私は母校が7つある。小学校から大学中退後に通った専門学校を含めると7つだ。一番思い入れが深いのは小学校と高校だが、どの学校にも思い入れがある。浪人時代に1年通った予備校である駿台にすらけっこう思い入れがある。
駿台はお茶の水校。総武線で御茶ノ水駅で降りて通っていた。御茶ノ水駅も好きだ。少し古くて雰囲気のある駅だ。大好きな神田川ぞいなのも雰囲気がいい。お気に入りの神田の古本屋街にアクセスできる駅だ。意外とメジャーで快速や特急などほとんどの電車が止まる駅でもある。小説とかで御茶ノ水駅が出てくると「おっ!!」とテンションが上がる。
駿台は受験勉強を教えるところだ。予備校である以上当然だ。でも受験勉強の合間に時々先生たちは人生についても教えてくれた。
浪人時代は私が精神的に最も悩んでいた時期のひとつだ。先生たちは教壇に立つとクラス全体の雰囲気が自然とつかめるという。恐らく教壇に立って私が精神的に徹底的に追い詰められているのはすぐわかったのだろう。3人の先生がそれとなく助言をしてくれた。
ひとりは奥井潔先生だ。おじいちゃん先生で受験英語というより英文学を教えていた。居ながらにして威厳と慈愛のある先生で私が感化された先生のひとりだ。
ある時奥井先生が授業中、教室のなかをうろうろしながら、ふと私の席のすぐ右側に私と同じ方向を向いて立った。そして「人は迷ったときは一歩前に進むと道が開けるものです。」と言い、「迷ったときは一歩前!」と言いながら、奥井先生自身一歩前に足を踏み出す動作をした。私の視界に入り動作を足すことで私に単に言葉以上の暗示をかけようとしたのだ。 先生はもう亡くなったが晩年に教えを受けれたのは幸運だったと思う。
もう一人は現代文の二戸先生だ。彼も助言をくれた。彼の場合はけっこうあっさりした感じの助言だった。「作品を創るには感動と表現技術が必要なんだ。芸術や自然の美しさに感動することはプラスの感動だ。悩みもマイナスの感動だが、でも感動のひとつだ。悩みがあるということは感動はあるんだ。あとは表現技術を身につければいい仕事ができる。それを目指せ。」と助言してくれた。創作の基本だが当時その基本を私は知らなかった。「あ!なるほど!」と納得したものだ。
あっさりしてたので私に対する助言だったかは不明だが、私に言っているのだと勝手に解釈した。駿台は受験勉強以上の内容を時々教えてくれた。
もう一人は世界史の斎藤先生。彼は「死ぬな!生きろ!つらいことがあったらその後には必ずいいことが待っている。なぜか分からないがそうなっているんだ!」と言ってくれた。
当時実際自殺しようかとちらっと思ったこともある。しかし4階の寮の部屋から飛び降りようかと思った時「え~こっから飛び降りるの??こわ~。無理!!無理!!」と思った。単純に怖かったのだ。
死ななくて本当によかったと思う。今は自殺願望は皆無だ。逆に日々の自分の思想的成長が楽しみである。
東京で好きな場所が3つある。ひとつは神田の古本屋街。本屋がたくさん集まっていてよく通ったものだ。雰囲気のある喫茶店も多く本を読みながらコーヒーを飲んだ。
もうひとつは浅草。江戸時代の雰囲気の残る町で濃厚な雰囲気が漂う。あまりに好きで4年間ほど浅草に住んだ。食べ物がうまい。文化の底力を感じる町だ。
最後が多摩川上流だ。私は川が好きだ。特に緑深い山の中を走る川。少し流れが急なほうがいい。
仏典『金剛頂経』に次の言葉がある。
諸山は花果を具するもの、清浄悦意の池沼河辺は一切諸仏の称賛する所。諸々の音声潰閙を離れる所。彼の地に於いてまさに念誦すべし。
要は世間の雑音から離れて山深く河や池など清らかな水のある所で修行をせよと言っている。やはり「深い山の中の川」がいいのだろう。私の直観と合致する。
東京に住んでたころはよく多摩川上流に行っていた。今は東京に住んでないが、家から通えるところに山の中の川がある場所を見つけて時々通っている。気の補充に行く。
現在でも時々なつかしさに誘われて東京に行くけれど、上記の3箇所は必ず訪れる。
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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。