国内旅行

海外旅行はかなり以前からの趣味。国内旅行は京都奈良北海道沖縄あと本当の歴史がある何カ所か以外はどこ行っても同じだと昔は思っていた。 数年前その考えが完全に覆った。『○○県の歴史散歩』というシリーズがある。これに出会ってからだ。たくさん買い込んでいる。各県の歴史名所をかなり詳細に解説をつけて紹介した本。 それを持って各県を巡る。熟読する。普通の観光より20倍見たいところが増える。感動は大げさではなく数十倍になる。

それ以来国内旅行が楽しくて仕方ない。別の県に入ると大げさに言うと別の国にきた印象すら受ける。 日本は表面を見るとどこも似ているが掘り下げると地域の個性が現れてくる。個性は食べものだけではない。 日本史に興味がないと難しいけれど。 私は日本史に詳しくはないがもちろん基本は知っており非常に興味がある。

『○○県の歴史散歩』を持って旅行をすると、風景がぼんやりとだが四次元的に見えてくる。 東西南北上下の3次元の世界を通常は認識するが、歴史散歩をすると過去現在の時間軸が加わる。 現在の風景を見ながら過去の風景がなんとなく妄想ではあるが連想できるようになる。

例えばとある町を見て、江戸時代は現代的な建物はなく、和建築が並んでいて、市街地も現在より狭くこの辺からこの辺までで他は田んぼが広がっていただろう。あの辺は海だったはず。歴史ある寺社は同じ場所に立っていただろう。川は現在のような堤防はなかっただろう。などなど。

他にも例えば旧街道の宿場町の道の曲がり方、かろうじて残っている古い建物などを手がかりに江戸時代の宿場町の風景を連想というか妄想する。家の近所でも田んぼは現在と江戸時代で多少の差はあっても大体見た感じ一緒だろうとか。もっと昔弥生時代は田んぼの面積も狭く葦原が広がっていたかもしれない。

山は植林されていなかったが遠くからの景色はかわらないだろう。 空の色、雲の色、夕焼け、朝霧、雨の降り方、樹々、岩、海・・自然は弥生時代、というより太古から変わらないはずだ。 3次元の風景に時間軸が加わり4次元的に見えてくる。

別に特殊な能力ではない。①歴史好きで②現地に足しげく通う人、この二つの条件を満たす人は多くの人がこれを経験する。 とくに自分の故郷の歴史を研究している人はほとんどの人が経験しているはずだ。家の近所であればいくらでも訪れることができるからだ。

私の妄想とは違い、厳密に研究しての連想のためもっとはるかに正確で妄想ではなく、もっとはるかに豊かに連想するはずだ。

東京は戦争でほとんど燃えてしまい、古いものが残っていないが、それでも歴史散歩をすると連想が働く。 江戸の地図と現在の東京の地図を重ね合わせて表示するアプリがある。 それで東京を歩くと面白い。

桜田門の近くを歩いていた時、そのアプリで井伊直弼の当時の屋敷の場所を確認し、 wikipediaで井伊直弼がどこを通ってどこで襲撃されたかを確認する。すると桜田門外の変が妄想として目の前で再現される。けっこうな臨場感。

アインシュタインの言葉を引用する。

私にとって空想する才能は知識を身につける才能よりずっと大きな意味があります。

旅行に行かなくても近所の史跡を歩き回るのも面白い。 自然は基本的に数千年前から変わっていない。 弥生人たちも我々と同じように夕焼けの美しさに感動し、巨樹の雄々しさに心をうたれ、 雨が降れば心地よく沈んだ気分になり、花々の美しさ星空の美しさに感動しただろう。

いや彼らは私たち以上に感動していたはずだ。彼らは巨樹や巨岩に精霊を見出し神が宿るとして信仰していたくらいだ。 パソコンもなくスマホもゲームもtwitterもない時代、我々以上に自然に親しんでいた。

私は九州北部に住んでいるためマイナーな遺跡も含めると弥生時代の遺跡が至る所にある。 私の家のすぐ近くにもある。 弥生時代に家の近所がどのような風景だったかを連想する。

たぶん木々と雑草に覆われ人や獣の通る細い道があるだけだったろう。 弥生人たちは私の家の前を時々歩いていただろう。 想像するだけでテンションが上がる。

例えば私が近所を歩いているときに小雨の中、心地よいブルーな気分になったり、 夕焼けを見て感動したり、花が咲き始めて楽しみになったりする。 そんな時、弥生時代の人たちも同じ場所を歩き同じ気持ちになっていただろうと想像する。

いや彼らは自然現象を精霊のはたらきとしてとらえていた。 彼らにとって太陽が照り青空が広がるのは神々がよろこんでいるからであり、 雨が降りブルーな気持ちになるのは神々がブルーになっているからだ。

我々には隠されてしまっている自然の神秘、自然の精神性を直接的に感じていたはずだ。 私以上に感動していたと思う。


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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。