学問の本質か、試験の点数か。

最近簿記の勉強をしている。簿記とは企業の会計だ。どれくらい費用がかかって、どれくらい売上があって、差し引きでどれくらい正味のもうけがあったかなどを計算する。簿記は面白い。日ごろ行わない思考法をするので興味深い。私がいままで習った思考法は、大学受験時代の数学や現代文、大学時代の哲学的思考法、すこしかじった法学的思考法など、いくつかあるが、簿記はそれらと全く違う。今まで経験したことのない思考法を習得している感じで非常に興味深い。

あと簿記自体非常によくできていて、よくまあこんなものを作れたな、と思うことが勉強をしていてよくある。簿記は2級をとる予定。1級は受けない。1級は時間がかかりすぎ、内容も高度過ぎる。3級は基礎的に過ぎ、シンプル過ぎる。私にとってはコスパ的に2級がちょうどいい。バランスが良い。

簿記の歴史も少し読んだ。簿記は15世紀のイタリアでうまれたという。私は今年の6月くらいにイタリアの歴史をほんの少しだけかじった。2級はかなり複雑だが、3級はシンプルでイタリアで簿記がうまれた当時は、3級に近かったのかなと思う。3級の勉強を始めたころは、勉強していて、中世やルネサンス期のフィレンツェ、ベネチア、ジェノヴァなどのイタリア商人たちたちの顔が思い浮かんだものだ。文系の学問は歴史的に形成されてきたものだから、歴史を読むと知識がつながる。簿記も歴史的に形成されてきた。

2級を目指して勉強している。しかし前提として3級の知識も必要である。だからついでに3級を受験してきた。70点以上で合格なのだが、結果は83点だった。一応合格だが、けっこう間違えた。

3級受験前の時期に本試験問題集という問題集を解いた。本試験形式の問題集で、本試験の時間内に解いて、そして自分で答え合わせをして、点数を出す。点数が出るので、私のなかのお受験エネルギーに久しぶりに火がともる。私は高校生の時はお受験野郎だった。点数至上主義。その時の情熱が少しよみがえる。

簿記で点数は大事かというと大事である。70点より80点がよい。80点より90点がよい。そして90点より100点がよい。それは間違いない。では点数は本質的かというとそうではない。

ショーペンハウエル『知性について』から引用する。

もっとも重要でもっとも深い洞察を提供するのは、個々の事物についての細心な観察ではなく、全体の把握の充実度なのである。

簿記の試験の点数は、ショーペンハウエルの言う「細心な観察」の程度を測る。簿記の細かい知識をいかに理解しているかを試験は測る。点数が高いということは簿記の細かい知識を習得しているということである。

点数は重要である。会計の専門家になるのであれば、それが一番重要かもしれない。しかし、会計の専門家にならないのであれば、点数以上に大事なのは簿記の本質を捉えることである。他の記事でも述べているが、本質を捉えると知識がつながる。要は簿記の知識が他の分野の知識とつながる。他の分野の知識とつながることで、ショーペンハウエルの言葉で言えば「全体の把握の充実度」が増す。分かりやすい例を挙げると、簿記の本質を捉えることで、ビジネスのほかの知識、経営、戦略、業務運用、ITなどの知識とつながり、ビジネスの「全体の把握の充実度」が増すのである。

『三国志』の諸葛孔明は20代まで読書生活だった。徐庶ら学友たちと一緒に勉強をしていた。徐庶たちは学問の細かい知識を捉えようとしたが、孔明は学問の概略を捉えようとしたという。ショーペンハウエルの言葉で言うと徐庶たちは「細心な観察」に重きを置いたが、孔明は「全体の把握の充実度」を重視したのである。彼らが簿記を学ぶとすると、徐庶たちは簿記の点数を競うだろうし、孔明は簿記の本質を捉えようとするはずである。当時学問に関する試験があったら徐庶たちのほうが高得点だったかもしれない。歴史上の天才たちのなかには、学校の試験の点数があまりよくなかった人も多い。彼らは点数より本質を優先したのかもしれない。

簿記を学び、その本質を捉えるとすぐに知識がつながり、総合的知識が生まれるかというとそうではない。もちろんすぐに知識がつながることもある。私が簿記を勉強し始めたときに、直前に少し勉強したイタリアの歴史の知識と若干つながったのはその例である。それはそれでよい。しかし通常は知識がつながるまである程度時間がかかる。

スティーブ・ジョブズは知識をつなげるのにたけていた。スタンフォード大学の卒業式の有名なスピーチから引用する。

リード大学では当時、恐らく国内最高水準のカリグラフィー教育を提供していた。私はカリグラフィーの授業に参加し、文字の美しい描き方を学ぼうと決めたんだ。美しく歴史があり、科学では捉えられない芸術的繊細さがあって、私は魅了された。これがいずれ自分の人生で何かの役に立つなんて考えもしなかった。ところがその10年後初代マッキントッシュコンピュータをデザインしていた時、脳裏にはっきりとよみがえってきたんだ。
将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできない。できるのは、後からつなぎ合わせることだけだ。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。

