佐賀と葉隠

私は佐賀県出身である。佐賀県佐賀市本庄町というところで生まれ高校卒業まで育った。現在は福岡県在住だ。

佐賀には『葉隠』という書物が代々伝わっている。鍋島論語ともいわれ佐嘉鍋島藩の武士の心得集である。鍋島直茂という戦国時代の佐賀の名将の言行がもとになっている。

私が生まれ育った佐賀市は鍋島藩の城である佐賀城があるところであり、本庄町は鍋島直茂生誕の地でもある。私が住んでいたところの近くに高伝寺という古いお寺があるが、そこに鍋島家代々の墓がある。いつも夕方6時になると高伝寺の鐘の音を夕焼けの中で聞いたものだ。子供時代夕方まで近所で遊んでいると高伝寺の鐘で時間を告げられた。

高校は佐賀西高校に通った。鍋島藩の藩校の弘道館がその前身であり佐賀では最も歴史ある高校だ。そして剣道部に所属していた。剣道は小学校からしていた。

現在講談社学術文庫で管野覚明先生が『葉隠』の訳注を出しているが、大学時代、私の大学の学科で管野先生が教鞭をとっており管野先生のゼミに出たこともある。 そして私は現在東洋思想を勉強している。

ここまで書くと『葉隠』にあまりにも縁がありとても詳しいのではないかと思われる。しかしずっと読んだことがなかった。絶対深い解釈ができるはずだ、と期待をこめて他人から『葉隠』について質問されるが、そのたびに期待を裏切っている(笑)。

あんまりなので1年ほど前に読んでみた。上中下巻あるが上巻はとても面白かった。自分でも知らないうちに『葉隠』を受け継いでいたのかなとも思う。上巻は面白い。名将鍋島直茂の言行だからだ。しかし中巻下巻はその子勝茂や孫の光茂の言行であり凡将なので読んでいた面白くない。途中で読むのをやめてしまった。ちゃんと読んでないので、面白くないと言うのが正しい結論かは分からない。だが上巻はお薦めだ。

佐賀は日本の都道府県のなかでも1位2位を争う田舎だ。何もないと思われているし有田焼以外は大した遺産はないといえば確かにそうだ。しかし意外と佐賀人は皆ではないが佐賀に誇りを持っていたりする。特に佐賀西高校の人はその伝統を誇りに思っている人も多い。わたしはそれほどでもないが、誇りに思う人たちの気持ちは分かる。

他県の人からするとその辺は違和感がある。佐賀県人でも佐賀市以外の人、特に鍋島藩やその支藩ではなかったところの人は「佐賀市のひとって変な誇りもっているよね。」と言う。私が佐賀西高校に在籍していた時、他県の某有名進学校出身の人が来校してきた。その人が講演をし「私の高校は東大に毎年何十人も受かります。佐賀西高校は毎年2,3人です。だから誇りを持つほどではないのです。」と言っていた。それに対し佐賀西高校の先生のひとりが「私たちが自分の高校に誇りを持っているのは単に勉強ができるというだけではないのです。」と言っていた。その気持ちは私は分かる。

もちろん佐賀人が佐賀を誉めても説得力がない。ただの勘違いかもしれない。他県人にご登場願おう。司馬遼太郎に『世に棲む日日』という吉田松陰に関する小説がある。第一巻62ページに次の文章がある。吉田松陰が若い頃、現在長崎県の平戸に行く。長州から平戸に徒歩で行くのであるから途中佐賀を通る。松陰が手記を残している。

佐賀城下に入った。鍋島家三十五万七千石という大藩の城下で、中等以上の教育が普及している点では日本一という定評がすでにある。いかにも質実そうな町で「市中を見渡すと大きな家というのは少ない。わら屋根の家が多い。望楼がふたつ見える。」と松陰は書き留めた。この佐賀藩には武富文之介という高名な学者がいて藩校である弘道館教授をしている。これを訪ねようとしてやっと屋敷をさがしあてたが、不在だった。あきらめきれずに屋敷をのぞくと、屋内でおおぜいのこどもたちが集まり書を読んでいた。いかにも佐賀藩らしい風景だと思った。佐賀藩らしいといえばこの城下には本屋と武具屋が多い。往来ですれ違う児童も、多くが書物をこわきにかかえている。松陰はそのまま佐賀城下を通過してしまったが、この藩の風にはよほど感心し「佐賀人は剛直で精神が凝定している」と手帳に書きつけた。若い松陰にすれば将来国難が来た時同志として頼むに足りる藩はどこかということを観察しておきたかったに違いない。要するに佐賀人というものを松陰は気に入った。

佐賀城下は現在の佐賀市だ。「質実そうな町で」とあるが佐賀西高校の校訓は「質実剛健 鍛身養志」。一致する。弘道館とは佐賀西高校の前身。「佐賀人は剛直で精神が凝定している」の「凝定」とは精神がひきしまり定まってぶれないという意味だろう。

