大学時代

大学時代西洋思想を専攻していた。当時は無駄に尖っていて、 授業を担当する教授の著作を熟読し学期末レポートで教授の持論を徹底的に論駁するという というのを時々やっていた。 それをするときは自分の主張に自信があるときだったので毎回A評価をもらっていた。

今から考えるとよくそんなことしてたなと思うが当時は正義感に基づいてやっていた。 大学の教授も心が広いというか、自分の論より真理を大切にするというか、感心したものだ。 自分の名誉や利益より、正義や真理を大切にする人は尊敬する。 逆に自分の名誉を優先する人は尊敬できない。

高評価をくれた教授たちは偉いなと思っていたが、 しかしある教授は次の学期に会ってみると私の顔を見るとものすごくブルーな顔をしていたので、 あ、やっぱ傷つけていたのね、と思った次第。2年生の時だ。 そんなことしてたら最終的にケンカになる(笑)

現在はさすがに年取って丸くなったというか、 血気盛んではなくなったというか、 そういうことはしなくなった。 ただ自分の論を根拠を充分に用意して展開すると結果的に誰かの論を徹底反駁しているということはある。 誰しもそうだと思うが誰かの足を踏まずには歩けない。それで歩くのをやめるわけにもいかない。

大学で思想を専攻している教授や学生たちの全員が優秀とは思わなかったけれど、 その中の一部の人たち最も優れた人たちは非常に優秀だと思った。 こういう人たちが哲学をするのかと思った。私ではないなとも思った。

私の大学の中で一番すごいと感じた教授は西洋古今の思想がその人の精神に全部蓄積されているようで恐ろしさすら感じた。3年生の時だがその教授の授業をとり、その教授の論文を徹底批判する文章を学期末レポートで提出した。

A判定をもらいその後その教授と会ってみると 批判された教授の論文に関し「あの論文はもういいよ・・」と半分諦めたような顔をしながら言っていた。 今考えてみれば暴挙に近いことをした私もどうかと思うが、 それにAを与える教授は凄いなと思った。

しかし最終的にはケンカになって退学になった。

そもそも私は西洋思想にはあまり向いておらず、書くのはそれなりに得意だったが読むのが現在も苦手だ。書けるなら読めるだろと言われるが、どうも他人の文章は頭に入りづらい。もちろん読める哲学書も沢山あると言えばあるのだが、読めないものの方が多い。自然と哲学論文は特定の分野以外はあまり読まないようになる。ヴィトゲンシュタインもあまり読書をしなかったというからそれでいいんだと開き直っているというか諦めている。

ただメッセージ性のある文章に関しては完全には読めなくても目を通すようにはしたいと思う。


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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。