マッキントッシュで文字を表現するときにフォントを選ぶ。そのフォントを作るのにこのカリグラフィーが役に立ったのだという。点と点がつながったのだ。現在われわれがパソコンでいろんなフォントを選べるのはジョブズがカリグラフィーを学んだおかげなのである。

スティーブ・ジョブズが述べているように、「できるのは、後からつなぎ合わせることだけ」である。簿記の本質を捉えても、その本質がほかの知識とつながるまでは時間がかかる。知識は後からつながるからである。

分野を横断する総合が大事と言うと、異分野の知識を強引につなげようとする人が一定数あらわれる。これはダメである。間違っても無理に知識をつなげてはいけない。本質を捉えると時間が経つにつれ知識が自然とつながるのである。本質を捉えずに知識をつなげると強引な方法に陥ってしまう。

私は現在、簿記を学んでいて、一番重視しているのは簿記の本質を捉えることである。しかし点数もそれなりに重視している。簿記の勉強でお受験時代のエネルギーが若干復活するので、そのエネルギーを利用して、点数アップに役立てている。

簿記の試験の点数は簿記の知識の細部の習得を測る。細部もそれなりに重要である。簿記の細部をある程度理解しないと、そもそも簿記の本質を理解することはできないから。しかし細部を追求しすぎていはいけない。点数を追求しすぎてはいけない。点数はいいほうが良いが、こだわらないほうがいい。

点数至上主義者がいる。点数は分かりやすい。はっきりと目に見える結果が出る。だから点数にこだわる点数至上主義者がいる。高校時代、お受験野郎だった当時の私もその一例である。手で触れられ、目で見える具体的結果を重視する現実主義者にこういう人は多い。

逆に本質至上主義者がいる。点数なんて全く関係ない、本質だけを捉えればいい、という考えである。手で触れえず、目に見えない抽象的理念を重視する思想家や理想主義者に多い。

点数至上主義者も本質至上主義者もどちらも極端である。簿記の点数は重視すべきだが、本質的ではない。点数は重視しつつもそれ以上に簿記の本質を捉えることを重視する。これが正しい中庸である。バランス型中庸。

お受験エネルギーを活用すべきかも同じことである。お受験エネルギーは本物のエネルギーではない。結局、点数や偏差値、順位などをあげようとするエネルギーである。他人との比較でのエネルギー。だから目標を達成するとしらけムードになる。

それに対し物事の本質、真理に対する情熱は本物のエネルギーである。目的を達成しても、真理自体に尽きない魅力があるため、情熱はどこまでも続いていく。

本質的ではないお受験エネルギーを何よりも信じるのはよくない。しかしお受験エネルギーを完全に切り捨てるのも間違いである。どちらも極端。お受験エネルギーは本質的ではないことを認識しつつ、しかし全否定はせずに有効なエネルギーとして活用するというのが、正しいバランス型中庸である。

私自身、簿記の勉強で、かつてのお受験エネルギーが多少復活している。それは本質的ではないエネルギーと承知の上で勉強に役立てている。それで勉強が進むのは事実であるからだ。しかしもっと重要なのは簿記の本質を捉えることであり、真理への情熱である。それが正しい中庸だ。

手で触れられ、目で見える具体的結果を重視する現実主義者と手で触れえず、目に見えない抽象的理念を重視する思想家や理想主義者の対立は根深い。しかしどちらも極端である。

E.H.カーの『危機の二十年』から引用する。

理想主義者の典型的な欠陥は無垢なことであり、現実主義者の欠陥は不毛なことである。

理想主義者は現実を知らないため無垢であることが多い。それに対して現実主義者は理念を持たないので世の中を良くしない。不毛になる。さらに引用する。

未成熟な思考はすぐれて目的的であり理想主義的である。とはいえ目的をまったく拒む思考は老人の思考である。

理想主義者の思考は、多くの場合20才の青年の思考である。それに対して現実主義者の思考は、多くの場合もう夢を持てなくなった80才の老人の思考である。次のように続く。

成熟した思考は目的と観察分析をあわせもつ。

40才の成熟した思考は理想と現実をあわせもつ。さらに引用する。

こうして理想主義と現実主義は政治学の両面を構成するのである。健全な政治思考および健全な政治生活は理想主義と現実主義がともに存するところにのみその姿を現すであろう。

正しさは理想と現実の中庸にある。簿記の勉強も、正しさは簿記の本質を捉えることと試験の点数の中庸にある。

私自身は理想主義と現実主義の中庸を目指しているが、若干理想主義にかたよっている。「理想主義:現実主義」の割合は「7:3」くらいだろうか。どの割合が絶対に正しいということはない。それぞれの人が決めるべきことである。

■作成日:2024年9月29日


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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。