松陰は佐賀人を高く評価した。日本史上屈指の教育者である吉田松陰は当然人を見る眼も日本史上トップクラスだろう。その人が佐賀人を評価したのであるから確かなんだと思う。

人に「気」があるように土地にも「気」がある。良い「気」をもつ土地では自然と人の「気」も良くなる。むかし永平寺に一人で旅行に行ったが雪が深く積もるなかバスに乗ったらとなりのおばあちゃんが話しかけてきた。とても清浄な人柄の方で心が洗われる思いだった。土地の良い「気」がそうさせるのだと思った。佐賀以上に土地の「気」が良い場所だ。

佐賀の土地の「気」も良い。特に昔の神社や寺院とかに行くとそう思う。大きなクスノキがかっこよく質実な佐賀の雰囲気によく合う。古い建物や樹木を残すのは大切だ。そういう古い良い建物が人間の精神的伝統を保存してくれる。良い精神的伝統を代々受け継いで行ける。建築のもつ精神的意義は大きい。では佐賀に悪い奴はいないかというといる。少数だが確かにいる。しかし全体的には質実でいい土地だと思う。

『葉隠』聞書第二に次の言葉がある。現代語訳を引用する。

このような山の奥まで静かなことであり、たまに訪ねてくる人に世間のことを尋ねれば、殿様と幕府のご関係が円満であることや、慈悲深いご政道の評判ばかりを承っている。めでたい御家であること、日本において並ぶものはあるまい。これから先よくない事も起こるだろうが、おのずと良いように成っていくのは、まさに不思議の御家であり、ご先祖様がたのご加護のもとに、政道が行われているためなのかと思われる。

ただのお家自慢のようであり佐賀市以外の人からするとチンプンカンプンだろうが、私には多少分かる。表現がだいぶ大げさだが多少は意味が分かる。これはひとつは土地の「気」が良いということである。土地の「気」は物事の根本であり、これが良いと人の「気」も良くなり物事は自然にうまく行くようになる。

『論語』学而篇に次の言葉がある。

現代語訳
君子は根本を大切にする。根本が充実すれば物事は自然にうまくいく。

書下し文
君子は本を務む。本立ちて道生ず。

佐賀は土地の「気」が良い。これが根本である。すると物事は自然にうまく行く。引用した『葉隠』の「これから先よくない事も起こるだろうが、おのずと良いように成っていく」というのはそのことを指している。「根本が充実すれば物事は自然にうまくいく。」と『論語』にある通りだ。

土地の「気」だけが原因ではない。藩主の人間性も物事の根本だ。上に立つ者を下の者は見習うからだ。現在でもトップに立つ者の人間性は重要だが、当時はもっと重要だった。鍋島直茂公が知仁勇兼備の名将だったことが大きく影響している。上記引用した『葉隠』に「まさに不思議の御家であり、ご先祖様がたのご加護のもとに、政道が行われているためなのかと思われる。」とあるが、確かに初代の鍋島直茂の影響は大きい。トップに立つ者が優れているとみなそれを見習い「物事は自然にうまく行く。」

たしかに引用した『葉隠』の記述は若干大げさでお家自慢の側面もあるが、佐賀出身の私には多少なりともそれが理解できる。

現代日本は東京や大阪など大都市や京都奈良など本格的な文化と歴史があるところ以外は何もないと思われがちだ。また最近のコンクリートによる「近代化」によって表面的にはどこも似たような雰囲気になっている。しかし私のように日本各地を旅してその土地の歴史と文化を深く掘り下げようとする人間にとっては、日本各地深く知ると良い伝統というものはいまだに発掘できると思っている。

そのことを少しでも示すため自分の故郷でありよく知る佐賀を例にして地方の良さの一例を示してみた次第だ。

2022年10月24日追記。

佐賀が都道府県魅力度ランキングで見事最下位になった(笑)。私は東京に8年ほどあと福岡にも非常に長く住んでいるので佐賀が県外の人からどういうイメージかはよく知っている。そうだろうなと思った。

しかしどこかのサイトでちらっと見たが、たしか非居住者ランキングと居住者ランキングがあった。どこに書いてあったかは覚えてないので引用元を紹介できない。佐賀は非居住者ランキングで最下位だが、居住者ランキングでは22位だった。要は県外の人は佐賀は魅力ないと思っているが、住んでいる人は魅力ないとはそんなには思ってないのだ。平均よりちょっといいではないか(笑)。

その居住者ランキングと非居住者ランキングの乖離が私にはしっくりくる。私は佐賀で育ったので佐賀が一番好きだ。佐賀のことはもちろん知っている。そして県外に住んだ時期も長いので県外のことも多少知っているし、県外での佐賀のイメージも知っている。

今までの経験を総合すると非居住者ランキングでは最下位で居住者ランキングではそこそこというのは、私の直観にぴったり合う。かなりちゃんとした調査をしたんじゃないかと思う。


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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。