の精神を持っており、我々は探検家の精神を持っている。

ベゾスの言葉を再度引用する。

私は「迷い」の力を信じている。私のこれまでのビジネスや人生における最善の決断は、心、本能、直観でなされてきたものであり、分析によるものではない。

海軍や征服者は迷いがない。規模と効率を目指し、何をどうやるべきか、すでに答えが分かっているから。しかし海賊や探検家は「右に進むべきか」「左に進むべきか」時に迷う。そして直観を信じて進む。ベゾスが「迷い」の力を信じていると言うのは、そのことを指す。

2018年のベゾスレターに次の記述がある。

アマゾンの創業当初から、何かをつくりだす人たちに価値を置く企業文化を醸成したいと考えていました。何かをつくりだす人とはつまり、好奇心があり、模索と探検を厭わない人たちです。発明好きの人たちです。また、専門家であっても、初心を忘れず、つねに新鮮な気持ちを持ち続けている人たちです。
いまのやり方は一時的でしかない、と彼らは考えます。何かをつくりだす人たちの姿勢が、私たちをなかなか解決できない大きな問題に取り組ませてくれますし、成功は試行錯誤の繰り返しから生れるのだという謙虚な気持ちにしてくれます。発明し、使ってもらい、また発明し、また使ってもらい、またはじめからやり直し、洗い直し、ひたすらそれを繰り返すという考え方です。成功への道はまっすぐでないことを、彼らはわかっています。
事業経営において、目的地がわかっていることもたまに、じつはしょっちゅう、ありますし、そういうときは効率よく物事が進みます。計画を立てて実行するだけですから。
反対にそうでない場合、つまり、さすらっているときは非効率です。といってもそれは、行き当たりばったりというわけでもありません。直観と感性と好奇心に導かれ、お客様のためになるなら多少混乱があっても脱線してみる価値はある、という深い信念に動かされてるのです。
さすらうことは効率第一のやり方だけでは足りない部分を埋め合わせてくれます。組織には効率とさすらいの両方が必要です。さすらいがなければ、予想外の多きな発見、つまり「直線的でない」発見はできません。

アインシュタインもある意味海賊だったのかもしれない。彼には好奇心があった。好奇心は海賊、探検家が持つものである。上の引用でジェフ・ベゾスが探検家のことを「好奇心があり、模索と探検を厭わない人」と述べたとおりだ。アインシュタインの次の言葉がある。

私には特殊な才能は有りません。ただ、熱狂的な好奇心があるだけです。

海賊や探検家は好奇心で動く。次の言葉もある。

わたしにあるのは、ラバのような頑固さだけだ。いや、それだけでない。嗅覚もだ。

アインシュタインもカンが働いていたのが分かる。好奇心に動かされ、カンで判断していたのだ。

あとカンが働くために恐らく必要と思われることを追記しておく。全体から部分に進むことである。イーロン・マスクの言葉を引用する。

知識を一種の意味的な木として捉えることが重要だ。基本原理、つまり幹や大きな枝をまず理解する。細部である葉に取りかかるのはその次だ。順番を間違うと、葉っぱのぶら下がるところがなくなってしまうから。

イーロン・マスクはまず全体を捉えよと言っている。

『言志後録』に次の言葉がある。

書下し文
将に事を処せんとせば、
当にまず略その大体如何を視て、
而る後に、漸漸以て精密の処に至るべくんば可なり。

現代語訳
物事を解決しようとするとき、
物事やその解決方法の全体像をまず捉えて、
それから徐々に細部に進んでいくべきである。

佐藤一斎も同じ内容を述べている。

専門家は自分の専門分野という見地から全体に対してこうしたほうがいい、と進言する。その意見は当然貴重である。しかしそれは時として国や会社や物事の全体像を捉えずに、自分の専門という部分から出発して、全体にこうしたほうがいいと進言している場合が多い。専門家は当然必要だし、専門家の意見は貴重だ。専門家の意見が物事を大きく動かすのは日常茶飯事ですらある。経営はまったく分からない凄腕の技術者が大きな発明をして会社が爆発的に成長することもあるだろう。しかし国の政治家や会社の社長など全体を統括し最終決断をする人は、全体をまずとらえる必要がある。全体から部分に進むべき。部分から全体に進むと、部分最適化が全体不適合を生じることがある。

日本は戦前の昭和初期に国益より陸軍省や海軍省など省益が優先されることで国が動かされ、部分から全体が動いた。部分最適化が全体不適合を生じた。

幕末や明治においては、リーダーたちはカンが働いた。まず国をどうするかを考え、そこから徐々に細部を検討していった。全体から部分に進んだのだ。特に坂本龍馬は全体から部分をとらえた典型である。西郷や大久保も当然優れていたが、薩摩藩の利益も考えた。それに対し脱藩していた坂本龍馬は本当の意味で全体から部分に進めた人である。

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に次の記述がある。竜馬の師である勝海舟と土佐藩主山内容堂の会話だ。山内容堂が竜馬の学問について勝海舟に質問している

容堂「して竜馬の学問の師は?」
海舟「はて。あの男の師は天でござろうな。」
容堂「天?」
海舟「なにしろ幼少の頃、寺子屋の師匠が、こんな愚物には教えられぬといって教授を断ったほどでござるから、学問のほうは推して知るべしでありましょう。」
容堂「それほど無学な男を勝先生ほどの方が人物だと推されるのは奇妙ですな。」
海舟「天が師である、と申すのは、たとえば竜馬は学者ではないが、学問は戦国の織田信長ほどはありましょう。信長は学者ではないが、天下布武の大業を遂げた。太閤秀吉は卑賎の出で学問というものはなかったが、天の理、時勢の動き、人の心を知り、ついには天下に治世をもたらした。人間数ある中には、天の教えを受ける勘を備えている者がある。」

竜馬は「勘を備えている」と司馬遼太郎は勝海舟に言わせている。竜馬がすぐれていたのは確かにカンである。それを認識している司馬遼太郎もカンが働く人であると思う。竜馬は完全にフリーな立場に身を置いた。だから全体から部分に進めた。だからカンが働いたのだ。

トップに立つ人は全体が見えている必要がある。トップの人は細部は見えなくてもいいのかもしれない。しかし全体と細部が両方見える人は強い。スティーブ・ジョブズを次のように評した人もいる。

スティーブは根本的な原理から一気に細目へと行けるのです。

全体と細部を同時に把握できて、全体と細部を瞬時に行ったり来たりできる人は強い。

私はそのようなカンはないので政治家や経営者にはならないが、思想に関しては多少カンが働く気がしている。これからも研鑽を積みたい。

■作成日:2024年4月30日


■上部の画像は葛飾北斎

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