上の世代のことを学ぶ

最近世代論にはまっている。現代日本に浸透する思想をつくるためには、現代日本のことをもっと知らなければならない。1ケ月ほどまえは自分より下の世代のことを学んでいた。今は上の世代のことを学んでいる。

現在80代のひとたちは、だいたい1940年ころの生れである。1950年代に青春を迎えている。人は通常青春時代に価値観が形成される。だから80代の人たちのことを知るためには、1950年代、できれば1940年代の日本をよく知らないといけない。

というわけで現在、日本の戦後史を学んでいる。1945年以降。政治、経済、社会、歌謡曲、映画、ファッションなど総合的に学ぶ。それぞれの分野は当然ながら相互につながっている。ひとつを学ぶとほかの分野に効果は波及し、相乗効果が生じる。政治を仕事としてやる気は全くないが、戦後の政治史についても学んでいる。

現在まだ1950年代をうろうろしている。大げさに言えば、主観的には1950年代に生活しているつもりですらある。特に歌謡曲や映画は時代を映す。本当によく映すものだと思う。いろんな分野を学んで最後は年表で全体像をつかむ。

戦後日本を全15回のドラマに喩えると、ある世代というのはそのドラマの一部分だけを見ているに過ぎない。人は一番多感な5才~25才のころに、時代の雰囲気を吸収し、自分の価値観を形成する。そして30才くらいになると、流行歌も聴かなくなり、若いころに聴いた音楽を繰り返し聴くようになってしまう。

1970年代後半生まれの私は1980年代を経験し、1990年代の時代を最も深く吸収し、2000年代から徐々に時代を吸収できなくなり、2010年代はその時代を形の上では生きてはいるが、もはや時代の雰囲気を吸収することは無くなっている。

ある世代は戦後日本というドラマの第2回と第3回だけを見て、別の世代は第7回と第8回だけを見て、また別の世代は第14回と第15回だけを見ている。世代の対立は同じドラマを見ていても見ている回が違うので、なかなか分かり合えない。

今、私は1950年代を学んでいるが、少しカンニングして1960年代、1970年代、1980年代をちらっと見てみると、1980年代になってはじめて、やっと自分が戦後日本に参加するのが分かる。小さいころの記憶と勉強がつながる。

現代日本のことはよく知っているつもりだったけど、「ようやくここから参加するのかあ」と思う。「おれこのドラマ途中からしか観てないじゃないか」と思う。

時代を少しづつ下りながら勉強すると現代日本のことがけっこう分かる。自分が生まれるまえの戦後日本の歴史や文化は「自分が生まれるまえ」というくくりでいっしょくたになっていたが、時間軸が見えてくると、全体が時系列で整理されてくる。骨格ができる。骨格ができると肉がどこにつけばいいか分かるように、個々の事象や文化作品が全体の中で位置づけられる。

人は誰しも若いころ、上の世代がつくった社会と文化の中で育つ。だから上の世代の世界観は自分の無意識の中に恐らくある。今回戦後史を学んでいても、昔の歌謡曲を聴いたり、当時の映画を観ると、昔の時代を「思い出す」感覚が生じる。年配の日本人の世界観を少しだけだが、内面から理解できる気がする。

『近思録』に次の言葉がある。

書下し文
医書に手足の痿痺せるを不仁と為すと言う。この言最も善く名状す。仁者は天地万物を以て一体と為し、己に非ざるなし。己たるを認得せば、何の至らざる所かあらん。もしこれを己に有せずんば、自ずから己と相関せざること、手足の不仁なるが如くならん。気すでに貫かざれば、皆己に属せず。

現代語訳
医学書では手足がしびれていることを「不仁」と呼んでいると言う。これはとても適切な表現である。仁者は天地万物を一体とし、天地万物を自分自身と見る。天地万物が自分自身であると知れば、どこにでも心が行き届く。ある対象を自分自身と思えないのであれば、その対象が自分と関係なくなり、手足がしびれたのとおなじになってしまう。気が通らないのであれば、その対象は自分には属しないのである。

私が上の世代の世界観を内面から理解しようと試みているのは、手足のしびれから脱却しようとしているようなものである。もちろん私は仁者ではないので、十分には理解できないが、1950年代を学ぶ前と比べれば、学ぶ前は手足のしびれの状態だったんだなと確かに思う。

他の世代を内面から理解するのは難しい。若い世代のことを勉強したが、彼らのことを内面から理解することはできなかった。上の世代を学んでからもう一度若い世代のことを学び直そうと思う。後ろから助走をつけたほうが、前に大きく跳べるように、いったん昔のことを学んでから新しい世代のことを学ぶ予定である。現在や未来を知るために過去を学ぶということは、実際あり得る。

現代日本のことを学ぶことが、現代日本に生きた思想をよみがえらせるうえで重要である。思想は確かに難しい。古典は現代日本人向けに書かれていない。現代日本に浸透する思想、現代日本人に向けた思想をつくるためにも、下準備として現代日本を学ぶことが重要だと思う。

■作成日:2024年10月22日




■上部の画像は韓国の殊眼禅師の書。1940年。

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